見出し画像

「9時〜17時は仕事の時間」を辞めて「自分の人生を活きる時間」と再定義してみた。

京都へ移住してきて、もうすぐで1年。
もうそんなに経つのかと、月並みながらに信じられない気持ちです。
移住をして、色んなことが変わったように思うのですが、自分でも意外だったのが仕事への価値観が変わったこと。

と、言うよりも「仕事」という感覚がどんどんシームレスになっていくように思います。

***

子育ても、日々の家事も、NPO法人tadaima!も、noteを書くことも、学校づくりのための勉強も、それ以外に始めた色んな勉強も。
すべてが自分の中で重なり合って、繋がり合っているという感覚が強くなっている。

それでも、これまではその中で「仕事」に分類されるものをピックアップして切り出して、「9時〜17時は仕事の時間」みたいに決めていました。
学びに関しても、学校づくりや教育に関係のない、もしくは直接的でないものに関しては「趣味枠」みたいな切り出し方をしていたのです。

でも、だんだんその時間の切り出し方に、違和感を感じるように。


「仕事以外の時間でしか何かを学べないってなると、時間がほとんどとれない」
「この”歴史”についての本を読むのは、仕事に繋がる学び? それともただの趣味?」
「仕事って、すぐにお金に変わる活動じゃないとダメ?」


身体も動かしたいし、料理だってしたいし、本だって読みたいし、文章だって書きたいし、仕事だってしたい。

頭の中がワガママな3才児みたいな状態になっていたのです。
アラフォーで、そんなバカみたいなことでモヤモヤするなんて思ってもみませんでした。

***

なので僕は、便宜上「9時〜17時は仕事の時間」と考えるのを辞めました。
じゃあ、その間はなんの時間なのか。

「自分の人生を活きる時間」

と考えることにしました。

正直に言えば、現実としては相変わらずほとんど”仕事”をしています。
講演の準備、モヨウ替えのプラン作成、企業とのプロジェクト、執筆、新プロジェクトに向けた助成金の申請など。
そこに加えて学校づくりプロジェクトも走り始めています。

だけど、その合間に「世界史や歴史の勉強」「英語の勉強」「教育についての勉強」「運動」などを入れ込むようにしたのです。

前日か、当日にその日のタスクを決めてしまうのですが、その中にそういった勉強や本を読む時間やらを入れてしまいます。
仕事に追われていたり、締切が立て込んでる時なんかはそうもいかないですが、そうやって自分の学びのための時間を入れながらタスク管理をすることで「自分の時間を活きている感覚」が強くなったように感じます。

どうせ仕事なんて終わらないのです。
たとえすべての案件が片付いて何もなくなったとしても、次の種まきはするわけですから。でも、やはり自分自身のための学びの時間が仕事が終わってからのオプションみたいな位置づけなのは、きっと後で後悔しそうだなと思ったのです。

まさに、「昔もっと、勉強しておけばな」といまの僕が思っているように、このままだと10年後も同じことを言ってそうでした。

がんばって仕事以外の時間をたくさん確保したいところだけど、子育てもしているしなかなかそうもいかない。
なら、仕事も学びも全部同列で考えてシームレスに時間に組み込んでしまえばいい。ちょっと大胆ですが、僕にはそうした時間管理のほうが性に合っていたようです。

***

最近は、仕事に直接関係がないことでも、自分自身が知りたいと思ったり興味を持ったことをちゃんと学んでみることって、贅沢で、人生を豊かにしてくれるよなと思っています。

なんだかんだ「いつかまた」「時間ができたら」と見ないようにしてきていたけど、そういった何になるかも解らないし、何にもならないかもしれないけど素敵な時間、というのをちゃんと大切にしようと思っています。


今日も、見に来てくれてありがとうございました。
もっと上手に、言いたいことを書けそうな気がしたのですが、あまり上手くいきませんでした。もう少し頭を整理できたら、改めて似たようなテーマでちゃんと書き直してみたいと思います。

ぜひ、また見に来て下さい。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました! スキ・フォロー・シェアなどしてもらえたらとっても嬉しいです。 ぜひまた見に来てください!!