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出不精の起源とそろそろ出不精を卒業しようと思う理由

私は出不精だ。
わざわざ買い物に行くのも面倒くさいと思うたちなので、日々の買い物も子どもを習い事に送ったついでに行っている。


いつから出不精になったのか。
子どもの頃は特に出不精ではなかったように思う。
では、いつから?


そういえば、私は、ある頃から朝起きるのが遅くなった。
元々朝は弱いたちなので、朝早く起きて朝活をするといったタイプではなかったのだが、予定のない休日でも、それなりの時間には起きていた。


しかし、あるとき思ったのだ。
朝早く起きても何も良いことはないと。
朝起きてからすることは何もない。
遊ぶものもなく、テレビを見るのもできず、洋服もまともなものがないし、お小遣いもたいしてないから、友達を遊びに誘うのも気が引ける。


私はいったいなんのために起きているのだろう。
何もできないなら、寝ていたほうがマシじゃないか?
そういう考えに至ったことで、朝早く起きるのをやめてしまったのだ。


朝早く起きても起きなくても、やることは変わらなかった。
出来ることが限られているのだ。
時間だけあってもどうしようもない。


むしろ、早く起きていると、バケツいっぱいの草をひくと飴玉一個がもらえるというブラックな環境で働かされる。
そうして寝床でゴロゴロすることが、私にとって、一番の娯楽になった。


そんな子ども時代を過ごした私は、大人になっても休日はゴロゴロとするものというのが染み付いている。
もちろん、遊びに出かけることもあるが、遊びに行くとお金がかかってしまうと、貧乏性が発動してしまう。


悲しき青春時代である。
自分のために時間を使うとか、お金を使うとかが気持ちよくできない。
それこそが、私が出不精になってしまった主な要因なのではないだろうか。


翻って、私の子どもたちは早起きである。
朝早く起きて、二人でゲームを取り合っている。
休日だって、ゴロゴロしない。
そんな子どもたちを見て、起きている方が楽しいなら、自然と朝早く起きるんだなぁと新しい気づきを得たのだった。


転機もなく、ずっと私は出不精のままだが、子どもたちが大きくなるに連れて、送り迎えという任務が減ってきつつある。



今までは、送り迎えのついでに買い物をするということができた。
しかし、わざわざ買い物のために外出しなければならないという日も増えつつある。


しかも、今までは自分のために外出しても、幼稚園や学校が終わるまでとかの制限時間があり、例え途中でも時間内に帰らなければいけなかった。
それがすごいストレスとなっていたが、子どもたちが大きくなることで、制限時間もゆるくなりつつある。


これは、転機となるのではないか?
時間やお金を気にせず、自分のために外出したい。
それがそろそろ許されるのではないか?


もちろん、完全にフリーになるわけではないのは理解している。
でも、母親だから妻だからと、私だけが我慢している今の状況からはそろそろ脱却できるのではと期待している私がいる。



そもそも、母親だから妻だからと、女性だけが我慢する状況が、私が親や世間から植え付けられた固定概念なのだ。
悪しき習慣を子どもたちに受け継がせないためにも、固定概念からは卒業していかなければ。


そろそろ少しずつ、出不精をやめていこう。
来年度からはおそらくほとんど送り迎えが必要なくなる。
そうなれば、どっちにしても毎回買い物のためには最低でも外出することになる。



自分のために時間が使えるなら、ゴロゴロしているよりずっと楽しい時間が過ごせるはずだ。
これからは、自分のために時間を使ったついでに日々の買い物も済ませよう。
同じついででも、ずっとずっと気分が良くなることだろう。


いずれ、子どもたちが巣立ち、制限時間がなくなる日が来る。
そのときに何もすることがないとならないように、今から少しずつ出不精を改善しよう。



出掛ければ楽しい。
それは間違いない。



さて、次はどこに行こうか。
一人で行きたいところ、子どもたちと行きたいところ、友達と行きたいところをそれぞれ考えてみよう。
面倒くさいなどと、考える暇などなくなるに違いない。





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