アファメーションであぶり出された心の傷が癒えるときは来るのか
私は、引きこもりなので、特に新しい出会いの予定はない。
でも、出会いを求めていないわけではないので、最近は寝る前のアファメーションを人間関係のものにしている。
毎日毎日、同じ動画を流す。
その文言の中で、どうにも心がざわざわするものがある。
それは、「お父さんお母さんありがとう。大好きです。」というもの。
ありがとうまでは受け入れられるようになってきたが、どうしても、「大好きです」は厳しい。
反面教師になってくれてありがとうとは言えるし思えるようになったけれども、反面教師を好きになるのは、私だけではなく大抵の人が難しいと思う。
この文言が巡ってくるたびに、心がざわめく。
アファメーションなので、その他の文面もなかなか癖強ではあるが、それらは何度も聞いているうちに、気にならなくなっている。
だけど、これだけはどうしても受け入れがたい。
嫌いな人を好きになることはできるのだろうか。
以前の記事で書いたように、苦手な人は私の欠点を拡大したものを全面に出してくる人らしい。
欠点を自覚し直していければ、嫌いではなくなるか縁が無くなるらしい。
とはいえ、それは他人の話だ。
他人なら縁が無くなることもあるかもしれないが、家族だとそうもいかない。
では嫌いではなくなるのか?
実の親の場合もそれに当てはまるのか?
その答えは、わからない。
というより、向き合いたくない。
直視したくないというのが、私の正直な気持ちだ。
軽く振り返ってみても、私に似たような欠点があるとは思えない。
noteを書くために少し考えてみるだけで、すぐに心が痛くなるほど、私にとって、避けて通りたい問題である。
似たような欠点が思い当たらない場合、嫌いじゃなくなることはないのか?
それとも、自分では気がついていないだけで、本当はあのような理不尽を持ち合わせているというのだろうか。
どうにも答えにたどり着けないのは、まだ、解決できる時期ではないせいなのかもしれない。
そもそも、『嫌いじゃなくなる=好き』なわけではないだろう。
そこもまた、あの文言が心に突き刺さる所以だろう。
でも、受け入れがたいものをスムーズに受け入れられるようになるのがアファメーションの効果なのだから、このまま続けるのが正解なのだろうか。
ここ最近、随分色々なものが好転していると感じている。
しかし未だ癒えない傷もある。
人生いろいろあるけれども、スピリチュアルの力も借りながら、心のざわめきに向き合っていきたい。
しんどくなれば、休んだっていい。
今更焦ることでもないだろう。
きっといつかはこの問題が解決する。
それがわかっているのだから、今直視したくないのなら、後回しにすれば良い。
だって今はもう、自分の気持ちを優先できるようになったのだから。
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