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エネルギー便秘と私と母

最近また便秘気味。
うむ、またしても来てるね。笑

エネルギーの便秘
からだにも直結だ。


https://note.com/tomo_tomo4/n/nd32c4e8fa236?sub_rt=share_pb

不思議なことに
母と電話してるともよおすのである。笑
今日もそうだった。

きっと母と話すとゆるむんだわぁ。
なんて最初は呑気にそう思ってた笑
でも、こうも続くと
どうもそう言うことではないみたい。

だって実際はゆるんでなんてないもの。笑

母がいまどの位置にいるのか
自然とアンテナ立ててるわたしがいて。
いまは、警戒はしてないけど
真剣にどこにいるのか見ているわたしがいる。
安心しきって
ゆるんでの電話じゃないことは確か。
だっていま母はここから
どう生きていくのか
自分で再度決める大事なところにあるのだから。

この感度は
たぶん母方から来ている
遺伝的なものもあるのだろう。
母方の祖先は東京の
お寺の住職だったと聞いている。
おばあちゃんもとても
鋭敏なセンサーの品のある方だった。

母も本当は敏感で
繊細なセンサーを持っていること
私は
最近改めて感じている。
今までとは違う視点で母を改めて見ている。

実に人のこともよく見て感じるものあるから
しっかりしてる時はある意味
的確な言葉やアドバイスが返って来る。

人との関わりを見てても
相談されることが多く
たぶん的確な答えが返ってくるから
相談したくなるところもあるんだろう。

とは言え、じゃあ母は他者にオープンかと言うとガードが硬い。
人のこと心からは信頼していない。
それは防衛しているから。
ある意味人の本質的なところが
見えてしまうから
深く立ち入ってしまうことでの
恐れなのもあるんだろう。
人の表面の言葉と
不一致するものも感じとる力があるから
幻滅したくないのもあるんだろうなぁ。

よくわかっちゃうから。と
最近も口にしていて。
なるほど〜と。

父が急に亡くなり
身体があちこち来ている母は
まさか自分が後に残るなんて思っても見なかったのだろう。

亡くなる父に最後
置いてかないで〜と
言っていたのが本音だと思う。

子どもの前では泣いてはいけないと
思っていたみたいで
涙も流さず取り乱さず、静かにそこにいて。
感情を外に出すことにもためらう人で。

後から子どもの前では泣いちゃいけないと思ったとLINEで呟いていた。

そのこと聞いて
わたしはまるで真逆を生きてるなぁと。
わたしは
感情のままに
泣くのは小さい頃からお得意で。
父に泣くなと言われても泣いてしまうタイプで。
どちらかというと感情では
怒りを露わにするのとの方が難しい。
相当溜めないと出せない。汗。

そんな母が今日の電話で
はっきり心の中でも決めたみたいだった。
もう妹の住むところには戻らない!ときっぱり。

やっとそのことは
自分で決められたみたいだった。
持ち家もあちこち老朽化して
このまま住めるかもわからない。
一人で暮らしていく
元気も勇気もなくなりつつあり、
初めての一人暮らしで不安が尽きないらしく。

心配から次々によからぬ現実を引き起こし
突発性難聴になり、入退院をして。

やっぱり一人は無理と
関東を離れて
妹の住む土地にアパート借りて暮らしたけれど
年明けの震災でアパートは何度修理しても水漏れ。
一時退去して本格的に
工事しなくてはならない現実も引き起こした。

そしてまた再度実家に戻り
どうするか選択の時が来ている。

80歳超えての慣れない土地での暮らしは
かなりきついものだったと思う。
まして確かに面倒はみてはくれるが
妹自身がかなり問題を抱えたままの
母の介護とあり
丁寧に見れるわけもなく。

母は妹がいないと分離不安状態。
感じやすい母は
ある意味コントロール
管理下のような状態でも
世話になっているのだから仕方ないと
尊厳もなかなかな状況の中で
母もかなりギリギリの状態だったらしい。

そんな状況で一時避難とばかりに帰ってきて
今度は目が調子悪くなり
来週大学病院に検査に行く。
たぶん治る見込みは薄いようで。
耳につづき、目もきていて。
一人暮らしどこまでできるのか?不安が増している。

わたしもサポートしたくても
片道2時間では身体が足りない。

とても家族だけで
十分なことは出来ない。

ここは下手に
家族で抱えても共倒れするのが目に見えている。

わかないことは
その道のプロに聞いて
サポートしてもらうのが1番!

まだ不安は強いが
それぞの機能はあるし
ボケてもいない。

今できる最大限を活かして
母らしく暮らしていくチャンスが来ている。

ある意味辛い経験をして
そっちは無理!がわかったいま
ここからだ!
わたしも過保護にサポートし過ぎずの
距離感を保ちながら、
母が自分で決めてゆく過程を大事にいましていて。


今日きっぱりと一つの選択肢を選んだ
力強い言葉がきけて嬉しかった。

ちようど地域の包括支援センターにも
わたしも繋がっておいた方がよいなぁ。
やっぱりわたしがキーパーソンになるんだろうなぁ。
なんて思っていて。母と電話で話していたらインターホンが鳴る音がして。
後から聞いたら
民生委員の方が声かけてくれて。
その後、支援センターの方と繋がって
今日訪問して話を聞いて具体的なアドバイスもらったみたいで。

思っただけで、
もうすでに連絡がついて
ありがたかったし。
あーちゃんと繋がってる。
よしよしその調子!と
いろんなサポートを感じてまた安心した。

いまのわたしの感度のまま。
良い関係性で
母との対話
介護も
重くお荷物みたいにしないで
頼れるもの頼って
地域やプロにお世話になりながら
わたしは子育てもして
自分のこともやっていきたいと思う。








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