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🍂ついつい人に同調してしまうあなたにも読んでほしい🍁平安時代に学ぶ🌿あなたの身にもやってくる本当の一人になる前の処方箋とは?

【社会的証明】他人の考えに同調する認知バイアス

 人は、自分の判断や行動に確信が持てないときに、他人の行動に影響を受けやすい。自信がなくなったとき、いえ、自信があるときにさえ、他人の考えや思想に影響を受け、自分の判断や行動を決定する傾向があります。

「今昔物語」巻二十九第二十四話
近江国の主の女を美濃国に将て行きて売る男の語 29-24

 今も昔も、連れ合いを亡くした後にどう生きるかという問題は哲学的です。その判断を、その決断を、あなたは自分でできますか?

 夫が亡くなると家の中が広く感じられ、閑散とした住まいだったのだと気付かされた。子にも恵まれなかったのでそもそも生活に必要な物も少ない居間は、片付いているというより壁や棚がそこにあるだけという空虚な空間に感じられた。その空間を埋めるモノも、アテも何もない。
 これからどうやって暮らしていこうか。四十という歳は、再婚相手を探すには遅いし、生まれ故郷の京へ戻ろうにも、両親もすでにこの世になく、頼みにできるような親戚もいない。異郷の地で夫を亡くすというのは、生きるよすがを失うことなのだとようやく気づかされたが、気づいたときには遅かった。

「ここの近くに温泉の湧く静かな山寺がございます。そこにしばらく逗留とうりゅうなさって、近くの寺社を参詣なさったり、気の赴くままに散策なさったりしてはいかがですか?」
 長く家で使っていた男に相談してみると、このように言った。さすがに地の者は地形に明るい。根本的な解決にはならないが、気分転換にしばらくお世話になるのもいいのかもしれない。
「そうですね。そのようなところならば、行ってみましょう」
と、気楽に答えた。
「本当に、近い所でございます。」
 行く、と言っているのにおかしなことを言う。
「近い、近い、と言いますが、そんなに近いところなのですか?」
「どうして嘘を申し上げましょうか。すぐでございますよ。ぜひ参りましょう」
 気分転換に行くのだからあまりに近いところもどうかと思ったが、他にあてもない。
「京に上ろうとも思ったのですが、京にはすでに両親はなく親類もいないので、そういう所に行って、いっそのこと尼にでもなりましょうか」
と冗談交じりに言うと、
「山寺においでの間は、私がすべてお世話させていただきます」
と言う。何だろう、妙に会話が噛み合わない。こんな男だったかと記憶を辿ってみたが、考えてみればこの使用人の男は夫に使われていたので、まともに会話したことはなかったのかもしれない。何かひっかかるような、一抹の不安を感じたが、男があれやこれやと言いながら準備を始めたので旅支度をした。

 馬に乗って出かけるのは久しぶりだった。思った以上に高くなる目線で周りの風景を見るだけで心が踊った。男は控えて馬の後ろからついて歩きながら、分かれ道に来るたびに、「右でございます」、「しばらく道なりにまっすぐです」と道案内をした。
 しかし、近い所だと言っていた割には、遠くまで連れて行く。
「いったい、どうしてこれほど遠いのかしら」
と尋ねると、
「かまわずにおいでなさいまし。 決して悪いようにはいたしません」
と言う。
 こうして進むうちに三日が経った。三日って近いのかしら、と思ったが、何分、家の外のことは夫に任せていたのでこうした旅の感覚が分からない。夫は京まで十日ばかりかかると言っていたので、近い部類に入るのだろうか。そんなことを考えているうちに、
「こちらで馬をお降りください」
とある家の門の前で馬から降ろされた。男は何の説明もなく家の中に入って行った。
 山間にある屋敷の割には大きな門だけれど、これが山寺かしら? 普通の屋敷のように見えるけど、いったい、どうするつもりなのかしら、とそのまま立って待っていると、男が引き返してきて中へ案内する。 そして、板敷に畳を敷いた所に座らせる。訳が分からない。
 ふと気づけば、この家の者が、男に絹や布などを与えている。絹は見たこともないほどきらびやかな光をたたえていて、高価なものだと一目で分かる品だ。どういうわけで物を与えているのだろうと思って見ていたが、この屋敷についてから男がこちらを見ることは一度もなく、説明をしてほしい私の視線はついぞ男に届くことはなく、男はそれらの品を受け取ると、逃げるように去っていった。

 私は一人、屋敷に残された。いや、もちろん一人ではない。この屋敷のあるじや、この屋敷の使用人もいる。でも、私は一人だった。思えば、夫が亡くなった時にはすでに一人だったはずだ。でも、今、はじめて、私は一人だと分かった。

 あとになって、屋敷の主から、ここが美濃国みののくにであること、自分が男にだまされてこの主に売り払われたことを聞かされた。
 あろうことか、あの男は私の目の前で、私の代価を受け取っていたのだ。私とあの美しい絹と布は等価であったのだ。そしてそれは失われた。

 気づけば、私の体は立ち上がることができなくなっていた。食事も喉を通らない。それどころか、食べ物を口に入れようとするだけで嘔吐感がこみ上げ、その感覚で体力が奪われるような心地がして、何も食べる気がしなかった。この屋敷の人たちは親切で、何かと世話をしてくれ、食べさせようとしてくれるのだが、体が受け付けなかった。
「困ったものだな。何とか食べてくれないとやせ細っていくばかりじゃないか」
「なに、しばらくの間は嘆き伏しているでしょうが、そのうち起き上って物も食べますよ。しばらくは様子をご覧ください」
 頭だけは冴えていて、そんな会話が交わされていることも、家の主が夜な夜なやってきて一晩中体をまさぐるのもすべて分かっていた。分かっていて、どうしようにもなかった。ただただ、体を横にして、息をして、寝て、起きて、私は一人だった。
 やがて、息をするのにも体力が削られるような気がして、このまま息をしていたら最後の体力もなくなってしまうと思って、寝ることにした。
 寝たら、もう一度息をする元気も出るだろう。

【一人になる】

 本話では、夫と家にいるだけであった女が、夫の死後、身の振り方が分からなくなり使用人の男につけこまれてしまいます。

 現代でも、定年後にどのように社会的アイデンティティを確立しておくかは難しいと言われています。会社を通した人間関係や土日の過ごし方をしていると、定年後会社を離れた途端にやることも連絡を取る相手も何もかもなくなってしまい、社会的に「死」を迎えてしまうのです。

 様々な趣味を持ったり、地域に根ざした人間関係を維持したりすることがセーフティネットを広げると言われていますが、「働くこと」を第一義とする現代社会では意識しないとこうした人間関係は広がっていかない状況に陥っている方も多いのではないでしょうか。

 本話では、一人になった後の身の振り方を他人の判断に委ねてしまって身を滅ぼしてしまいましたが、「他人の判断に委ねたくなる」と戒めて、自分の人生、自分で切り拓きたいものですね。

【平安時代における身売り】

 律令時代には、奴婢は売買しても刑罰の対象とはなっていなかったが、良民の売買は原則として禁止されていました。本話における「女」は良民にあたりますが、このような身売りは当たり前のように行われていたのでしょう。平安末期には「人売り買い禁止令」が出されたが、これは「他人の奴婢を匂引し、要人に売る行為」を禁止したのであって、人の売買自体は禁止されなかったそうです。
 生きるためには人を売る行為は、日本では見られませんが世界ではまだ当たり前に行われています。持てる者が持たざる者から搾取する構造は、現代でも変わらないのですね。


【参考文献】

新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

【原文はこちら】

【この話を原文に忠実に現代語訳したものはこちら】