見出し画像

学校や何かから逃げ出したい貴方へ。高校を1年で中退した『普通じゃない僕』から、伝えたいこと。


この間書いた記事が先週もっともスキを集めた記事として紹介された。

画像1

正直以外だった。僕が書いた記事の中でも自然体でなおかつ、時間もそれほど掛けた記憶の無い記事だったから。他の記事はあまり読まれてないので偶々だと思う。


それで、今回はあの記事の「あとがき」を書こうと思う。

3月になって、これから高校や大学を卒業した人や控えた人、会社や学校を逃げ出して新しい一歩を踏み出す人がいると思う。僕の体験から書いているので、あまり参考にはならないかもしれないけど聞いて欲しい。


安心して欲しい、あなたの選択は間違っていない。



逃げるのは、生存戦略である。

まず、僕が言いたいことを集約するとこの一言だけかもしれない。

逃げること=悪であり、駄目なこと、臆病。という考えをまず捨てよう。最近興味が出てきた哲学の始祖、ソクラテスの話が分かりやすいと思うので引用する。内容はうる覚え。

「勇気とは何か」と問われた時に、ある者は「敵の前から逃げないことだ」と言った。そこでソクラテスは、なら大勢の敵に囲まれ今逃げたら助かると知っていてもなお、その場で居続けることは果たして『勇気』と言えるだろうかと問いた。


この話を見た時に昔の自分と当てはめても、学校や『普通の社会』から逃げ出したのは、少なくとも自分にとって正しい選択肢だったではないかと思う。平日は毎日朝早くから満員電車に揺られ、解放されたと思ったらまたスクールバスの満員バスの中に押し込められ、嫌だと思っている制服を毎日来ては仲がよくもない同級生と決められたクラスで授業を平等に受けさせられる。

この状況を改めて見ても異常じゃないかと思う。周りが出来ているから普通なのであれば、普通のことが出来ない自分やしんどいと思う人がその気持ちを言い出せない状況が発生している時点で普通ではない。


疑問を持つことは気付く一歩。

全員が同じである必要など何処にもないはずなのに、誰が作ったか分からないルールに従い、そのことに疑問すら持たないのはもはや思考停止じゃないのか。地毛の茶色い女の子の友人が居たが、毎回頭髪チェックに引っかかり地毛であることを証明しなければならない状況に異常さを感じていた。大学に上がり、似たような経験で悩んだ人や白い靴下や下着でなければならないという学校に通っていた女の子もいた。

学校とはそういうものだ、それに従えないなら罰を受けても仕方ないのだろうか? 生まれ持ったアイデンティティを他人と違うからと言って否定しなければならないのだろうか。下着の色すら指定して、何が変わるのか。社会に出るための予行練習にしては意味のない事やそれをやる意味が分からない事が多かったと思う。疑問を持つことさえ駄目なこととして片付けてしまって良いのだろうか。疑問を持たなければ、気付く事はない不確かさに目を向けよう。


選択肢=自分の生きやすさ。

今の自分は好きな服も着れるし、一人暮らしなので食べたい物があれば自分で作る事もできる。気の合う友人と遊ぶ事だって、気の合わないなら関わらないという選択肢がある。

学校や会社、社会には必ず誰かが決めたルールがあり、空気があり、それに従わなければ異端として責められてしまうような同調圧力がある。これは間違いないし、今まで生きてきて何故かしんどい、なんか死にたいと思う気持ちの原因はここにあるのではないかと思う。

皆んな、空気の読みあいに精神を擦り減らして消耗している。これは意見や考えや自分という存在すら捨てて他人に合わせてしまうことでもある。

選挙に行かない若者たちという、何処かでみた記事や動画では行かない理由で最も多いのは、自分が行ってもしょうがないが多かった気がする。決してしょうがなくない。結果はどうであれ、自分の意思を持って考えて選んだ選択肢を否定することがしょうがないの一言で片付けられるはずがないのだ。

周りがやっているから普通であり常識。周りがやらないなら自分もやらないし、間違っている事。それに従わない、出来ない人が居れば理由もなく否定し、正義のヒーローのような気分で断罪する。だってそれがルールだから、正しいことだからと言われて育ってきたのかもしれない。

親が子供に言う。偏差値の高い高校に行き、ブランドのある大学に入り、良い会社に入社し、良い人と結婚して子供作り、その子供に自分が教えられたルールや正しさを持って生きなさいと。刷り込ませていくように僕たちは生きてきた。ある意味正しいのかもしれない、幸せなのかもしれない。

でも、誰にとっての幸せなのかもう一度考えて欲しい。

親にとっての幸せなのか、社会にとって幸せなのか、それとも自分のためなのか。あなたには幸せについて考える責任があるし、他人の幸せに疑問を持ち、別の幸せを掴むために全てを捨てる選択肢もある。


誰だって普通じゃない。

高校を辞めてしまった、大勢の輪の中から外れた僕はきっと「普通ではない」と言われてしまうだろう。でも、僕は前回の記事でも書いたが、自分の選択肢を後悔もしていなければ未練もない。自分で選んだことだから満足している。満足するにはめっちゃ時間が掛かったけど。それでも良かったと思えるぐらいには自分を認められるようになった。

そんな僕は今年の春に2年遅れで入った大学を卒業する。高校は1年で辞めてしまったけど、大学は4年経っても辞めたい気持ちは無かった。平気に赤点を取っていた自分が単位を一度も落とした事が無かったし、卒論だって余裕を持って出せた。自由だったし、しんどい同調圧力を抜け出せたのが一番良かった気がする。


学校や会社、何かから抜け出したい、逃げたいと思っているなら、きっとあなたの選択肢は間違ってないと思う。根拠はない。きっとどの選択肢を選んだところで、人は後悔も失敗もするものだから。何かを選ばなければ人は前には進めない。人生は本当に偶像的なものが多いなと何度も思う。あなたが悩み、考え、選んだ選択肢を認められる日が来ることを僕は期待している。


普通じゃなくても、逃げ出しても、何も選ばなくてもあなたは『あなた』だと言うことを忘れないで欲しい。あなたの選択肢はあなたが選ぶことだから。

そんな全ての事を含めて一言言わせて欲しい。



卒業おめでとう。









僕の記事が気に入ってくれたらサポートお願いします!皆さんのサポートで新しい珈琲を飲みに行きます。