見出し画像

生きることは、何かからの『卒業』だ。


今日、僕は大学を『卒業』した。朝早く起きて成人式の時以来余り着ていないスーツに袖を通し、姉から卒業祝いで貰ったネクタイを首筋で交差した。友人の家に泊まっていたので、一緒に大学へ。ああ、遂にこの時が来てしまったと思った。高揚感と緊張が入り混じっていて、どんな感情なのか自分でも分からない。ただ、終わりだけが近づいているのが分かった。

コロナの関係で卒業生と保護者だけの参加になった。飲み会も禁止で、終わったらゼミの人同士で表彰を貰い、話して別れて終わり。皆んな、終わった瞬間に帰っていく。4年も通ったのに、終わりは本当に呆気ない物だなあと思った。

正直大学自体に思い入れは余り無く、サークルだったり、そこで会った友人との交流だったり、海外留学だったりと外の思い出が印象に残っている。それでも、この大学じゃなければこの体験も出来なかったと思う。愛着だってある。誰だってどんな人だって、この『卒業』という儀式を繰り返して社会に羽ばたいて行ったのだろう。

僕は社会人にはなれなかった。自分の生き方は就活をすれば決まるものだと思っていたけど、リクルートスーツを着て疲れた顔をしている学生を見た時に、自分の道はこれでは無いと確信した。コロナの影響もあって入りたい会社の採用枠が無くなってしまったことも影響している。ゼミの教授にも君には組織は向いてないと言われるほどである。何か自分でも納得してしまって、結局辞めてしまった。

春から実家に帰り、やりたい事や自分の学びたいものの為にまた家を出て地方を行く。自然と共に生きていたいと思う自分の本質に向き合うことにした。仕事が決まった訳では無い。実質フリーターみたいなものなので社会からしたら、今時大丈夫かと言われてしまう存在になってしまう。例え間違っていたとしても今行かなければ、後悔する気がする。人と違う道を歩むのは慣れたし、他人がどうこう言って納得して辞めるより、自分でやってみてから納得して辞めたい。

自分を通す生き方は、ある意味自分勝手で組織の和から外れて孤独になる事だ。何が起こるか分からない毎日だ。きっと沢山苦労して、絶望して死にたいと思ってしまう事だってある。結局、死んでしまうのなら自分らしく生きていたいのだ。どんなにしんどくても、苦しくても。

言い訳でしか無いけど、人一倍生きていたい思いが強い。毎日を大切にしたい。未来も、夢も、今ある安定を捨てても、より良い人生を歩みたい。そう思いながら、多くの学生が卒業したのだろう。

皆んな、何かから卒業していく。

僕は他人軸の中で生きるという事や誰かが考えた安定や普通からの卒業である。これは人によってまるで違う、心や精神の卒業式は自分しか出来ない。誰もいない、広い空間にただ一人自分だけがスーツを来て椅子に座っているような気持ちになる。

寂しくて、不安で、孤独だ。でも立ち上がって、一人で出て行かないといけない。全員がそうであるように。


生きることは、何かからの『卒業』だ。


全て抱えて生きていこう。納得するまで何度も何度も失敗して、孤独になっても今までの自分から卒業したい。沢山の思い出を一個一個大事にしながら、歳を重ねていきたい。

さよなら、京都。さよなら、大学生生活、さよなら、過去の自分。今までお世話になりました。また、何処かで会いましょう。


画像1









僕の記事が気に入ってくれたらサポートお願いします!皆さんのサポートで新しい珈琲を飲みに行きます。