これまでにない抜本的な断捨離を通して変わったこと
きょうは近況をまとめてみようと思う。
とにかく、自分、いろいろ変わった。
ここさいきんは、目まぐるしい勢いで変わってきているというか、変わらざるをえなかったり、流れでそうなったという部分もあるけれど、そんななかでも、自分の考えや価値観の「核」や「芯」となるものがドラスティックに変わった、というのが、さいきんのわたしの象徴的な変化だ。
「変わった」と書いたけれど、「核」や「芯」となる部分がより太く、しっかりした、というイメージのほうが強いかもしれない。
ゆえに、「こうしたい」という輪郭が、よりくっきりしてきたようにも思う。
そのひとつひとつを書いてみよう、とするとハードルが高くなってしまうので、以下、近況を列挙するなかで、変化した部分にもついでに触れていけたらと思う。
いちばん自分が変わったな、と思ったきっかけは、昨年末くらいから、これまでにないくらいの規模の、抜本的な断捨離をはじめたことにあると思う。
これまでの断捨離とはちがい、自信がついた
これまでも、引っ越したり環境が変わるたびに、何十回と断捨離をして、大量のモノを捨ててきた。
だけど、捨てることで、新たに入ってくる容量が増えたことで、結果的に、アウトよりもインが膨れ上がってしまっていたように、いまとなっては思う。
だけど、インする楽しさやわくわくを味わいたい欲望に負けて、結果的に自分が所有できるキャパを超えたモノを所有してしまっていたように思う。
ここで書くわたしの気づきは、もうすでに、「断捨離」を提唱している方々や、あらゆる断捨離を実践し、成功された方々が、行き着いた境地と同じではある。
だけど、今回ここであえて書くくらいに、これまで自分自身もおこなってきたはずの数々の断捨離行為とちがうのは、そういう方々の思想や思考に触れて、あーなるほどなと思って、何度も自分でも実践してきたことと、今回のように「ほんとうに、しっかり、断捨離をやる」ということとでは、自分のなか(内面も含めた)変革の度合いやスケールがまったくちがうということだった。
これまでも、「しっかり」、断捨離をしてきたのかもしれない。それがなぜ、ドラスティックな断捨離になったのかはわからなくて、タイミングとかもあるのかもしれないけれど、今回は、先述もした自分の「芯」が太くなったというのもあるし、ゆえに自分の選択することへの自信や、自己への肯定感に自信がついたのだった。
「迷い」を繰り返して処分する行為が、人生の選択につながっていった
はじまりは、ただ、いらないモノを処分する、ということだった。ちまちまと。
これまで通り、フリマサイトに出品したり、処分したり、必要としている人に譲ったり。
だけど、これまでは、処分の仕方や、「いる」「いらない」の選択に、一部、迷いや甘さがあった。
それについての細かなことは、このときのnoteで書いた通りだ。
それは、自分の人生の選択に自信がなかったからだ。
だけど、やっていくうちに、どういうわけか、今回はなぜか、ぼんやりとしたものを、ひとつひとつのモノの必要性に、それはとても丁寧に迷いながら向き合った結果、少しずつ、道筋が見えてきたのである。
もちろん、完全な道筋になることは、たぶん一生ないだろうけど、だけど、自分のなかの「芯」のようなものが、何度も寄せては返す波のような「迷い」を繰り返していった結果、出来上がっていったのである。
そんな流れで、いまの近況をいくつか。
「フリーライター」をやめることにした
去年6月から実験的にやってみた「フリーライター」というものは、やめることにした。
簡単に言ってしまうと、バズるために自分はがんばれないということだった。
バズればインセンティブが上がって報酬やライターとしての自分の知名度も上がっていく。
だけどわたしはそれにまったく喜びを感じられなかった。
普段生活していても、あらゆるメディアで目にする文章が、なんでも売れたり注目されたりするための、エモエモな書きっぷりや、そのエスカレートがとどまることのしらないさに、気持ち悪くて、おえっと思ってしまうくらいだ。
そんな「おえっ」と自分が思うアレルギー源に、自分が、仮に報酬を得られたとしても、近づきたくないな、と純粋に思った。
「おえっ」とこずに報酬を得られるましなものは、世の中にはきっとあるのに、そんなとびきり「おえっ」とくるものを飯の種にしなくてもいいと思った。
「マスメディア」の世界を離れても、マスメディアでのスキルを生かすことと、変わりゆく世界との噛み合わなさ
あと、自分はマスメディアでジャーナリズムの世界に良くも悪くもずぶずぶに浸って身を投じてきた時間が長いのだけど、「マスメディア」という土俵を離れたのに、「マスメディア」でやってきたことをフリーでやることの、現実的な難しさを感じたことも、かなり大きい。
所属していたマスメディアに見切りをつけて、フリーでジャーナリストや記者をする人も少なくなくて、尊敬する人もいる一方で、なかには、当時のマスメディアの理屈だったり特権だったりを、そこから離れても通そうとする人がいて、そういう人の自分への甘さや傲慢さやずうずうしさが、ひどくみっともないなと思えたというのもある。
そんなみっともなく逃げ切ろうとしている人を見て、ああはなりたくないと思った。
同時に、ともすれば自分もそうなってしまうのではないかと危機感を覚えたり、どんな業種でも時代に合わせて変わっているのに、当時の理屈でなにごとも通そうとするのは、どんな業種でも、こっけいになってしまう…など。
と思ったら、わたしの場合はだけど、「マスメディア」や「ジャーナリズム」に自分のスキルとしてすがるのは、もちろん「スキル」は大事だけれど、アップデートするのが現状では難しいスキルを持つくらいなら、どんな役割なり居場所なり業種であっても、変化のなかにさらされていなければ、せっかくの切れる包丁も錆びたも同然だと思った。
新しいものだろうが、目の前に挑戦する機会があるのならば、なにごともそれに挑戦したいと思う気持ちのほうが、はるかに強かった。
それで、いろんなものに、あまり偏見や先入観もなくやるタイプなこともあって、挑戦した結果、どんな業種でも、仕事でも、学べることはあるし成長できるものはあるし、マスメディアだけが時代や現場の最先端にいるわけではまったくもってないし(彼らから植え付けられがそんな”誇り”の呪縛を振り解くのも苦労したけれど)、どこだって、最前線、最先端であって、そこに、ほんとうに、貴賤はないものだと、そう信じるほうがわたしには自然だった。
パスタ屋で働く日々
それでいまは、銀座の老舗の洋食屋の調理をやめて、都内で新しくオープンしたパスタ屋でバイトしている。外国人観光客も含めて人がたくさん押し寄せるエリアで、ピークが1日に何度も来て、回転命のお店で、朝から夜遅くまで営業していて、年末年始も休みがなくて、大忙しという日常が当たり前の職場だ。
わたしの目標のひとつに、パスタとコーヒーと野菜のおいしいカフェをやることがあるので、接客もさることながら、1日何百食も鍋ふって、パスタなり料理なりを手際よくおいしくできる、まずは料理人としての修行をしたくて、ここ最近は、ライターを本業にしながらも、いろんな飲食店をわたりあるいてきた。
だけどなぜか、今回は調理ではなくて、接客が担当になってしまった。
でも、行列を手際よくさばいたり、とっさに臨機応変な対応を求められたり、英語を使う機会があったり、こういう仕事でもしなければ、仮にその能力を持っていたり、秘めていたとしても、発揮できなかったわけだから、それを発揮したり、さらに磨きをかけたり、もちろん困難にぶち当たったら、新たなスキルを身につけるために努力をしたりすることができる環境が、ある。
そういう意味でのサイクルの回転の良さ、流れている状態が、流れたくても流れられない環境にいた経験もあったから、いまのわたしにはとても心地いい。
「学ぶ」楽しさ知り、「働く」ことの価値観に変化
「学ぶ」って、誰かから教えてもらうのではなくて、こうやって、困難や課題が勝手にやってきて、立ち向かっているうちに身についていくものなんだな、とも思うし、そう思ったら、学んだりスキルを身につけていくことが、とても楽しくなってきた。
ジャーナリズムよりも、エモい表現やバズりが、あらゆるメディアで求められている時代に変わっているなかで、「とはいえ、ジャーナリズムとはこうである」などと正論を主張したところで、そこで時代の受信者というか、同時代をともにゆくメンバーにとって需要がないことだったら、とっととそこでがんばることはあきらめて、ほかに自分のやれることややりたいことなんでたくさんまだあったり眠ってたりするんだから、どこでだって、なにをだって、学んていくのもひとつの道としてよいと思った。
少なくとも仕事においては、自分の正しさだけを唱えて死んでいくより、それが自分が死んで300年後くらいに正しかったと認められたとしても、死んでしまったらみんな土に還ってしまうのだから、生きているうちに自分に還元されてゆくものを見届けたほうが、いいと思った。
そんなふうに、自分なりの肯定感を保てる働き方への価値観が変化したのも、断捨離効果だ。
「楽しい」ことと「働く」ことがシンプルに区別できるようになった
これまでわたしはどうやら、楽しくなければ仕事じゃないと思っていた節がある。
仕事するなら、楽しくて当たり前で、楽しくないことが仕事なんて、そんなの無理だしありえないと思っていた。
だけど最近は、報酬というのは、必要とされているものに応えたからもらえるのであって、それが仕事であって、そうでないものは、逆にむしろ仕事にする必要がないのだと遅ればせながらふと気付けたら、すごく楽になった。
趣味や自分の好きなことと、「仕事」というものを、純粋に、ただ単に、切り分けるという、シンプルなこと。
ここに気づくのに、すごく時間がかかってしまったけれど。
好きなことは仕事にしなきゃだめだと思ってたし、そうでなければつまらない人生だと思っていたけど、そんなことはなかったし、そんな発想が、自分をこむずかしくさせてたように思うのだ。
マスメディアにいたときは、「ジャーナリストとはこうあるべき」とか、「記者ひとりひとりは個人商店だ」「サラリーマン記者になんてなるな」みたいに言う人がまわりにとても多かった。
「普段は鼻くそほじって左手でデイリーの処理して、自分だけしか書けない記事は右手を使って特ダネで一面トップ書けたものがえらい」というザ・新聞記者道みたいな話をよく聞いて、そうでない記者はサラリーマン記者として価値がないと思って、そうならないようにがんばってた。
だけど、そういうこと言うおじさんも、組織に所属してそこから報酬を得ているわけであって、個人の御託などどうだっていいことであって、いま思えば、まにうけてしまった自分が恥ずかしいと思うのである。
そんなふうに、どんな仕事をしていても、その仕事とかかわる「自分の心のありよう」や「マイスタイル」みたいなものに振り回されていたときには、そんなシンプルなことに思い至ることがなかった。
だけど、いまとなっては、おっさんの新聞記者道をはじめ、周りから自分がどうかっこよくみられるか、どう周りに自分をかっこよく見せるか、ということでしかないのがよくわかる。
好きなことなら、それを仕事にしたければ真剣にがんばればいいし、別にそれで飯を食えるように生かさなくたって、全然もったいなくなんてないし、働く理由もその人が決めていいのである。なによりも働くためだけには生きていない。
そんなふうな、割り切りが、自分を楽にさせた。
変わりゆくものに変わりゆく自分で向き合っていくということ
パスタ屋のバイトは9割が学生さんで、社員も自分より若い人たちなので、自分よりひとまわりもふたまわりも若い人と働くのは、エネルギーをいただいているようで、刺激にもなる。
自分は大学時代は放送局のいまはなき健康番組のADのバイトをしていたけれど、それは好きでやりたかったからやっていて、報酬をいただく、という観点は、まったく考えていなかった(どんなに自分で報酬を得ても、自分の収入にはならない家庭環境への諦めもあった)。
好きでやっているからという身勝手な理由で、責任感もなくて、自分はすごくめちゃくちゃだった。
だけど、いま一緒に働いている学生さんたちに、わたしのようなめちゃくちゃな人はひとりもいない。
めちゃくちゃでも許されていた時代は、たしかにあった。たとえば、いまは国民の受信料として叩かれるタクシー券も、当時はめちゃくちゃが当たり前で、大学生のわたしは、マスメディアはそういうとこだと思っていた。
繰り返しになるかもだけど、かつてそうだったということ、かつてそのスキルを得たということは、いまを生きるのに、経験値としては役に立ちはするけど、変わりゆくものには、常に変わりゆく自分として向き合う気持ちがなければ、皮肉なことに、これまでやれたことすらもなにもできなくなってしまう、そんなことをわたしは知っていった。
そんなふうにやっていったら、人生なんて、あっという間で、振り返っているひまなんて、なにもないなと思うわけである。
◇
近況を箇条書きで列挙しようと思ったのだけど、バイトのことくらいしか書けなかった。
ほかにも▽人間関係▽新しく始めた勉強について▽健康について、書きたかったけど、またの機会に。
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