見出し画像

新聞記者を辞めて10年経つのに未練たらたら女のひとりごと

※途中から有料になります。理由は、内容が個人的すぎて生生しいから、それだけです。

さいきんは、季節の変わり目だからか、体調がしばらく揺らぎぎみで、その影響もあってなのかわからないけれど、なにもかもネガティブに考えてしまう自分がいる。

そんな卑屈でネガティブな受け止め方は、おかしいでしょ、と自分で自分につっこみを入れながらも、それをコントロールすることができないのが、やっかいなものである。

でもまあいずれ、自分はすぐに変わるし、抜けていくものだろうし、ずっと同じという状態はないから、そのまま様子見しながら過ごしている。

そんなメンタルリズムのなか、さいきんは、いま振り返ってみれば自分なりにはかなり根を詰めてやっていた勉強が、いろいろプレッシャーの強い仕事のストレスなどとも重なって、その反動で、あまり時間が作れなくて、ゆえにあまり身が入らなくなってしまった。

もともと最低でも週20時間は勉強時間を確保しなければ合格できないような資格で、その勉強に打ち込むとなると、けっこうなほかのことを犠牲にしなければいけなくて、

でも、自分の性格的に、なにごともやるからにはエキセントリックにしっかりと完璧にやりたいものだから、勉強をしているときは、かなりほかのものを犠牲に、のめり込んでしまう、というか、のめり込むことでしかできない。

それが、物理的にリソースを割けないとなると、まあ、巷ではよくない精神疾患になりやすい思考とも言われているのはわかってはいるけけれど、ゼロか100かで、ああもう無理、だめだ、ともうぱーんとその反動でなにもやらなくなってしまう。

でもそんな自分に自己嫌悪して、じりじりと蝕んで、それがまた、ストレス。

そして、なにもやらないかわりに、これまで勉強のために犠牲にしていた(ということを、こういう反動期になって初めて知る。こんなに自分、犠牲にして我慢しちゃってたんだ、って)あらゆるほかにもやりたかったあんなことこんなことを、次々とやりはじめる。

それはわたしの大好きなこと、丁寧に料理を作ること、丁寧に暮らすこと、ショッピングをして気晴らしをすること、ロフトやドラッグストアやデパコスやプラザやハンズやアパレルや雑貨ショップや無印やユニクロやジーユーなどなどを、意味もなく徘徊すること、なんでも手に取って、それを使うか使わないかシーンはわからないけれど、そのあらゆる活用シーンをイメージしてそれを使っているときのインスピレーションを膨らませること。

妄想は次から次へと膨らんで、気づいたら、これまでは勉強の講義や問題を解くためにずっと釘付けになっていたスマホの画面は、ネットショッピングサイトを徘徊するためにブルーライトで目を酷使し、食器棚を見た夫から「あれ、また皿が増えてない?」などと言われる。

ストレスがたまると、皿をちょこちょこと買いそろえるみたいだ。美容やコスメオタクでもあるので、コスメや美容器具や、美容グッズも増えている。

とにかく、買い物マラソンといった状態で、そんな自分に途中から苦しくなるけど、マラソンは止まれないものだから、困ったものだ。

そしてそして、もっともよくないことに、ようするにお暇で満たされないなにかでぽっかり空いてしまうくらいに、無駄にエネルギーがあり余ってしまうというか、エネルギーの注ぎ方がアンバランスゆえなのもわかっちゃいるのだけど、

深夜になると、「あの人はいまシリーズ」を始めてしまうということである。

自分で「あの人はいまシリーズ」と名づけているだけなのだけど、この現象はなぜやってしまうのか、ほんとうにわからないのだけど、

頭の中にぽっかり余白ができて、それを満たすためのなにかも物理的に受け付けられない状態になっていて、ほんとうは暇じゃなくて、なにかに駆り立てられるように焦燥感があってそわそわもしているのに、

皮肉なことに「お暇」な状態になっているときに、それをやったら、あとでやな気持ちにしかならないともわかってるのに、やめられずにやってしまう行為のことである。

それが、「あの人はいまシリーズ」。なんのことかイメージいただけるだろうか。

これまで、仕事を一緒にしたことのある、しかし、気が合わなかったり、影で足を引っ張られたり、いけすかなかったり、そりが合わなかったり、むかついたりする人を、衝動的にググらないではいられなくなってしまう現象。

逆に、少なくとも自分だけは一方的にでも、その人を想像したときに、あたたかい気持ちが降り注いでくるほうが多い人は、「あの人はいまシリーズ」の検索対象にはならない。

そういう人にたいしては、きっとどこかでいまも活躍していたり幸せにやっていることでしょうと、祈るような気持ちだったり、たよりがないのは良い知らせだということでしょう、などという気持ちだ。

ゆえに、もっと直球に言ってしまえば、あのときからむかついてむしゃくしゃしてしょうがなかった人が、いまなにをやっているのか、胸糞悪いけど、調べずにもいられない気持ちになるのだ。

これ、なんていう現象なのか、いつも気になるのだけど。



新卒から10年近く勤めた全国紙の新聞記者を辞めて、もう10年も経つというのに、もうわたしは相手からも、会社からも、すべてから、なによりも自分自身も、10年もたったら、もうそのときの細胞も水分もすべて入れ替わっているはずなのに、

わたしには、いまも目の前で相対しているかのような、まさにいま起きている出来事であるかのように、あのときのむかつきや呪いがいまのむかつきや呪いであるかのように、いまも生傷どころかむかついて、呪って、しょうがない人たちというのがいる。

昨夜、十数人くらいの、同期だったり、支局が一緒だった記者の名前+会社名を調べた。

それが全員見事、女性だった。

男性が誰一人もいなかった。

なぜ男性記者が一人もわたしの検索対象にあがらず、全員女性なのか。

わたしはなぜ、そんなに「女」を呪っているのか。

そんな自分を見つめ直したくて、受験生で、こんな一分一秒無駄にせず勉強もしなきゃいけないとわかっているのに、それを文字にあらわしてみるという試みを、せずにはいられなくなって、久しぶりにこうして文字を打っている。

昨夜は夫があと1、2時間後には起床するくらいの時間まで、夫が歯軋りをするのを、いつもは、悪い夢にうなされていないかとか、眉間に皺を寄せていたり、食いしばって硬くなった顎や体の緊張を解いてあげるために、

また、一緒に寝ている犬も、布団に埋もれて窒息していないだろうかとか、室内環境が快適に保たれているだろうかとか、

わたしは彼らのもとにいつもなら駆け寄るのだけど、

昨夜は、夫がいつもよりストレスが強めで歯軋りも激しくて悪夢にうなされていそうな気配も伝わってきてわかってはいたけれど、それすら聞こえなくなってしまうくらいに、わたしは、ひとりひとりの女性の名前を打ち込み、その検索結果を見るという繰り返しの手を、やめたいのに、止めることができないくらいに、没頭していた。

ここから先は

9,286字

¥ 500

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?