かたや「公衆便所女」と罵られ、かたや「被害者」として「正しく」取り扱われるわたしが伝えたかったこと
※この文章には、性被害を想像させる表現などが含まれています。ご注意ください。
先日、こんな記事を書いたのだけど、
noteは文字数には決まりがないので、書こうと思えばいくらでも書けてしまうのだけど、これはたしか8000字強くらいの原稿になってしまって(毎回400字くらいで簡潔に分かりやすく伝えられればいいなあと思いつつ、こうなってしまう)、自分でもいつも「長っ」って突っ込みを入れています。
ということもあり、書き終わって改めて、わたしはこの原稿でなにを伝えたかったんだろう、どんな人に届いてほしいんだろうということを考えてみました。
もちろん、書く前も、どんな人に届けたくて書くのかな、とか、なにを伝えたくて自分は書いているのかなというおおまかな設定はあります。
だけど、書きながらだったり、書き終わって、そのぼんやりとした輪郭がはっきりしたりすることがあって、今回はとくにそういうたぐいのものでした。
どうしても、どうしても、このことを書きたい、というものがあって、何度も挑戦しようとはするんだけど、苦しくて途中で手が止まってしまったり、で、結局なにが言いたいのか自分でも分からなくなってしまったりして、書き散らかした下書きがたまっていく一方な文章は、けっこうあります。
とくにこの件に関しても(まだすべてを出し切っていないというか、どこまで出そうというのもあるのですが)そうで、だけど、ふとなにかのタイミングで書きたくてうずうずしてしまう衝動には逆らえないため、吉と出るか凶と出るか分からないけれど、やってみるしかないなと思って、書き始めたわけです。
その結果、今回なんとか、現状の自分ができるレベルでは満足する範囲内で着地はしたので、アップすることにしたという次第です。
前置きがとても長くなってしまったけれど、この「公衆便所女」の原稿は、書いててほんとうに、苦しかった。
とはいえ、いちばん精神的に不安定だった20歳代後半から30歳代前半の時期は、もっと自虐的で露悪的なかたちでそれを表現しようと試みていたし、セックスをはじめあらゆる逸脱行為をすることも、いまの苦しさから解放されるために避けては通れなくて、その先に幸せがあると信じていた。とにかく楽になりたかった。
いまとなっては、ぼろぼろになるまで自分で自分の体を痛めつけることが生きることだと思っていたあの時期のわたしは、ただただ溺れている人だった。
それに気づいた自分が、自分で自分をすくいあげようと思って、海から陸へと自分の足で歩き始めようとするなかで、今回の「公衆便所女」の記事は生まれた。
だから、もともと陸で、当たり前のように歩いている人からすれば、「こいつ、歪んでんなあ」と映ってしまうかもしれない。だけど、わたしからしたら、ついさっきまで溺れていたのだから、どうかこれ以上、また棒で海に沈めようなんてことはしないでくださいという思いです。
なんてことを話したら、また話が逸れてしまったわけですが、「公衆便所女」の記事で、わたしがいちばん伝えたかったことについて、こんどこそしっかりお伝えします。
わたしが大学を卒業して初めて就いた職業が、新聞記者だったわけですが、その新聞記者時代に経験した、ASD(自閉症スペクトラム、当時アスペルガー症候群)での特性ゆえや「若い女」であるゆえに負った「傷つき」や「トラウマ」が、その後どのように変遷していったか、また、その経験が「わたし」という人格形成や、たどる道に、どんな影響をおよぼしていったのかということを、わたし自身が書いてみたかったのです。
そして、この文章は、「性被害」や「障害」だったりの方に限らず、声を潜めて生きていかなければならなくなった状況のなか生き抜いてきた、あらゆるサバイバーの方々に届いてくれれば、うれしいなあと思います。自分でそういうことを言うのはおこがましいのですが、やっぱり、文章って書くうえで、「届け」って祈りを込めてじゃないとできないというか、祈ることに似ているなと思うからです。あらゆる「ひとごと」には祈ることくらいしかできないみたいなかんじです。
さいきんは、性被害を当事者が告発することで社会運動していく#MeToo関連で、映画業界での性被害を告発する記事などが増えています。誰にも言えずに自分だけで抱えていたものを世に出すということは、当事者にとってもとても勇気がいることだし、告発がメディアによって明るみになることで、よくぞ言ってくれましたと、いろんな意味ですかっとしている人もいるのではないでしょうか。
わたしはいま、性被害の当事者が告発するメディアの「被害者」というものへの取り扱い方や描き方が、気持ち悪くてしょうがないのです(告発した当事者のことが気持ち悪いのではないです。ここは誤解してもらいたくないです)。
性被害というものが、一人の人間としてではなく、「女」という記号に押し込めるものだとしたら、メディアのやっていることは、「被害者」という別の記号に押し込めている行為と、なんら変わりないからです。
わたしは、あの「公衆便所女」の記事で、「被害者」「加害者」なんて、ものごとをはっきりと分かりやすく理解したい外野の人たちのために、そういったポジションが付けられるわけだけど、実際の、「被害者」というのは、もっともっと混沌としていることを伝えたかった。こういうジャンルを取材するわたしは記者というよりかは、凝り固まった境界を溶かしていくソーシャルワークをしていきたいと常々思ってきたわけです。
「女」もだけど、「被害者」だって、清らかで、「正しい」ことだけをするわけではない。わたしは、「公衆便所女」の記事では触れなかったけど、それとは別に強制性交等の被害に遭い「被害者」にもなったことがある。かたやそこでは「被害者」だったけど、かたや別の場所では「この公衆便所女」「汚い」「出ていけ」なんて罵られて追い出されたりしてるわけです。
わたしは新聞記者時代に「女性記者」という称号でもって、関係者しか知りえないプライベート写真まで内部流出させられて、週刊誌から立て続けに性的おかず記事にされた。
その後の社会的ダメージによって、精神を病むという経験を初めてした一方で、わたしはそこでの傷つきやトラウマの克服として、性的なものに目を逸らすのではなく、メンヘラクソビッチ(当時の自分がそう言葉で思っていたことなので、正確に伝えるためにこの言葉を使います)になることで強くなろうとしたし、そうなれば自分のなにかが変わると思っていた。
果ては、愛し続けた男に「公衆便所女」と最後には罵られ、わたしのメンヘラクソビッチはフェードアウトしていくわけだけど、メンヘラクソビッチだった当時は、<どうせ「わたし」が欲しいんじゃなくて、「女」がほしいんでしょ?「女」なんあげてやるよ、さあ消費しろ>という心意気で、いかに世の中の男の人が人を人として見ていないか、女性蔑視であるかということなどを、「そらみたことね」「やっぱり」と立証したかった。この目で見て納得したかった。そんな自分は汚いと、自分で自分を痛めつけたかった。クズな相手をクズとして軽蔑して加虐することで、あのときわたしを週刊誌に売ったり、色眼鏡の偏見でもって態度を変えたあらゆる人たちに、復讐できている気分になった。だから、相手はクズであればあるほど、よかった。
だが、そんななかで意外だったのは、支配欲でもって初めは近づいてきた男性が、ふたを開けてみれば、ドMであることも少なくなかったことだ。セックスをスマートにリードできる男性が優れているとされているけど、そういう社会の重圧に、男性は男性で負担に感じている人も意外と多いんだという事実も知った。
パートナー(女)には機能不全だと思われていてセックスレスだけど、それはパートナーの「男だったらこういうセックスをするべき」という期待や思い込みがそうさせているだけで、実は全然健全な男性もいた。ここでなにを言いたいかというと、女も「男」を押し込めているということだ。
そんなふうに、これはわたしの話だけど、誰だって、すべてがすべてで、「正しく」できているわけではない。なのに、「被害者」をめぐるメディアの伝え方は、とても硬直的で不自然だ。
病院だったら「スタッフ」にたいして「患者」、福祉施設だったら「スタッフ」にたいして「利用者」などという役柄があって、本来はフラットな関係性であるわけだけど、人員不足による多忙な業務のなか「スタッフ本位」になりがちだということは課題となって久しい。
同様に、「被害者」をめぐるメディアの伝え方も、「取材者本位」になっていないだろうか。
わたしは新聞記者として被害に遭った方への取材、またあるときは福祉現場で生活に困窮する方や精神障害のある方への相談員として支援した経験がある。一方で、被害に遭ったことで、さまざまな専門職の方々や福祉施設のワーカーに、自らの経験を語ったり支援された経験もある。
女性ジャーナリストの告発がきっかけで2018年ごろから#MeTooが日本にも広まってきたことで、わたしもそうしなきゃいけないのではという焦りというか、黙って行動しない自分はずるくて卑怯なのではないかといてもたってもいられず、冷静さを失ったまま、以前の記事では「わたしは連帯ができない」といいながら、実は自らメディアに「告発」も行ったことがある。
だけど、実際に記事になると、「わたし」は「わたし」ではなくなって、メディアにとって「被害者」のひとりでしかない、なんてことのない、すぐに忘れて消費されていくような「情報」「コンテンツ」の一つになった。そんなこと分かっていながら、自ら取材に同意してしまった思慮のなさへの強い後悔におそわれた。
ほかの性被害の告発記事を読んでも、きっと被害者ひとりひとりはそれぞれ、自分の言葉で伝えているはずなのに、わたしも当時取材に来た記者に、自分の言葉で語ったはずなのに、どれも似たような「被害者」の記事におけるきれいな文脈に置き換えられてしまうことが、それが公共性を持つニュースという特性上当然でありながらも、さみしくて、むなしい気持ちになった。
世に出た記事を見て、自分のことなのに、もうなんかどうでもいいという気持ちになってしまうのだった。逆に、首から下の両手を握りしめるアングルの写真をなど見ると、これはわたし?、別の女性か、などといまでも動悸やフラッシュバックをしてしまう。
いつでも被害者が「正しく」て、清く扱われている。もちろん、取材対象である限り、どんな極悪な取材対象であれ、等しく公平に、丁寧に、人として扱うのだけど、そういう話ではない、被害者像への硬直さに違和感をおぼえるということなのだ。
いまの「被害者」が告発した際にメディアで取り扱われる現状がそうであるのならば、それは多くの告発した方々が言っているように、「告発」ということをしたい人がすればよくて、決して強要するものではないし、告発できない自分に罪悪感を感じる必要などない。わたしとして言うならば、自分が自分の言葉をほんとうの意味で見つけるときまで、一人の当事者として、またいち記者として、待てる人でありたいと思う。
「告発」したことのある当事者としても、まだ、自分のなかで言葉として実っていないなかでの、生煮えのなかでの告発は、告発することで自分のなにかが変わるかもという期待もあったけれど、本来の自分が備え持っていたリカバリーする力を奪ってしまったというか、その自分の力をその程度だと軽く見つもってしまっていたのではないかと思う。社会の求める「正しさ」に応える存在で自分がいることのほうを優先する行為だったのではないかと思う。
だけど、メディアの発信のペースや展開は、「性被害」をテーマとするものひとつとっても速くなってきていて、それは、テコでも動かなかったような時代より、わたしたちにとって力づけられ生きやすくなっている部分も多い。だけど、それによって、傷ついた人や喪失をした人の本来持つリカバリーの力の目を摘んでいないか、その人からほんとうの意味で発せられる「言葉の力」というものを軽くとらえていないかーーといった点についても、わたしたちは同じくらい、「わたしたち本位」での理解のために活用するだけではなく、もっと「ひとりひとり本位」での理解にも、想像をめぐらせて、助けになる存在でなければいけないと思うのだ。じゃないと「被害者」への負担ばかりが大きいことで成り立ついびつな構図は変わらない。
「被害者」といっても、わたしも強制性交等で被害者になった際、ただ、どうすればよいか分からなくて話を聞いてほしかった県警の性被害相談センターに電話で伝えるやいなや、すぐパトカー向かいますといって、黒いスーツの女性警察官に両腕をかかえられて、産婦人科に連れていかれ、「被害者」になる心の準備もないまま、あれよあれよと「被害者」になっていったのだった。
そんな本人の意思とは関係なく、男に生まれたり女に生まれたり、どの時代にどこの国に生まれたり、どんな事故や災害に遭ったりということが選べないのと同じくらいに、たまたまもった「被害者」という称号なのに、そんなふうに自分以外のものによって、ひとり歩きさせられたらたまったものではないのではないか。同時に、「当事者性」というものが、「強い」人だから発揮できる特別なものではなく、もっと普通にそこらじゅうにあるような世の中になればいいのになと思っている。
そんな、いまのメディアが描く「被害者」像に感じていた気持ち悪さについて、きょうはつらつらと書いてみました。
「告発」している被害者の記事などを見て、わたしはそんな「正しい」ことばかりしてきたわけではないから言えないな、不純な気持ちはないとはいえないし、ふしだらだったのは事実だし……などと、自分をさらに責めたり、もやもやしているような人に、この文章が一人でも届いてくれればうれしいなという祈りを込めて、終わりにします。
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