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【いつでもその気持ちは、その時が旬である】だから今書くのだよ

書くことが続けられない。

それは「書けないから」
と思っていたけれど、

「書けない」という4文字に
自分が何を詰め込んでいるのか
少し丁寧に感じてみると

「書けない」のではなく
「書きたくない」小さな理由が
たくさん詰まっているものだ。

こんなことを書いて馬鹿にされたらどうしよう。
変な奴だと思われたくない。
誰にも相手にされないかもしれない。
間違ったことを言いたくない。

恥をかくくらいなら、何もしないほうがいい。

そうやって諦め、
書きたいと感じた気持ちすらも
なかったことにしたほうが
安心していられるから。

「書きたい」と
「書きたくない」のはざまで揺れながら

どうすれば役に立つのか
必要とされるのかと
誰かに求められる「私」を探して

考えれば考えるほど
私だけの感性は閉じていく。
そうなると書けなくなる。

書くことの向こうに
何を求めているかは人それぞれだと思いますが

今の自分が感じていることを言葉にする。

この行為そのものがすでに尊いのだから
感じたままの私であることを
ただただ許していけばいい。
最近はそのように感じています。

それは「今」しかできないことだから。


主人が亡くなった時に書いたこの記事を
ふと読み返した時に思ったのです。

もうすぐ丸4年か。
という月日の流れを感じながら
読み進めたとき

いちばんにやってきたのは
「こっぱずかしい」という感覚。

それに比べて、
当時を思い出して悲しくなる感覚はほとんどない。

文字としてここに、
一旦出し終えているからでもあり

文字にしたことで、
より客観的な視点で眺めることができているからかもしれない。

確かに自分に起きたことだけど
その時の自分をハッキリと覚えているけれど
どこか遠いことのような。

それは
「今の私」が「当時の私」を見ているからだ。

「今の私」は「当時の私」を
もちろん知っているし、覚えているけれど

「今の私」の内側にわくものは
「今の私が感じること」であって

「当時の私が感じたこと」とは全く別のものだ。

至極当然のことを言っているが、
つい忘れてしまいがちではないだろうか。

いつでもその気持ちは
その時が旬であることを。

その時にしか、
書けないものってあるんだよね。

一瞬たりとも同じ空もない


自分の内側にあるものに
言葉をあてがっていく作業が好きで。
そこから文章という形にしていく作業も好きだ。

自分の内側の感覚に
言葉がピタッと当てはまったときの
スッと通るような爽快さと、
じわっと満たされる感じが好きなのだ。

だから私にとって、
「書くこと」は好きなこと。

言葉にならないことの方が
大半だけれど、
言葉として表現したい。

この気持ちはずっと持っているものです。

ただ、
感じることも考え方も
日々変わっていくじゃないですか?

その時は確かに
自分の内側にピタッとハマったとしても

時が経つと変わることもある。

私のそれは、結構早いし
何より拙い文章は
時がたつと本当に恥ずかしく感じるもの。

ここでもまた、
気持ちは変わらないほうがいい。
もう絶対に変わらない「答え」しか
発表したらダメ。

自分ですら恥ずかしくなるような
未熟なものを出してはいけない。

だって、
いたたまれない気持ちになるから。

それを感じなくなるまでは
レベルを上げるまでは
書かないでおこう。

というような、
恥をかかずに済む方へと
思考は誘ってくるわけで。

恥ずかしいから消してしまう?
書き直す?
もう辞めたら?
と色々提案してくるのです。
何度つまづいたかわかりません(笑)

ただ今は、
その時にしか書けないものがある。
ということがようやくわかってきたので

気持ちのままに残してくれた
当時の私、よくやった。

と思っています。

今の私が出した答えは
何年か後の私からみたら
ただの通過点でしかない。

だからこそ、
今の想いに光を当て
熱を吹き込むことを
大切にしていきたいのです。

それは今しかできないことであり
ずっと繋がっていくものだから。



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