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009 昭和から平成へ、平成から令和へ

まもなく平成が終わります。
中学生の時に昭和から平成となり、あっという間に平成という時代が終わろうとしています。

平成という時代の中で、高校、大学、就職と、人生の選択をし、夫と結婚して、長女、次女、末っ子と授かり、私の人生に大きく影響する30年間でした。

初めての人生の選択となった、高校進学。
公立高校への進学を考えていた私でしたが、担任の先生に、公立ではおつりが来るから、私立を受けてみてはどうか、と言われて、あれよあれよと3年の2学期末に私立も1校だけ受験することに。
希望していた公立より学力的には上の学校に受かってしまい、親に言われるがまま進学してしましました。

小学校の頃から、東大に行きたいと思っていたのに、大学の付属だった高校の入学式で、当校の授業では大学受験できないので、受験を考える人は、塾に行ってください、と言われて自然と断念。公立の何倍も授業料がかかる私立に進学したため、塾に行きたいとは言えませんでした。

高校から大学の学部を選ぶ際、私は経済学部を希望していましたが、父親は法学部を希望し、進路希望を提出する際、行きたくもない法学部を1位に書かせられたため、経済学部に進むには成績を落とすしかなく、なんとか調整して、経済学部へ無事に進むことができました。

大学では、一生懸命卒論を書き、教授に大学院への推薦を頂きましたが、親に反対され、進むことができませんでした。学費は自分で稼ぐと言ったのですが、とにかく反対。諦めた頃、大学院へ言っても良いぞ、と言われたのですが、すでに推薦状の提出の締め切りが過ぎた後でした。

就職は、親に何を言われようと、行きたかった出版社へ就職。
そしてようやく私は、親から逃げるように自由を手に入れたのです。

平成を振り返り、東大へチャレンジする機会を失ったこと、大学院に進めなかったこと、あのときこうしていれば、ということの積み重ねがたくさんあります。

親に支配されたおよそ二十年(父親自身が、親はこどもを支配しなければならないと、今でも言っています)。
強くなれなかった自分を恨むこともありますが、1つ違う選択をしていたら、夫やこどもたちに会えていなかったのだろうと思うと、意味のある試練だったのでしょう。

令和でも、毎日楽しく過ごしていきたいと思います。

「一芸に秀でる子」をモットーに、部活のために中2から私立に転校して寮生活を送っている中3、受験勉強を自ら希望し、読書力だけで乗り切ろうとする小6、彼氏アリのおしゃまな小2の三姉妹を育てる母です。普段は、書籍などのデザイン・編集・雑用をこなす、獅子座のAB型です。