#4 2022/07/24 30歳。アイデンティティの確立か、若者との触れ合いか。
30歳。いよいよ本格的な大人だ。
キャリア的には、もっと授業の上達と、ソツのない事務作業へ。
働き方改革の進まぬ高校の現場において、高校の教員には必須のスキルだ。
人生設計上は、そろそろパートナーがほしいところ。自分が幼い部分が多く残っている分、現状はだいぶ魅力がないようで、見通しは一向に立たない。
そのほかにも目指すものなんてたくさんある。たくさんありすぎて、文字起こしするだけで一生が終わってしまいそうだ。
そして、誰に言われるまでもなく、せっかく生きているこの人生。しっかり全うさせていただく。
さて、齢30となれば「アイデンティティ」が確立されてもよいお年頃。そんなものがしっかりと言語化できれば話は早いが、そんなことができていないから、こうしてめったに更新もしないnoteをダラダラと書くのだ。
1 アイデンティティ
私のアイデンティティ。教員としてなら、「生徒が主体的に学び、生徒の学力を伸ばす授業」ができる(ようにする)こと。現在、生徒指導主任を行っていて、分掌の能力も伸ばすことも必要なのかもしれない。ただ、分掌の仕事なんて、教務以外は学校にいる生徒のニーズに合わせて変化するのだし、あまり普遍的とは言えない。できれば「普遍的」「一般的」なスキルに目が行きがちな私にとって、その「普遍性」は授業に向く。
「授業だって、その学校ごとのニーズ(層)にもよるじゃん!」というご意見もあるかもしれない。それは、おっしゃるとおりだ。しかし、私は、そのような「特殊性」に目を向けるような一般的な教員を目指さない。あくまで私見だが、生徒の信頼を勝ち取っている教員の特徴は、「生徒の何がわかっていないかを把握し、それを目の前の生徒に上手に伝え、生徒が少し背伸びをするような課題を与え、生徒が背伸びをしているような感覚にさせないように、いつのまにか成長させ、生徒自身が授業・学びを楽しんでいる仕組みを提供しているエンターテイナー」だ。
少々定義が長くなってしまったが、私はそう考えている。そして、上記の定義は、きっとどの生徒の層にも通用するような「普遍性」「一般性」を持ちうる。
では、そのような教員になる(もっというと、目指す、なり続ける)ためには、どうすればいいのか。
…わからない。
ただ、わからないからこそ、自分が生きている時間をフルに使って目指したくなる。座学はもちろん、経験も大事だし、知覚したことを記録すること・言語化すること、他者とは異なる視点を持つこと。たくさんありそうだ。
こうやって生きていくことを決めているので、他人になんと言われようとも、私は私らしく生きていく。「〇〇すれば?」とかくだらない提案を私にする人間も過去にはたくさんいたのだが、そんなことはどうでもいい。
いや、そこは、「どうでもいい」と少しずつ思えるようになった。それは自分に自信が出てきたこともそうだし、年とともに頑固さがさらに際立つようになったのかもしれない。
2 若者との触れ合い
こうした自己のアイデンティティを確立することはよろしいことだが、同時に失うものがある。それは、「自分にあり得たかもしれないアイデンティティの喪失」だ。
私には、数多の「先輩」がいる。それは、単純に年齢的なものもあるけれど、経験上私がしてこなかったことを済ませているならば、それも含むこととする(つまり、年齢だけではない)。そして、単純に実在するものか、関わったことがあるものか、というと、そうでもない。勝手に尊敬し、勝手に崇拝している偉人も含むのだ。
今回、私が取り上げる先輩は、「吉田拓郎」と「米長邦雄」だ。どちらも、直接コミュニケーションをとったこともないけど、私は勝手に崇拝している存在だ。
では、なぜ私が彼らを崇拝しているからというと、それは二人に共通する部分に深く感銘を受けたからだ。それはなにか。それは、「50歳前後で今までの自分を大きく変えて新たな在り方を見出した」という部分だ。
「吉田拓郎」は、音楽界では言わずもがなの存在。だが、1990年代は、作品数や世間への露出が少なくなり、1970年代・80年代と比較すると元気がないように見える。ただ、転機はテレビ番組「LOVE LOVE あいしてる」の出演だったと捉えている。30歳以上も年下のKinKi Kids・篠原ともえらとの出会いや活動を経て、何かを捉えたのかもしれない。そこからの活動が若返ったように感じる。
「米長邦雄」は、将棋界では言わずもがなの存在。だが、40代を過ぎてタイトルを取れなくなってきてからは元気がないように見えた。そこから、彼が何をしたのかというと、自分の将棋をもう一度作り直したのだ。具体的には、自分よりもキャリアも年齢も少ない若者を家に招いて、最新の将棋の戦法・戦術を一から学びなおしたのだ。その研究も相まって、49歳11ヶ月で「名人」位を獲得(最年長在位)を達成したのだ。
両者は、今でいうと「レジェント」だ。そのような偉大な存在たる要素には、きっとそれぞれのアイデンティティや培ってきたものがあったはず。でも、それは、「あり得たかもしれないアイデンティティの喪失」も意味する。彼らは、アイデンティティの新たな可能性を、若者との触れ合いとそこからの学びにかけたのかもしれない。
私は、そのような先輩方の姿勢を素直に学んだ。そして、30歳といえども、徐々に硬化する「自分」をいかに柔軟にしていくか、ということも豊かな人生を送る上では大切なのではないか、と考えている。
3 これから
そういえば、昨日、若者に触れた。具体的に言うと、卒業生2人と鎌倉に遊びに行ったのだ。年上や同年代と遊ぶことはあっても、年下と、もっというと、10歳以上離れた年下と遊ぶことなんて、めったにないような気がする。
その経験は、私を若くしてくれた。具体的には何か、というわけではない。ただ、2人もそうだし、彼らの会話に出てくる登場人物は、新たな出来事に触れ、それらを通して何かを掴んでいるのだ。そして、では自分が現在そのように生きているかというと、あまりそうとは言えない。
その若返りは、何と表現したらよいかわからない。ただ、頑張って思いつく限りで表現すると、「若者に恥ずかしくないような表現・結果を生み出し、求め続けること」だと考える。
人間は一般的に、年をとると段々「自らが成し遂げてきたこと」を自慢するようになってしまう、と思う。そして、「じゃあ、今は何をしているの?」と問われると、実は大したことをしていない、ということはよくあると考えている。
「口しか動かさなくなったオジサマ・オバサマ」を見ていつも思う。「口を動かして気取らずに、手を動かせ!」と。それは、能力のない生徒・伸びない生徒にも同様の感想を抱く。スティーブ・ジョブズだって「Mac」を生み出したら称賛されてそれにあぐらを組んで終わっただろうか? 2人の先輩だって、名曲を生み出したりタイトルを獲得して満足しただろうか?
みんなに聞いてみたい。
「今、何をしているの?」
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