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がんばりすぎる女、とものnoteデビュー

こんにちは。がんばりすぎる女、ともです。
2020年12月、noteデビューしました。

体力がないのに、双子含む3人の男の子の母やってます。
基本、がんばることで、人生くぐり抜けてきました。
今は講師向けのコンサルタントとして、スピリチュアルな力も使いながら、リーディング付コンサルをメインに活動中。
また、感情を育てて理想を現実化する『怒活メソッド』の外部コンサル兼広報部長として、マガジン連載中です。

ともの学生時代

小学生時代はガチガチの優等生。周りから浮いている・・・?とは思いつつ、ちょっとしたいじめなどをかいくぐりながら、乗り切りました。

中学生時代は成績はいいものの、いわゆる暗黒時代。親友が1人いたことにはかなり救われていましたが、私の親友のことが大好きだったリーダー格の女子にロックオンされてしまい、そこそこ苦しい日々を送ることに・・・KinKi Kidsにのめり込んで現実逃避することで、大半心を閉ざしていました。

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高校でプチデビューし、のめり込むものも見つけましたが、思い上がっていた視野の狭い生意気な小娘は、『日本の大学に学びたいことなんてない』と受験は放棄。

高校卒業後、アメリカの短大に入学し、アメリカナイズされたいけ好かないねーちゃんしてましたw まぁ、やることはしっかりやっていたので、基本卒業まで2年かかるところ、単位取りまくって1年半で卒業しましたが、今思い出しても、決して絡みたくない小娘でしたw

その留学生活も、母親の体調不良のため、4年制大学に編入して半年くらいで無念の帰国。父は仕事、妹は高校生だったため、宿泊施設でフロントのバイトをしながら母親の介護をする生活になりました。

フリーター、無職、派遣社員を経て、英会話講師の道へ・・・

そのバイトもままならないくらい、母親の体調が悪くなってからは、バイトも辞めて平日は母親の介護一色に・・・病院の送り迎え、家での介護、家事、その他もろもろがんばっておりました。

わずか21で、母親の余命宣告を1人で聞くという経験をしたことも、家族みんなで母を看取れたことも、今となっては、いい・・・いや、よくはないけど、大切な思い出です。

その後、派遣で企業受付をしながら、家事を優先に働いていましたが、がんばってもがんばっても先の見えない職に焦りを感じ、23の時に英会話講師としてデビュー。勤務を始めてから、がむしゃらに努力し、TOEIC840⇒970に、英検準1級を取得。大嫌いだった文法も教えられるようになり、延べ10000人以上を指導。講師育成サポートもしながら、トータルで約8年勤めました。

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結婚と出産で『起業』の道へ・・・

2014年4月、長男を出産したことで、勤務は難しくなり専業主婦に。でも、もともと主婦業が好きではないので、苦しくなり、何かしたくてたまらない気持ちが抑えられなくなりました。

その時、育児サークルの友だちに、『英語のレッスンしてほしい!』と言ってもらい、きっかけをもらったことで、一念発起。同年11月に当時住んでいた兵庫県伊丹市で、親子英語サークルを立ち上げます。

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長男を抱っこひもで抱っこorおんぶでレッスンを行っていました。これが、ありがたいことになかなかの人気を呼び、キャンセル待ちが続出。この時あたりから、個人でがんばっておられる先生方の相談にも乗るようになりました

2016年、サークル活動に加え、長男を一時預かりに預けて、週2で企業での講師業を再開。試行錯誤しながら、講師活動を続けますが、秋に双子を妊娠していることが判明。つわりがひどく、1日10~20回くらい吐くようになってしまい、とてもじゃありませんが働ける状態ではなかったため、年末までに全ての勤務の仕事は引き継ぎ、サークルも休業。

2017年1月から新潟にある夫の実家へ、当時2歳の長男と2人、里帰りをさせてもらいました。

その後4月に妊娠31週で緊急帝王切開。双子の次男・三男を出産します。双子は早産のため、1500~1600gでしたので、2ヶ月ほどNICU、GCUに入院をしました。8月に家族全員で兵庫に戻り、完全ワンオペ生活が始まります。

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夫の実家で助けてもらえるありがたさを知った後の、3歳&0歳双子ワンオペ育児は、本当につらいものがありました。。。

このままじゃ自分がつぶれてしまう。なんとか双子を4月から保育園に預けたい。でも、預けるには働かなきゃいけない。でも、誰のサポートもない、3人の乳幼児を抱えた30過ぎの女を誰が新しく雇ってくれる!?と思い、起業することを心に決めます。

そうして、同業の先生向けコンサルタントとして起業。長男は幼稚園、双子は保育園に預けて、無我夢中で仕事をしてきました。

ワンオペの限界から新潟移住へ

それでも月の半分を休むこともある双子。しかも、長男が溶連菌にかかり、そこから高熱が下がらなくなり入院騒動に。すんでの所で回避はできましたが、双子を乳児院に預ける手続きや、こんな状態になってもなかなか休めない夫に絶望感が・・・

そこで、ふと気がつきます。

『私たちが関西にいなきゃいけない理由ってあったっけ?』

そう。関西にこだわっていたのは私だけだったんですよね。関西で生まれ育ったから、なんとなく離れたくなかっただけ。

でも、もし、家族みんなで新潟に移住すれば。。。

●いざというときに義実家に頼れる
●頻繁に会えるようになり、義両親も子どもたちも喜ぶ
●園や学校の行事に義両親を呼べる
●新潟市内は意外に都会だから、田舎が苦手な私も住める

●保育料が関西に比べ、かなり安い
(元々の金額も安い上に、第二子が4分の1、第3子無料)

反対に関西にとどまれば。。。

●誰にも頼ることができない
●園や学校の行事もほぼ1人で参加しなくてはならない
●どんなに体調が悪くても入院すら難しい
●保育料がかなり高い

あれ、これ、関西にいる意味ないよね?
新潟に行った方が、みーんな幸せになれるんじゃない??

そう思って、新潟移住を決断します。夫には転職活動をがんばってもらい、無事、2019年3月に家族そろって新潟市に移住することができました。

新潟での活動

新潟に移住してからは、コンサルの仕事はいったんお休みし、ママ向け・親子向けの英語講師として結果を残すことにコミットします。3月に移住して6月には活動開始。半年で延べ260組の親子にレッスンを開講しました。

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201978 ママカフェ第1回 子どもと楽しむおうち英語_190709_0010

そろそろ減速しようかなーと思っていた頃に、

●ある先生にコンサルを依頼されてコンサル業再開
●コロナの流行が始まり、レッスンを大幅縮小&オンライン化

します。そこから、英語講師は卒業し、コンサルに集中。なぜかスピリチュアル能力も開花し、今はスピリチュアルリーディングもできるコンサルとして活動しています。

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でも、活動すればするほど、なんだかどんどん苦しくなってきている自分に気がつき・・・どうすればいいんだろうと悩んでいた頃、『怒活メソッド』と出会います。

怒活メソッドとの出逢い

もともと怒りやすい性格で、感情が不安定だった私。どんなに学んでもがんばっても、解消されない・・・と、八方塞がりな気分を味わっていました。そんな時紹介された、怒活メソッドの話を詳しく聞いたとき、涙が止まりませんでした。

怒ることが悪いことだと思い込んでいた私。そんな私に、怒ってもいいんだよ。むしろ我慢しない方がいいんだよ。怒りの感情の処理の仕方を学べばいいだけ。また、怒りの根源となる過去の『恐怖』を潜在意識から追い出していけばいいだけ。そうして、感情を育てていけば、余計なことでイライラしなくなるし、がっちがちに自分を縛り付けずに生きていけるようになるよ、と教えてくれたのです。

その時、ようやく自分を楽にできる方法と出逢えたと、感動しました。そして、怒活を進めていくことで、私も、そして家族もみんな、何にも縛られず楽しく生きていけるようになりたい!と思うようになったのです。

今、私は、怒活メソッドを学びながら、感情を育てている真っ最中です。その学んでいる過程で、気づいたこと、腑に落ちたことなどを、学習者の観点から連載記事を執筆しています。同じように悩む人たちに、少しでも届けばいいなと思い、連載を続けていきます。

2021年の目標

2021年は、私自身が肩の力を抜いて生きられるようになること、そして、私みたいにがんばりすぎてしまう人や、がむしゃらに突っ走ってきて自分の本音がわからなくなってしまっている人が、自分らしさを取り戻して輝けるようお手伝いをしていくことが目標です。

がんばりすぎる女、ともが、がんばらないことをがんばるのではなく、自然と肩の力を抜けるようになれるかどうか、あたたかい目で見守ってくださると嬉しいです。


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