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アート事始め【最終話】

記事の初回から2回連続して書いてきた
自己紹介を兼ねたアートから離れてしまったり、遠回りしたけれど結局アートによって人生が面白いものになっているという内容です。


さて、最終話となります。
お読みくださっている方、ありがとうございます。


唐突ですが、ファッションってアートだと思いますか?
もしくは、アートってファッションだと思いますか?


NO!と思う方もいれば、YES!と思う方もいらっしゃるでしょう。
デザイナーの方でも「ファッションはビジネスであり、アートではない」と言い切る方も結構いる。大御所であるカール・ラガーフェルドや川久保玲さんもそのように捉えている。


私はというと、アートはビジネスでもあって流行もある。そしてファッションも然り。「表現し、人々の気持ちを揺さぶらす」という意味では同じであって、アート=ファッション、ファッション=アートだと思っています。


アート、つまり芸術とは何か?を書くとなると、テーマが壮大すぎて今ここでは書けませんが、アートとファッションの大きな違いは、対象物(作品)を人の身体に身に纏えるか否か、ではないかと。

しかし、どちらも作り手の頭の中のイメージ(映像)を再現す(representation)ことは共通で、このrepresentation=表象と日本語に置き換えられる言葉は、芸術を語る上で必ず出てくる言葉であり哲学理論でもあるのです。ここでは、詳細を割愛しますがどこかの回で書きたいと思っています。


第一話の記事に、幼い頃からファッションも好きだったと書きました。
母の影響もあって、何度か幼い頃は手製のスカートなどを着させてもらっていました。今となっては幸福な思い出でもあります。


10代の頃は、バブル期真っ最中のちょうどDCブーム。デザイナーズ・キャラクターズブランド(DC)と呼ばれる日本のアパレルメーカーがこぞってブランドを立ち上げた時期です。日本のファッションが急成長して家庭の手製ファッションから、大手アパレル会社が製作するファッションへの大きな転換時期とも言えるでしょう。


地元にもいわゆる「ファッションビル」が建ち、中学生で価格帯高めなブラック膝丈スカートを初めて購入したりパリのデザイナーアニエス・ベーが輸入されて、高校生で初めてTシャツを購入した時期でもありました。

どちらとも手放してしまったけれど、当時のファッション雑誌「オリーブ」「mc sister」やもう少し大人になって「ヴァンテーヌ」を夢中で読んでいました。今となれば、雑誌から「自分の趣味趣向」が形成されたと言っても過言ではないくらい。まだインターネットもない時代は、紙媒体やテレビ映画が情報源でしかなかったのも大昔の出来事のように思う。


常に、ファッション=身に纏うもの、は人間には必要不可欠で衣食住と言われるくらいである。一方で、ファッションにうつつを抜かしたり大金をかけるのは「浪費、消費」であってけしからんといった一定数の”言説”があって、ファッションは素晴らしい表現体のアートでもあるので、身近すぎるが故にファッションばかり夢中になっていると罪悪感というのが漏れなくついてくる、なんて体感したことがある人も多いであろう。私自身も、漏れなくその一人である。

昔から、布地に安心感や相棒、"ライナスの毛布"みたいに自分を守ってくれたり、布地から作られる衣類は自分を表現してくれたり、憧れたり様々な感情と見に纏うことで憧れを実際に自分のものにしてくれたものだった。

人間の精神性(気持ち)とファッションという外見性について、雑誌「ヴァンテーヌ」で光野桃さんという方が頻繁に書いていらっしゃり、とても影響を受けたし彼女が書く人物と自分を重ね共感を持って、この雑誌も光野さんの書くエッセイも私のファッションバイブルでもあった。


数年前に「自分軸ファッション」というファッションメソッドに出会う。このメソッドは、AIさんという方が生み出したファッション理論である。唯一無二の「自分」をファッションで表現するという内容で、雑誌や他人に振り回されることなく自分の軸(精神性、つまり気持ちや想い)とファッションが両輪となって合致してその方独自性を表現するという非常に奥深いものである。


年代別や性別でメディアが一方的に与えるファッションやそのライフスタイルに辟易している方も多いのではないだろうか。

常識とされるもの、TPOに沿って周囲から浮かないもの、当たり障りのないものetc…これだけ選択肢が多様となっている現在において、もうそんなの真っ平ごめんと心底感じている方にはぴったりのファッションメソッドである。
※現在は、JFニスタ(J=自分軸、F=ファッション)という方々がレクチャーされているので、興味持たれた方は検索してみてください。


このファッションメソッドを実践する中で、すっかり疎遠になっていた「アート」と私との関係性、ひいては「ファッション」と私との関係性に気づき、「正統派な経歴」ではないが自分自身とアートは深い関わりがあることを、ようやく認めていいのだと思えるようになった。

アート業界における「正統派な経歴」とは、なんだかんだ学閥があって大学院や留学はスタンダードであって、学芸員資格を得てやっと就職エントリースタートに立てる。学芸員という仕事は、研究教育といった日本では広範囲に亘りかなりハードワークでもある。稀に、このステップを踏まずして活躍されている方もいらっしゃるが、私はこのプロセスに長年コンプレックスを抱いていた。


しかし、
そもそも私は研究職には飽きっぽいので向かないし、学究的な文言や難解な文章理論を読み解くのは苦手である。
そして、正統派だけが「正解」ではないという思いに至った。

独自視点で平易にもっと身近にアートを伝えたりワークショップをしたりして楽しんでもらえるのではないかと思うようになった。ファッションが私を助けてくれたと言っても過言ではなく、アートとファッションが大きな人生のテーマではないか?と思えるに至ったのです。


期せずして、何かに気づいたり発見したりする経験ってとても面白く、これを読んでくださっている方も何かあるのではないでしょうか?


アートを介して私は今までに自分の感性や感覚、そして衝撃を何度も何度も経験、体感することができました。この経験や体感を私が主宰するArtoMe(アートミー)を通して、新しいご自身の感性感覚、感受性を経験、体感するキッカケになっていただければ本望だということでスタートしました。

それでは、次回はArtoMeはどんなことをするのか?について書こうと思います!










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