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【エッセイ】 刺激ゼロの田舎生活がもたらす「無」の効用

自然の中で孤独に過ごす毎日

当方、7年に渡る「ザ・トーキョーフリーターライフ」でついに金が尽き、アコムで50万の借金をした経緯アリ。

そして、いまや昔話に出てきそうな故郷に出戻りして9カ月が経った。

相変わらず、何もないド田舎に閉じこもって生活している。

コンビニもなければ居酒屋もなく、もちろんエレガントな美女も見かけない。

都会のように電車でサクッと街へ繰り出すこともできない。

大衆娯楽とはほぼ無縁の生活。


今は29歳、体力もあれば煩悩も多い。

つまり、なにかしらで報酬系の刺激をし、快楽を得なければならない。

それは小さなスーパーに売ってある安酒であり、画面に映り込むセクシーな女性であり、出した動画のコメント欄である。

毎度コメントをいただけるのは本当にありがたいことだ。
僕らは同じ空の下でなんとか生きているんだと、広く深い繋がりを感じられる。

無の効用


一方で、平日は家業のアルバイトをしながら、土日にYouTubeの撮影編集をし、空き時間にnoteでモノを書く習慣ができ始めた。

YouTubeではいつの間にか自分なりの型がハマってきて、週1投稿のリズムが形成されてきている。

noteでは自己満足的なエッセイ、東海道を歩いた紀行文などをそれなりのペースで書くようになった。

──今が人生で最も前進できている時期なのかも知れない。


一見なにもない寺小屋のような環境こそが、地道な創作活動を支えていたのである。

はからずとも、人は環境で変わることを自らをもって体現していた。

何もないからこそ、何かをしなければ気が立たない。

これが、無の効用である。

ある意味ではネガティブな動機にも捉えられるが、これには明るい響きが含まれている。


それは「禅」に近いと言えるかも知れない。

少ない刺激で、自然と触れ合ってささやかな楽しみを味わう。

何もないがために、自分で何かを考えて、生み出さなければいけない。

大げさに言ってしまえば、この田舎生活は「自分の中の宇宙を巡る旅」でもあるのだ。

内面を掘り続け、自分だけの小宇宙を広げていく作業。


──相変わらずポエムは気持ちいいな、自慰である。

支出が圧倒的に少ない安心感

そして大事な要素がもうひとつ。

家賃や光熱費を払う必要がないという素晴らしい条件に助けられていることだ。

支出というマイナスが生む不安に煩わされない環境。


東京生活では、その場しのぎのような生活を送っていたこともあり、常にヘビーな感情を抱えていて心に余裕がなかった。

週5で清掃バイトに入り、時に無職になりながら安くない家賃を支払い、あらゆる心配事や憂鬱感で無気力になっていく。

YouTubeへの投稿すら億劫になり、不誠実だが何も言わずに2年もまともに更新しなかったのだ。

(それでも気まぐれで投稿したときには「久しぶりで嬉しい」とコメントしてくれた人には感謝を申し上げたい。)

・・・とにかく、東京生活では常に不安が付きまとっていて、本来持っていたはずの健全な想像力や野心が失われていたのである。


そして今や、祖母の家の敷地内にある「仕事場の空きスペース」に住んでいる。

小屋のような場所ではあるが、僕は5畳のアジトと呼んでいる。

水も電気も通っていているし、近所のお婆さんたちが山菜やら魚やら新鮮なブツを持ってきてくれることも多い。

だから、衣食住の心配はない。

その気になれば、すぐそばにある海が頼りになる。
魚類や貝類、甲殻類でもなんでも獲れる。

土台の再構築

こうした安心安全な暮らしというものは、現状を立て直す場合に大きな力になってくれる。

家業のアルバイトが割と体力を使わずにできることも大きな要素だ。

ここには感謝したい。


そうして、かつて失われつつあった野心が、安心感を土台に再構築されてきている。


ただ、故郷に甘えている現状に後ろめたさはそれなりにあるし、僕にとって、本当に胸を張れる生き方とは少しニュアンスが違うかも知れない。


だからこそ、焦燥感すらもほどよく原動力にして、自分ができる発信活動に力を入れているという次第だ。


よく考えることだが、恥を捨てきれずに東京に残ったとしたら、一体今ごろどんな生活をしていたのだろうか。

他の消費者金融にも手を出していたかも知れないし、重度のアルコール中毒になっていた可能性だってある。

もっと悪いケースも考えられる。

そもそも、まともに8時〜17時の労働すら耐えきれない怠け者なのだ。


そう考えると、故郷に泣きついて得た恩恵は語りきれないほどである。

毎日根気よく何かに取り組むためには、平穏な日々がベースに無ければならない。

生活の中には適度なストレスも必要だが、不安や心配事に覆われると途端に動けなくなるものだ。

少なくとも僕の場合だが。

今後について

もちろん東京や関東は今でも自分の故郷と言いたいほど気に入っているし、そこに魂があるとすら思い込んでいる場所だから、そこは改めて強調したい。

今は明確な理想や目標というものはないが、瞬間的な情熱はある。

「〇〇月にあの大型企画を撮りたいから、今アレコレを終わらせておかないと!」

といった具合だ。

あくまで瞬間的な情熱だから、1ヶ月後には気が変わっているかも知れないが。


YouTubeも今年中に登録者10万人行くことが、とりあえずの目標だ。
(本来なら今月中には達成するつもりだったが・・・)


少なくとも、今自分がやるべきことは定まっている。


希望的観測をすれば、故郷を基本拠点にしながら定期的に旅をしたり、気が向いたら東京に滞在するスタイルもアリなのかも知れない。

そして、いずれまた(特に住む理由はなくても)東京に引っ越すタイミングがくるのかも知れない。


いろんな選択肢に目を向けて、直感の「ビビッ!!」が降りてくるのを待とうと思う。

まとめ

今思い出したが、僕が住む村には3人のフィリピン人(女性)がいる。

20代が二人、30代が一人といったところだろうか。


家族への仕送りのため、真面目に介護施設で働いている様子だ。

ほぼ毎日、ヘルメットを被り、背筋を伸ばして自転車を漕ぐ姿を目にする。

たまに鉢合うことがあり、「こんにちは」とこちらから挨拶をすると、コクリと真顔で頷いて職場へ向かう。

ここ数年、僕が故郷へ帰る前からずっとそんな日々を送っているそうだ。

家族のために、海外出稼ぎ労働。

若いのに誰とも遊ばず、3人で寮生活をしている。

欲はないのだろうか、何かを求めていないのだろうか、もはや無我の境地なのだろうか。

きっと、僕なんかよりもずっと「禅」をマスターしているのだろう。

彼女たちは僧侶だ。きっとそうに違いない。

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