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【エッセイ】海に飛び込むということ

(※後日VLOG差し込み予定枠)

今年初の着水は7月5日だった。

脳天から思い切り地球を刺しに行くイメージだ。

そんな具合で今日はイカれたことを書いていこうと思う。



海はたくさんのミネラルを含んでいる。

肉体にかかる水圧が大きな負荷となり、カロリー消費を促してくれる。

猛暑日を楽しくさせてくれるオアシス。

頭から落ちてもノーダメージ。


母なる大地が柔らかな塩水を通して衝撃を無効化してくれる。
包み込むように、メンタルとフィジカルを癒してくれる。

しかし、飛び込む先の深さは要確認だ。

場所を間違えれば首がへし折れるだろう。 

入院なんて騒ぎではなく、来世に飛ぶ可能性が高い。

海は透き通って見える時もあれば、そうではない時もある。

気まぐれな聖母なのだ。

なぜ脳天から突き刺すのか?

(哲学)

つまり、スリルから得られる独特の爽快感と恍惚感が得られるからだ。

指先から着水なんてものは、競泳選手だけがすれば良い。

素人であればあるほど、無垢であればあるほど、大いに頭から突き刺そう。


やればわかる。


「へーそうなんだー、やってみたいね〜」で終わってしまえば生きている意味がない。

まあそれは僕のプレゼン能力の低さが原因でもあるが、やる奴はやるのだ。

この熱量(シグナル)を感じ取れるセンサーを持っているかどうかなのだ。

脳天着水に憧れないのか?

一度くらい奇をてらってみないか?

新世界へ行きたくないのか?


もう少し噛み砕いてみようと思う。


足からドボーンなんてものは三流。
指先からバシャーンなんてものは二流。
脳天からスコーンこそがプロフェッショナルなのだ。


二流と一流の差は歴然である。

流行っぽさ、大衆っぽさ、俗っぽさは発想を狭めてしまう。

あらゆる人生の選択がパターン化されてしまう。

自分の内側で大きな革命が起きる可能性

(大変気に入っている一枚)

臨場感、つまり命の存続を意識せざるを得ない生々しさが重要なのである。

実際にプレイヤーにならなければ本当の歓喜は味わえない。

これはリスクをとった挑戦のようなものである。

崖から落ちながら飛行機を組み立てるようなものだ。

アコムで借りた10万円で一発逆転を狙って東京から京都まで徒歩旅企画をするようなものだ。(全然バズらなかったが)

結果はどうであれ、やることに大きな意味があるのだ。

このエッセイは僕自身への慰めであり、正当化であり、自己治癒なのである。

よくわからなくなってしまった。


まとめると、まずは東京から京都まで歩く「蒸発紀行」の動画を観て欲しい。

遠回りで不器用な宣伝に終わってしまったが、今回もポエムを吐けて満足している。

どんどんアホになって人生を謳歌し、老衰の時期がやってきたら究極のアホ面で去りたいものである。

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