見出し画像

廃旅館のおじさん

 肝だめしの感覚で廃墟探索に行く若者は多い。これは筆者の友人O君が二十歳前の時の話である。
 O君は仲間たち数名と深夜に連れ立ち、岐阜県K市のはずれにある、有名な心霊スポットに車で向かった。随分前から放置されている廃旅館が山奥にあり、心霊の噂も絶えないらしい。
 細い山道をゆっくりと昇り、目的の廃旅館の手前で停める。脇に草が高く生い茂った道を少し歩かなければ玄関まではたどり着けない。
 若い男女のグループ。O君たちは懐中電灯で道を照らしながら歩く。腰の辺りまで草が伸びているため、周りの視界は悪い。何者かが近くにいても気づかないほどの静けさ、暗闇。
 玄関、朽ちた門扉はもはや用を成してはいなかった。壁にはスプレーで暴走族のチーム名が落書きされている。
 恐る恐るO君たちは入り口をくぐり、かつてフロントがあったと思しき場所へ。壁もカウンターテーブルもボロボロで、無惨なほど破損している。
「・・・ヤダ! ホントに怖い!」
「奥まで行きたくないー! もう帰ろうよ・・・」
 同行する女の子二人が怖じ気づいて文句を言い始めた。O君や他の男の子がそれをなんとかなだめようとする。
 その時、突然、近くから人の声がきこえた。誰もいないと思っていた館内で。
「お前ら、こんなとこに入ってきちゃダメだろう」
 カウンターの奥にある部屋から、作業着を着た中年男性が現れた。O君たち一行は全員が驚いて口々に悲鳴をあげる。
「・・・おい、おばけじゃないぜ!」
 O君が慌てる仲間たちに向かって言った。
「なんだよ、ただのオッサンだよー!」
「ビックリすんじゃん!」
 中年男性は非日常的な廃墟という空間の中にあって、むしろ日常を感じさせるような身なりをしていた。作業着姿、薄くなった頭髪、眼鏡、印象としては業者の管理人といったところだろうか。それにしても、深夜二時を回った時間に廃旅館にいること自体は、やはり奇妙に感じられるが・・・。
「・・・お前らよう、あっちの別館で人が死んでるの見たか?」
 男は唐突にO君たちに問いかけた。
「ひょっとして、おじさんも肝だめし?」
「あっちに別館なんてあるんだ。人が死んでるって、そんなわけないよねぇ」
 O君が少しふざけた調子でそう言うと、仲間には笑みをもらす者がいた。
「俺はもう帰るよ。奥、行かねぇ方がいいぞ・・・。じゃあな・・・」
 男はサッと片手を上げると、その場から姿を消した。
「・・・別館、行ってみるか」
 女の子から不平は出たものの、一行は怖いもの見たさで別館へ向かうことにした。
 掲示された館内の案内に従い、奥にある別館を目指して進む。建物の破損は通路の板がところどころでたわむ程で、気をつけて歩かなければ危険な場所もあった。一行の誰の表情にも、緊張感が見て取れた。
 真っ暗闇の中、狭い廊下が心細く続いている。その先に別館への入り口がある。O君たちは心を決めると、中へと踏み込んだ。
 懐中電灯の明かりが辺りを照らす。ほこりの積もった床を、朽ちた壁を、ところどころはがれ落ちた天井板を。そして、懐中電灯は一瞬、そこにあるはずのないものを照らし出した。
 宙に浮いた人体。いや、微動だにしないその肉体は生きた人間のものではなかった。
 首には縄がかかっていた。首吊りだった。
 懐中電灯はなおも照らす。死体が身に着けている作業着、薄い頭髪、眼鏡。宙にぶら下がっているのは、明らかにさっき出会った中年男性だった。

 後日、O君たちが警察から聞いた話では、男が死んだのはO君たちがあの廃旅館を訪れる一週間も前だったと、検査で判明したのだという。廃旅館の近くにある、町工場の社長が借金を苦にしての自殺だったらしい。

この記事が参加している募集

#ホラー小説が好き

1,102件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?