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そろそろロジカル・シンキングからサイエンティフィック・シンキングに歩みを進めようではないか。

 巷には、「ロジカル・シンキング本」なるビジネス書が溢れています。
しかしながら、「科学的思考」をビジネスや日常に取り込みましょうといった本はまだまだ少ないように感じられます。
 色々な人と話している中で、これは、「論理的(ロジカル)」であることと「科学的(サイエンティフィック)」であることの区別がついていなくて、全部ゴチャ混ぜになっているからではないか?と感じてくるのも、一つ気になっていることです。
 この記事で「論理的」な考え方と「科学的」な考え方をしっかりと区別して、その両者を融合させた「サイエンティフィック・シンキング」のやり方をまとめてみようと思います。

1. 「論理的」と「科学的」、何が違う?

 まず、「論理的(ロジカル)」というのは一体何を指しているのでしょうか?
 私の考えでは、論理的な考え方とは、実践的には「ある与えられた問題に誰でも同じように使えるルールに基づく変換を施し、問題の見通しを良くする考え方」です。
 論理的な考え方の世界では、
・「AならばB、BならばCが成り立つ」ならば「AならばC」が成り立つ。
・「Aが正しいならば、Not Aは正しくない」
などなど、誰でも同じように使えるルール(=論理)が予め決まっています。
 世の中のビジネス本に紹介されている「もれなくダブりなく(MECE)」などを論理的に説明すると「問題Pに"P=A1+A2+...+An"かつ"A, ..., Anに重なりがない"というルールを適応して考えれば、P全体を適切に分割して考えたことになります。」と言っているわけです。(※直感的なわかりやすさのために論理記号は使っていません。)
 誰でも同じように使えるルールを使用している以上、論理的な考え方はとても学びやすいものです。「論理的な考え方を問題にどう適用するか」は学びと経験とセンスに依りますが、「論理的な考え方」は誰にでも学べます。

 それでは「科学的(サイエンティフィック)」というのは一体どのようなことなのでしょう?
 私の考えでは、科学的に考えるということは、以下の4つのステップのすべてを実行することです。
 Step.1 問題の設定
 Step.2 仮説の設定
 Step.3 仮説検証(実験、観察)
 Step.4 検証結果の妥当性の判断


 「このステップは論理的なのでは?」と感じる方もいるかも知れませんが、科学においてこのステップは論理的とは言えない要素を多く含んでいます。
 例えば、Step.1 問題設定をどのように行えばいいのでしょうか?
 問題設定の能力は個人の経験や知識に大いに依存します。例えば、西洋絵画を見た際に、絵画の知識を持つ人は「西洋絵画においてこのサイズの絵でこのテーマを扱うのはおかしい。背景にどのような理由があるのだろうか」という疑問が浮かぶ一方、絵画の知識を持たない人は「この絵画は有名なのだろうか?」といった疑問が浮かびます。どちらもStep.2-4につなげることはできる問題ですが、前者の問題への答えのほうが豊かな知識を与えてくれます。論理的思考は、目の前の状況に対してはじめにどのような問題を掲げるべきかを示してはくれません。良い問題を建てることは問題を解くこと以上に難しいということが往々にしてあります。世の著名な学者たちが如何にして良い問題を建てたかを学ぶことはとても勉強になります。
 Step.1 問題の設定
からStep.2 仮説の設定へ移行する際にも、論理は補助的な役割しか果たしてくれません。問題からそのまま論理的に仮説が導き出せて、その有効性が検証されるようなものはまさに受験問題ぐらいです。例えば、「燃えるものと燃えないものがあるのは何故だろう?」という問題を立てた上で、「燃えるものには”燃素”がたくさん入っているんだ」という仮説を立てる人と「燃えるものは酸素と反応しやすいんだ」という仮説を立てる人がいたとして、どちらも問題に対して有用な仮説を提示していますが、問題→仮説の間には論理の飛躍があり、それらはその人自身の経験と知識、はたまた直感から生まれています。論理的考えは誰でも同じように使えるルールを使って考えることであると述べましたが、科学におけるStep.1からStep.2への移動において誰でも同じように使えるルールは殆どありません。むしろ、誰も思いつかなかった飛躍をできた人こそが、科学史に名を残しているケースが多いのではないでしょうか?

 さて、さらに歩みを進めましょう。科学的な思考の特徴とも言えるStep.3 仮説検証、Step.4 検証結果の妥当性の判断は科学的思考で最も重要な部分です。この2つのステップが行われてはじめて、科学的な結論が生まれます。
 Step.3 仮説検証は、実験・観察のステップです。適切な実験・観察を設計するにあたっては論理的な考え方が活躍します。まさに、「もれなくダブりなく」仮説を検証するための環境を構築することがこのステップでの課題です。そのために、大雑把に言えば、実験のできる科学では「統制された環境」を実験のできない科学では「検証モデル」を構築します。「統制された環境」というのは、「他はすべて同じだけど、検証したいものだけが違う環境」を指しています。例えば、薬の効果を調べたい場合は本当の薬と偽物の薬(なんの効果もないもの)を用いて実験をすることがあります。また、経済事象などは条件を変えた実験ができないケースが多いため、「検証モデル」を作り、様々な事象に対してモデルを当てはめてみることで、狙った仮説がどれぐらい正しいかを検討することができるようになります。
 Step.4 検証結果の妥当性の判断はまさに、Step.3の結果チェックですが、ここでも注意すべき点があります。それは、「恣意的に判断してはいけない」ということです。アタリマエのことではありますが、自信のある仮説が間違っているという結果が出た際に、その仮説を捨てて新しい道をあゆみはじめることは難しいことです。特に、ビジネスに於いてはStep.3までですでに相応の費用がかかってしまっているケースも多く、誤りとされた仮説でも捨てきれないことが多くあるでしょう。恣意的な判断を避けるためには統計学の知見が大いに役に立ちます。最近統計学が流行ってきているのはいい傾向ですね。

このように、科学的思考の中で論理的思考は一部使われているものの、科学のステップの中には多分に経験と知識と直感が生きていることがわかります。経験と知識と直感は論理的なものでは有りません。それらはあなたの持っている独自の方法論であり、誰でも同じように使えるルールではないからです。

2. 論理的に考えることの落とし穴

 論理は言ってしまえば「たかが論理」です。世の中には論理的に考えることができない人が多いせいで、さぞ高等スキルのように思われている節がありますが、論理的に考えることができる人にとって論理的であることが自分の発想を豊かにしてくれる度合いは小さいでしょう。なぜなら、論理的な結論は(熟練度の差はあれど)誰が考えてもほぼ同じだからです。
 私達の能力・経験とその多様性を活かすためには、前節の4ステップによる科学的思考を行うことが必要です。科学的思考から生まれる結果は論理的思考のもたらすそれよりも遥かに豊かで飛躍が発生する余地がたくさんあります。検証という過程が後に控えていること故に科学においては論理の飛躍が認められます。そこが重要です。
 論理的か否かばかりにこだわって、「それはロジカルじゃない」と一蹴するのではなく、科学的に検証できそうか否かを考えて「それは現状ロジカルじゃないけど、科学的に検証可能であり、検証価値がありそうに感じる。やってみよう!」と判断できるほうが面白くないですか?

3. サイエンティフィック・シンキングをしよう!

 世の中にはエセ科学的思考がたくさんあります。科学的思考が確固たる意見を述べられるのは、検証を経た結果についてだけです。なので、例えば、ただ「神は非科学的だ」という言説は非科学的思考です。科学的思考は「神の存在を判定する◯◯という問題を設定し、問題に対して△△という仮説を設定した上で、■■によって仮説検証を行い、その結果を検討した結果、神の存在は否定された」というのが科学的思考です。未検証の場合、「神は非科学的」「神は科学的」のどちらも科学的に言うことはできません。
 余談ですが、以前、デカルトの本を読んで「神の話が出てきて、非科学的だから読むのをやめた」と言っている東大生がいましたが、その人は自分が本当に科学的なアプローチで物事を考えているか否か再考したほうが良いのでは?と感じました。時代の違う本を読むときにはStep.1問題設定の部分の違いに気をつけましょう。(確かにデカルトは科学的検証を行っているとは言えませんので、そのこと故に科学的結論が無いという理由で気に食わないというならわかります。)
 また、例えばビジネス上のある仮説について、そこから論理的に考えられた結果はそのままでは科学的ではありません。確かにその仮説に対して、論理的に等しい意味を持っているかもしれませんが、それを検証した結果、仮説自体が間違っていたという話はよくある話でしょう。
 ビジネスにおいて特に難しいのは、自分の話していることが仮説であることを認識していない人がたくさんいることです。仮説に対してロジカル・シンキングを適用して、出した結果はまだ仮説です。そこに適切な検証方法と検証結果の分析が合わさって初めて科学的な結論になります。
 「科学的」というのはこのように、日常で使われているよりはるかに小さい範囲を指している考え方です。それを認識した上で、自分が科学的に考えて結論したのか、仮説+論理のみで結論したのかを意識して考え、判断することを「サイエンティフィック・シンキング」と呼ぶことにしましょう(ビジネス用語っぽく)。
 サイエンティフィック・シンキングの良いところは2つあります。
 1つ目は、「仮説は間違っているとわかったらさっさと捨てても構わない」ということです。「この方法を試してみよう!」と考えると同時にその方法の有効性を検証する方法も考えておきましょう。そうすることによって、その方法がうまく言っていないと直ぐに判断して、次の方法を試すことができるので、一つの方法にしがみついて身動きが取れなくなることがなくなります。ビジネス書に書かれている「高速PDCA」とかなんとか言うのはこれをかっこよく言い換えているだけですね。科学的思考の枠組みをしっかりと認知しておくことで、Planには問題のPlan、仮説のPlan、検証方法のPlanという3種類のプランが混ざっていることなどがわかり、より深く考えることができるようになるでしょう。
 2つ目は、「しっかりとした議論ができるようになること」です。独断的なロジカルシンキングマンに「コレがロジカルな結論である」と言われてしまうと中々反論ができませんが、サイエンティフィック・シンキングをする人にとって独断的なロジカルシンキングマンに立ち向かうのは容易です。ロジカルな結論の発端である仮説に対して、「この仮説の検証はしっかりとなされていますか」と聞けばその結果が単に思い込みの仮説から論理的に導かれた意味のない論理的結論なのか、科学的結論なのかがわかります。これはビジネス書でいわゆる「ゼロベース思考」と呼ばれているものの背景にあるものだと思われます。つまり、仮説は検証されるまで間違っていてもおかしくないので、執着してはいけないのです。思い込み=仮説となってしまっている人は、仮説の本質を認識するだけでも科学的思考の全体を視野に入れて有益な議論ができるようになるでしょう。

 ちなみに、科学的思考がどのようなものかをしっかり考えると、大抵の自己啓発系のビジネス書は面白くなくなります。なぜなら、上記に示したように、科学的思考のエッセンスは世の中に溢れている自己啓発系のビジネス書の扱っている多くの思考をカバーしているからです。大量の自己啓発書を読むより基本に立ち返ることが一番の近道です。

4. 日常を科学する

 サイエンティフィック・シンキングは何も学校のお勉強やビジネスの世界だけに使われるものでは有りません。日常生活をもっと楽しいものにするための一つのツールとして誰もが使うことのできるものです。
 例えば、私は本を読むのが大好きですが、ある日、同じ本ばかり読んでいると集中力が直ぐに切れてしまい、集中力がいったん切れてしまうとぼーっとしてしまうことに気付きました。「もっとたくさん本を読みたいなぁ、、、」と思ったときに役に立ったのがサイエンティフィック・シンキングです。

 私ははじめに、問題として「もっとたくさん本を読むための方法を発見する」ことを定めました(Step.1)。そのための仮説として、「集中力が切れそうになったら分野の違う他の本に切り替える」、「30分ごとに読む本を変えてみる」ことによって本を読む量を増やせるという仮定を建てました(Step.2)。実験のため、仮説で打ち立てた複数の方法を1週間毎に切り替えつつ、毎日読んだ本のページ数と読書時間を記録しました(Step.3)(今考えてみると最適とは言えないようにも感じますが笑)。最後に、各週の読書進捗を比較して、どの方法が最も効率が良いかを読んだ冊数・ページ数を参照して判断しました(Step.4)。その結果、いまでは自分にとって最も効率が良いと思われる「集中力が切れそうになったら分野の違う他の本に切り替える」方法を主として読書をしています。

おわりに

 ここまで厳密にやれというわけではなく、シンプルに「仮説として色々なやり方を持っておくことは人生を豊かにするかもしれませんよ。」という話です。それが仮説だとわかっていれば、執着も必要ありませんし、同じような問題を持っている人との話の中でお互いの仮説を展開して検証に持っていくような形で建設的な会話ができることもあります。(はて?そういう会話を楽しいと感じるのは私だけでしょうか?)

 実際に科学的思考のステップを意識すると、世の中に科学的に言えることは思ったより少ないことに気付きます。世の中の大半は未検証です。しかし、未検証に対してすべて検証を求める必要は有りません。科学的な込み入ったアプローチ以外にも問題に取り組む手法はたくさんあります。哲学的なアプローチ、芸術的なアプローチ、ビジネス的なアプローチ、感情的アプローチ、数学的アプローチなどどのようなアプローチでも違った形で知的豊かさを与えてくれるでしょう。自分がどんなアプローチで問題に向き合っているかを念頭に置きつつ、使い分けましょう。

 最後に。科学的思考はあくまで何か問題に取り組む際に使う「手法」でしかないため、「信じる」ものでは有りませんし、必ず使わなければいけないものでも有りません。私自身、科学的手法をあらゆる物事に適応するのではなく、科学的手法を用いるのが適切な場面にのみ用いることで、よりも豊かな生活を送ることができると考え、実践しています。この点において、私は「科学絶対主義者」では有りません。科学的思考は一つの工具でしかなく、有効に使えば便利な局面はありますが、あらゆるものに適用しようとすると、かえって不便になります。箸が使いにくい時はおとなしくスプーンを使うのが良いのです。(「科学絶対主義者」批判については別の記事で書きたいと思います。)

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