障害の凸凹のへこんだ部分に、あなたは何をしますか?その理由は何?
障害を持っている子どもたちは、発達などが凸凹であるが故に自分のコントロールが苦手です。
通常の発達(定形)では、何気なく乗り越えることが出来る部分も凸凹が故にスムーズに進むことが出来ません。
発達に凸凹がある子どもたちは、ある一定の発達段階で足ふみをしているお子さんも少なくありません。
何故ならば、本来発達のというのは「理解」や「対人」、「表現」「身体つくり」などなどバランスが取れているから、いろいろな力が支え合い、持ち上げことが出来るから、「ヨイショ」って次のステップに進むことが出来るイメージです。
それが、凸凹になっていると、本来支えるべき力や持ち上げるべき力が足りないので、「ヨイショ」って進むことが難しくなっちゃいます。
なので、私たち発達支援の保育士たちは凹のへこんでいる部分に、直接的な支援や環境配慮、心のサポートを行っていきます。
そんな状況と発達したいという、本人の思いが重なった時に「ヨイショ」って進む。本当にこんな感じ。
なので、凹の部分への支援っていうのは本当に大切。
ここを見極めるのがプロの仕事ともいえると思う。
そして、その支援とはそこの子どもを受け止めて優しくするだけではダメなことがあるから難しい。
優しくするのは甘えが出るからと、話を聞くこともあるが”甘え”と”優しさ”はちょっと違う。
色々な場面で本当の優しさは”厳しくすることも必要”と話は聞くと思うが、本当にそうである。
もっと詳しく言うならば”厳しく”することが本当の優しさではなく、その先にその子どもの幸せや願いに到達するビジョンを持って、関わることが出来ているのかってこと。
手段として”厳しく”なっただけであり、別に優しくしてその子どもの幸せに到達することが出来るのであれば、何も問題はない。
が、しかしだ。
私たち福祉の人間、特に子どもに関わる保育士等は優しい人が多い。
当然だが、優しい人でないと障害を持つ子どもとの関係性を成立することはできないので、ある意味最低条件であるが、そこに甘んじては発達支援はできない。
色々なものを見極めて、「もうあなたはこの場所(発達段階)じゃないよ」と背中を押すことが出来ないとダメである。
障害あろうとなかろうと、人との関係性の中で生きているということは、互いに影響を受け合わなければならないし、受けてしまう。
プロの仕事ではない”優しさ”はともすれば、本当は次の世界(発達の次の一歩)へ進みたいのに、その足踏みをさせていることは少なくない。
子どもの本当の声を聞くことはたやすくないが、聞かなければ何も見えてこない。
その声が聞こえなければプロの仕事はできない。
知ろうとしない人は、プロの仕事はできない。
だがしかし、本当の声はなかなか聞こえてこないのがこの世界の常である。
だから、今日も仲間たちと子どもの話しをして理解を深め、面白いエピソードを共有して驚いたり、悩ましい話を共有して理解できない自分に落ち込んだりしながら、子どもの心に近づいていく作業を繰り返さなけばならない。
そんな時は、保護者の力が必要だ。
家での生活ぶりや何気ない行動などを聞くのだ。
園だけの姿なんて、一日24時間と考えると約1/5でしかない。
知ろうとする努力は必ず、答えへ導いてくれる。
支援者と家族が協力し合ってこそ(勿論専門士なども含む)子どもの輪郭が見えてくる。
しるどりょくを怠ってはいけない。