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のらねこ、最近の理科は本格的すぎる

科学や社会の発展に伴って、内容がどんどん変わっていく教科。
それが理科です。

なぜなら理科は、文字通り世の ≪理(ことわり)≫ を考える学問だからです。
理が変われば、教科書も変わってしまうのです。

だとすると今の中学校の理科は、僕らが中学生だったときと比べてどれほど変わったのでしょうか――?

いつもお読みいただいている皆さん、おはこんばんちわでございます。
もしくは初めての方、久しぶりの方も、お読みいただき嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

生きているのがつまらない、楽しいことなんてここ最近本当に何もない。
いつもそんなふうに考えて生きている人に足りないのは、楽しいイベントでも突発的な幸運でもありません。
“目標を管理するスキル” です。
目標とは、つまり 追いかけて楽しい何か です。なので生きていくことを楽しむためには、自身の目標を管理しなければいけないのです。

この のらねこに何ができる? では、目標管理というものがいったい何で、どうやって管理していけばいいのかを理解していただくため、僕が計画して自分で取り組んできた様々なことを、なるだけ面白くお届けするという内容になっております。

現在のシリーズ “のら大人は中学の勉強わかるの?” では、中学校の授業の今昔を比較し、学びなおし・教養的なネタにしてただける情報をお届けしています。
シリーズ第3回となる今回は、理科。

全体の執筆計画はこちら:
1. 国語科
2. 数学科
3. 理科(今回)
4. 社会科
5. 英語科
6. 道徳

過去のバックナンバー


1. 理科は根本的に変わっていた

結論から言って、理科は根本的なところがガラッと変わっていました。
具体的には、僕らの時代の理科は科学的な知見を覚えることを目的としていたのに対し、最近の理科は “覚えたことをレポートにまとめる” ことが目的に変わっているのです。
かなり抜本的な変化だし、なにより昔と比べてかなり本格的です。

2. 目に見えない世界の話は移動・縮小・削除されている

レポートにまとめることが目的になっているため、目に見えない世界の話(つまりレポートにまとめづらい単元)は、縮小されたり、後ろの学年に移動になったり、またはごっそりと削除されたりしているようです。

僕らんときは、、、遺伝子って何年生だったっけ?
少なくとも “優性遺伝” “劣性遺伝” の2つのキーワードくらいは、1年生時点で出てた気がするんだよね。

娘の中学1年生の教科書には、遺伝という言葉がそもそも登場しません。
それだけでなく、微生物の項は単元の間のコラムとしてのみ登場するし、地球の構造の話もなく、それどころか地磁気の話も出てきません。
仮に出てくるにしても、見えないものが見える年齢になってから教える、って方針に変わったのかもね。

遺伝の項が削除された理由の考察:
ちなみにこれは完全な邪推だけど、遺伝の話がなくなったのは「劣性遺伝」という言葉を無理やりなくそうとした弊害もある気がします。
以前、「劣性遺伝は、それを持つ人を差別する意識に繋がるから、そういう言い方はやめよう」って運動あったんよ。
今からしたら完全にポリティカルコネクトの行きすぎだったんだけど、そのとき代案として出てきたのが “顕性遺伝” “伴性遺伝” という言い方。

でもこの言葉、普及に失敗してんのよね。。。
検索すると分かるんだけど、科学のプロの間でも言葉がバラバラなのよ。
いまだ劣性遺伝を使っていたり、伴性劣性遺伝って言葉を勝手に作る人や、伴性遺伝ではなく “潜性遺伝” と呼ぶ人がいたり。
しかも顕性遺伝に至っては日本語IMEにすら入ってないくらいドマイナーな言葉になっちゃってるしさ。

「そんな言葉を今の中学生に教えるのはどうなの」って議論があったのかもしれない、って思った。

3. 身近でない現象を、身近なものに例える描写が増えている

大きく変わっている点の2つ目としては、理科を身近に感じてもらう工夫が増えている点が挙げられるように見えます。

僕が中学生のとき、理科に “身近なものを観察する” という単元があったのは小学校までで、中学からは身近かどうかに関わらず “科学知見を紹介する” 意味合いが濃い内容でした。
それゆえに、火山噴火のすぐ後ろにプレートテクトニクスの話が出てきたり、まず “原子とは何か” の説明をやってから物質密度の話が出てきたり。
当然ながら、先の単元で付いてこれなかった子は、どんどん無慈悲に放置するのが前提でした。

で、これらの状況を問題だと思ったのか、内容が “生活の身近な部分” から逸脱しないよう、全編に渡って工夫されています。
たとえば火山噴火の単元では、噴火という現象それ自体が、炭酸ジュースの泡がペットボトルからあふれる現象と原理的に同じであることを説明されていたり。

あるいは “物質の密度が違うと何が起こるのか” の説明では、僕らのときはたしか「ガリレオ温度計は密度の差を利用した装置です」とか書いてあって、そもそもガリレオ温度計ってなんじゃいとか思った気がします。
でも娘の教科書では、例として使用されているのは料理用ドレッシングで、油が沈殿する理由を密度で説明されていました。
(もっとも、放っておくと沈殿する性質があるのはドレッシングの中でも昔からあるタイプだけで、最近のは沈殿しないものが多いんだけどね😅)

4. 圧倒的にカラー写真が多い

それから、これはもう一目瞭然なんですが、あきらかにカラー写真が凄い多いです。
ほぼ全ページにカラー写真が最低数枚は出てきます。

僕らんときの教科書だと、白黒写真が数ページに1枚程度で、カラー写真は冒頭ページに数枚程度だったと思います。
今は全ページがカラー印刷です。

この変化を「カラー印刷が低価格化しただけ」と捉える人はいるかもしれませんが、でもその説明では 昔の教科書では白黒写真すら少なかった 理由の説明ができません。
文字印刷に対する白黒写真印刷の価格差は特に変わっていないからです。

あきらかに、カラー写真を意図的に増やしているんです。

5. 作り手の気持ちがそもそも違う

何となくだけど、昔の教科書は楽しいと感じることを不真面目と捉える傾向があった気がします。
だって昔の教科書を読み直すと、そもそも読み物として面白くないもん。

でも最近の教科書はそのへんも変わってますね。
理科は教科自体がもともと面白く演出しやすいってのもあるんでしょうが、作り手の「面白いと思わせたい」って気持ちが透けて見える気がするんです。

子供の興味を惹くだけの、そんなに深い意味のない描写とか多いし。
このあたりの変化はかなり圧倒的で、昔気質の人が「ズルい」「教科書が面白いなんて間違ってる」とか言い出しそうな気すらします。

たとえばこういうのね。

地層を “ペラっと” はがす、という写真

これ、壁紙を張ってるんじゃなくて、実際の地層採掘作業です。
別に単元の内容と何の関係もないんだけど、見た目に面白いだろうってんで、それだけの理由でいれてあるんですよ。

ただし、そうはいっても、教科書の存在意義自体が “子供の興味を惹く” ことにあった点は変化していません。
昔の教科書だって、子供が興味を持つように願って書かれてはいたんです。

違ったのは、昔の教科書の執筆者は「科学的な知見を提示すれば、子供は勝手に興味を持つ」という思想を持っていた点だけです。
だって理科の教科書を作るような人達は、「科学が面白くないなんて信じられない。そんな人類ありえない」みたいな考え方でずっと生きてきた人達だからね。

だから「作り手が意識的に面白がらせてあげないと、子供は興味を持たない」だなんて、絶対信じられなかったわけさ。
別に理科に限った話じゃないけど、昔の教科書がそもそも読んでて楽しくなかったのは、そのあたりに理由があるんじゃないかと思うんですよね。

そのあたり、理科に興味がない子をちゃんと対象読者にできているという意味では、だいぶよくなってると思います。
2年生以降の内容は分からないけど、少なくとも1年生の教科書は、12~13才の子供に対するものとしてはかなり理想的な気がする。

6. 内容が尻切れトンボなところが残念

ただし、何もかもが圧倒的によくなってるかというと、さすがにそこまでってわけではありません。

こちらの写真は、教科書の冒頭付近にある学習スケジュールイメージです。

右上に学年最後あたりの学習として、『~などで「表現」しよう』って記述があります。

、、、でも、
これ、実際にはそのようなページは存在しないんです。
『表現する』ことがスケジュールに入っているのに、『それはどうやってやればいいか』といった説明は全くないのです。

それじゃあまるで、「では旅行してみましょう」と言っておきながら、実際には旅行に行かないのと同じです。
とりわけ、楽しみにしてた子のガッカリ感は察するに余りあると言わざるをえません。

これを、「理科は国語じゃないんだから、表現の仕方の授業なんてなくて当たり前」と感じる人はいるでしょう。
でもそれだと、国語は理科じゃないわけだから、理科特有の理論展開の仕方は勉強しないんです。

これだと “レポートのまとめ方” の部分は先生が個人的に考えることになるわけで、ともすれば先生によってそもそも教えないかもしれません。
それはつまり、生徒達の記憶定着率が先生個人の裁量次第になってしまうってこと。

そんなんじゃ日本人全体の理科能力が伸びないのは当たり前だよね。
このあたりはまだ残念なポイントでしょう。
理科の教科書は圧倒的に変わったけど、“先生の個人的努力に期待しすぎる” スタンスは変わっていないみたいです。

日本人はね、、、
そういう “現場の根性に期待しすぎる” 気質があることで、それこそ本当に、何度も何度も何度も何度も何度も何度も失敗を繰り返してきた民族です。
第二次大戦だってそれで負けたし、過労死問題だって要はそうでしょ?

“現場に根性なんてない” ことくらい、いい加減学べよなって、娘の教科書をめくりながらちょっと思いました。
まる。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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