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のらねこ、冗談が通じる人になりたい

世間は冗談かどうかが分かりづらいこと言う人も多いし、どこで笑ったらいいか分からない芸人も多くて困る。
もっとハッキリすっぱりと言い切って欲しい。
分かりづらいことはちゃんと理屈で説明してほしい。

そんなふうに悩んでいる人はいないでしょうか。
そういった人は、同時にこんなふうにも思ってるかもしれませんね。

そもそも文法間違いをしないでほしい。理解できない。
言葉は正しく使うべきだ。
空気を読むなんて意味のないこと、みんなやめるべきなんだ。

そうした考え方を、自分では「自分はそういう性格なんだ」と思ってるのかもしれません。
でもこれ、実は “言葉の意味を辞書通りに捉えようとしすぎてしまう” という、列記とした心の病気なんです。

正式な病名はないのですが、僕は “字義通り症候群” と呼んでいます。
この症状せいで慢性的に生きづらさを感じていたり、ひどいときには鬱になって人生終了させちゃう人だっているような類のものです。

今回はこの症状の改善法を1つ、ご紹介できればと思います――。

いつも見てくださってる方、ありがとうございます。
もしくは初めて見つけてくださった方も、大変うれしいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

人生が何もかもうまくいかない。うまくいった試しがない。
普段からそんなふうに考えがちな人に足りないのは、努力でも我慢でもありません。
“目標管理” です。

目標が管理されてないから努力が無駄になっちゃうし、我慢しながら疲れ果てるまで頑張らなきゃいけなくなるんです。
ちゃんと目標が管理されていれば、適切なタイミングで適切な労力を最低限出すだけで、ちゃんと成果が出せるようになります。

この のらねこに何ができる? では、だったらそんなことどうやってできるのか? ってことを知っていただくため、僕自身が計画して僕自身が実践してきた様々なことを、なるだけ面白おかしく書いてお届けする趣旨となっております。

現在は “のら医者に発達障害が治せる?” と題し、僕が僕自身や家族の心のケアをしてきたときの話を連載しています。

全体の執筆計画はこちら:
1. 発達障害には治せるものがある
2. ADHD/ADDを治したときの話
3. APDを治したときの話
4. HSPを治したときの話
5. 字義通り症候群を治したときの話(今回)
6. 納得不全を治したときの話
7. いつも通り依存症を治したときの話
8. 他責思考/自責思考を治したときの話
9. アンガーマネジメントを覚えたときの話
10. 無感動症を治したときの話

過去のバックナンバー

**!!注意!!**
当シリーズは、医学的に正しい理論を紹介するものではない点にご注意ください。
あくまで、効果があったと僕自身が感じたものを一例として紹介する内容です。

1. 日本人は人種的に字義通り症候群が多い

字義通り症候群とは、言葉を辞書通りの意味で使うことにこだわりすぎたり、言葉の間違いに変に手厳しかったりする性格傾向、または症状のことです。
重度のケースでは、「1度嫌いと言ったはずなのに後になって仲直りしようと言う。こいつ矛盾してる」、あるいは、「10年は2度と来るなと言ったのに、今はすぐ来いという。どっちなんだ」なんて考えてしまってパニックになることもあるようです。

そこまでいかなくても、みんなが笑ってるジョークがなかなか理解できず、どういう意味なのかを文法的に分析したり。
「え? 今の何が面白いの?」とか頭の中でこっそり悩んでる人、実はけっこういるんじゃないでしょうか?

どうやら、この字義通り症候群なる症状はヨーロッパよりもアジアに多いらしく、かつ東へ行くほど増える傾向にあるみたいなんです。
そして極東の日本ともなれば、国民病ともいえるレベルで日本語にまでがっつりと組み込まれています。

たとえば “とる” という言葉は、状況によって “取る” “撮る” “執る” “採る” などいくつもの漢字に分かれています。
ですが英語ではこれらは全て "take" です。

ざっくりが好きな人にとっては、「全部 統一でいいじゃん面倒クセェ!」ってことになるんでしょう。
が、ちゃんと使い分けないと、ひらがなの「とる」だと意味を理解できない人もいるからしょうがないんですよね。

日本語の語彙はこのような例が多く、たとえば英語では Japanese の1語で済んでしまうものが、日本語になると “日本人” “日本語” “日本の” など、それぞれ分かれていて、それぞれ交換もできません。
本来であれば、そもそも使う状況が違うんだから、同じ単語を使い回したって別に何の支障もなかったはずです。

ですがそれでも、日本人は古来から、異なる概念・状況に全て異なる単語を充てたがる民族でした。
その結果、ヨーロッパ諸語の多くは2000語ほどで会話が成立すると言われているのに対し、日本語は日常会話だけで8000語も必要となってしまったのです。

数的に、単語が無駄に細かいと言わざるをえないし、なによりちゃんと使い分けないと意味を理解できない人が、欧米よりも多かったとしか考えられません。

2. 字義通り症候群の特徴: 感情を無視する傾向

で、この字義通り症候群の人が、なぜ言葉を理解するのが苦手なのかってぇと、感情を無視して考えるからなんですよね。
たまに「言い方を変えても意味が同じなら結局一緒じゃん」なんてことを言う人がいますが、こういうのが典型的です。

“言葉が同じでも、込められた感情が変わったら意味が変わる” ことを純粋に知らないんです。
その結果、文法通りに紐解けば言葉は理解できると考える傾向が強くなり、言葉の意味や文法に異様にこだわったりするようになります。

たとえばこういう言葉があります。

頭が赤い魚を食べる猫

この文章は、「文法的な分解の仕方で幾通りもの意味がある」という論調の記事で引用されることの多い文章です。
でも現実の会話では、解釈の仕方ではなくこの言葉を言った人の感情で意味が変わります。
日常生活では、この言葉にそんなに色んな解釈はありえません。

ですが “言った人の感情を無視する” ことによって、文法的に解釈せざるをえなくなるんです。

ある日、鮮魚店から猫が魚を盗むところを見た人が、この言葉を言ったとしますよね。

この人が平常で普通の表情をしていれば、頭が赤いのは魚であって、それを食べている猫は何でもない普通の猫、と解釈すべきです。
なぜならこの人は日常的によくある話をしていると考えられるからです。

(頭が赤い魚)を食べる猫

でももし、「超珍しい猫を見た!!」と騒いでいたらどうでしょうか?
するとこの人は騒ぐ程度に珍しい猫を見ているのですから、頭が赤いのは猫であって、魚は普通の魚と考えるべきでしょう。

頭が赤い(魚を食べる)猫

同じく「変な怪人を見た!」と驚いていたら?
この人は “赤の猫の頭の人物” を見たと考えるのが妥当です。

頭が(赤い魚を食べる猫)

さらに、怪人ではなく「怪物を見た」と言ってオドオド怖がっていたら?
この人は人間でない “怪物” を見ているわけだから、頭がぱっくり開いて魚を食べる猫を見たものと解釈すべきってことになるんじゃないでしょうか?

(頭が赤い魚を食べる)猫

このように、言葉はそれを言ってる人の感情で意味が変わるんです。
単に文法的な解釈の仕方で意味がいろいろありえるのではなく、言ってる人の感情で解釈の方法が変わるんです。

発言者の発言意図を決めるのは、あくまでも発言者自身の感情です。
分析する人が解釈の仕方で勝手に変えていいわけありません。

ですがそれを、“いろんな解釈の仕方があるよね” で勝手に想像し始めちゃうのが字義通り症候群で、それというのも、発言者の表情を読むのが苦手だからなわけです。

3. 字義通り症候群の治し方

STEP1. 人の表情をちゃんと見る

字義通り症候群の人は、とにかく表情を見ません。
中には「顔を見ても微妙な感情なんて分からない」と公言する人や、人の顔を見るのを失礼なことだと勝手に思い込んでいたり、もしくは怖がったりする人もいます。

そういう人達が、なんでそんな大人に育っちゃったのかってぇと、(実際には細かい原因が多々あるのでしょうが)主なところでは身近に発言と表情が一致しない人がいるケースも多いです。

ニコニコ笑ってるので冗談を言ってるのかと思ったら、実は怒っていた。
物凄い形相で怒り狂って叫んでるので何事かと思ったら、怒ってるんじゃなくて何かに不安がって心配してるだけだった。
もしくは、無表情でナニ考えてんだか全っ然わっかんない人とかとか。

それか、単純に「私の顔を見るな」と叫ぶ人がいる、とかとか。

絶対じゃないけど、そういう人がだいたい近くにいます。
そういう人と日常的にコミュニケーションしていたら、そりゃあ人の顔色を見るのは嫌になるでしょうね。
常にビクビクうかがってないといけませんから。

そうならないよう、自分の心を守るために “表情なんて読んでも無駄なだけ” と学習してしまうことも多いようです。

もちろんその気持ち自体は大変よく分かるんですけど、でも自分が嫌になったからって、感情をそもそも見なくていい理由にはなりません。

まずは相手の顔を見る!
ジロジロ凝視しろとか、目と目で見つめあって話せとか言ってるのではありません。

表情を観察しろ” と言ってるんです。

ファーストステップとしては、分からなくていいので見るだけでいいです。
「人の顔をじっと見るのは失礼」なんて馬鹿なこと言ってないで、まずは表情を見る。
コミュニケーションの基本なんだから、そうしないことには話が先に進みません。

もちろん分かりやすい人だけね?
表情が分かりづらい人の表情なんて、何百億万回見たって分かりづらいものが分かりづらいのは変わりません。

だからまずは、表情を読みやすい人から徐々にトライしていくことが大事です。

STEP2. 微妙な差異に慣れる

意識的に人の表情を見るように気をつけていると、今まで分からなくて当たり前だと思っていた微妙な差異を、どうも普通の人達は互いに理解しあっているようだと気づくときもあります。
たとえば一般に多くの人は “苦笑に近い喜び顔” を判別して「笑ってるけど本当は喜んでいないらしい」と察知しますが、これが自分には理解できていなかったと気づいたりします。

このような微妙な表情が判別できないのは、脳内の “扁桃体” と呼ばれる部位の活動が低い人に見られる特徴です。
人間は脳のこの部分の活動レベルが弱いと、

  • 身の回りの物事・出来事に無関心になる

  • 自分自身の状態・健康の変化に無関心になる

  • たくさんの物事の中から選べなくなる

  • 自分の持ち物の中から捨てるべきものを選べなくなる

  • 人の顔・名前が覚えられなくなる

などの弊害が生じてきます。
字義通り症候群の人は、そういった弊害を人として当たり前のことと認識している傾向があります。
でも残念ですが、それは当たり前じゃないんです。

身の回りの物事・出来事は関心があるのが当たり前であり、
自分自身の健康には興味があって当たり前で、
自分にとって必要なもの、捨てるべきものは選べて当たり前、かつ、
身の回りの人達の顔と名前は把握できて当たり前なんです。

そのような、身の回りの出来事・人々や、自分自身や自分の持ち物などを選べないのは、それらの人々・物事の微妙な特徴を無視するからです。

人間の脳は、何か物事を見たときに扁桃体で感情を想起し、それによって「これ好き」「嫌い」「いいと思う」「面白い」「不快」などの判別を行っています。
このような感情を “一次感情” あるいは “直感的な感情” などと呼びます。

そのような一次感情が起こることで、特徴を観察しようという気持ちにもなるんです。

ですから扁桃体の活動が弱い人は、周囲の物事・人々の特徴を把握しようとする気持ちがとても弱くなります。
なぜなら、それらを見ても、何も感情が動かないからです。

何を見ても何も感情が動かないなら、そんなの道端の石と同じです。

道端に石が落ちているとき、その石の前をおそらく何十人・何百人の人々が通り過ぎていったことでしょう。
でも石には脳がないのでモノを考えることができません。
石は、何を見ても、何も感じません。

字義通り症候群は、本質的にはそういう病気です。

だから、最初は無理やりでもいいので、見るもの聞くものに心を動かしてみてください。
道端に花が咲いているのを見たら、無理やりでもトンチンカンでもいいので、感想を言ってみてください。
テレビに出てくる全ての芸能人に対し、好きか嫌いかを判別してみてください。

それらに対して「なぜそう思うのか」を考えているうちに、心は徐々に動くようになるし、人の感情の機微が分かるようになってきます。

で、それに慣れてくると、悪質なことや馬鹿なことを言ってるのに顔の表情が一致しないところから冗談かどうかが分かるし、
もしくは「いやいや冗談だから」と言ってるのに目が全然笑ってないのを見て、「あ、これ冗談じゃないんだ」と分かるようになります。

STEP3. 人の行動目的を推理する

人の感情が読めるようになったら、最後に人間は目的があって行動することを理解するフェーズに入ります。
これはとても難しいフェーズなので、いろいろな本で方法論を探りながらでも、かなり時間がかかるかもしれません。

字義通り症候群の人は、人から何か頼まれごとをしても “素直に言われた通りにやる” ことしかできないし、むしろその方がいいと思っている傾向があります。
だって、その人の何を見ても聞いても、その人が結局どうしたいかなんて分からないんですから。

これは間違いです。
間違いというか、コミュニケーションの効率が悪すぎます。

人間とは、行動を起こすからには目的があるものです。
これは365日24時間、常に絶対必ずです。

その目的はくだらないかもしれないし、つまらないかもしれません。
崇高なことや、凄く意外なことだってあるでしょう。
でも、行動をしているのに目的が物理的にない、ということだけは絶対にないのです。

字義通り症候群の人は、この “人間は目的があって行動する” という感覚が希薄な傾向があり、ともすれば人間は流れる水のようにその場の状況に合わせて適当に動いていると認識していたりします。
自分だって、目的なく行動したことなんて1度もないくせにです。

それというのも、表情を読むのが苦手であるゆえに、自分に理解できない行動をとっている人の目的を推察するのも苦手だからですよね。

たとえば、「痩せたい痩せたい」言いながらケーキをバクバク大量に食ってる人がいたとすると、字義通り症候群の人は理解できないからといって思考停止したり、もしくは “分析する価値もないアホ” と見放したりします。

違いますよね。
この人は、口先では「痩せたい」と言っていても、本当は「ケーキをバクバク食べてしまう性格を治したい」と思っているんです。
そのことを「なら正確にそう言ってくれなきゃ分からないよ」とか思ってるから、いつまでたっても互いに心が通じないのです。

このような、自分に理解できない行動をとっている人のことは、理解できないからって簡単に切り捨てるんじゃなくて、自分に思いつかない目的を持っている人と考えることがとても重要です。
今のあなたには思いつかなくても、その人はその人なりの目的がちゃんとあるのです。

そのような推理を日常的に巡らし続けることを、俗に人は “人の気持ちを考える” と呼ぶんじゃないかなと思うんです。

ではまた。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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