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アナログで記憶を思い出す〜映画「浅田家」を観て〜

⚠︎この記事には映画「浅田家」のネタバレを含みます

この記事を読んでいる人はどんな家族に恵まれているでしょうか。
この映画は、ある家族のお話。

カメラが大好きな父

家族の写真を撮るのが好きな父親
仕事は主夫、なりたかった職業は消防士

なりたかった看護師として働く母

二人の息子を育てながら、外で家族を支える
なりたかった職業にはなれたが、憧れていたのは極道の妻

振り回される兄

両親二人を喜ばせるのはいつも弟だが
そんな弟にうんざりしながらも支えとなる

周りの人を巻き込んでなりたかったカメラマンになった弟

被写体を理解しないとシャッターが切れない
専門学校卒業後も撮りたい写真が見つからず何年かくすぶった

家族写真から感じたストーリー

弟はのちに様々な題材で家族写真を撮っていくわけだが
その写真は面白いだけでなく、どことなく暖かみもあり
家族の相関図まで見えるような作品であった。

のちに写真集の発刊、写真賞の受賞と
屈折の日々からは感じなかった日々が待っているわけだが
そこまでの彼は、
あくまで自分の写真を認めてもらうことに必死だったように思える

あなたの家族写真撮ります

そうして自分の写真から他の誰かの写真へと作品は進化をする
様々な家族との出会いを通して撮り続けた写真

特に印象的だったのは、病気の長男を持つ家族写真
もしかしたら未来にその写真は二度と撮れないかもしれない
でも今ある奇跡を一枚の写真というツールに記憶する
その写真には儚すぎるほどの愛が詰まっていた

東日本大震災

それはいつもの日常の1日になるはずだった
ある人は大切な家族を求めて探し続け
またある人は故郷にいる親友の安否を気にして
そしてある人はこの災害を自分なりに受け止めその地へやってきた

写真が持つ記憶の力

大震災ではたくさんの家が流された
家だけでなくその中にあった全てのものが水や泥に埋もれてしまった
泥をはらい写真を元の持ち主へ返すというボランティアを始めた弟は
その活動の中で一人の少女から家族写真の依頼を受ける

写真を返却するというこのボランティアは
改めて我々受け手に写真の意味を再認識させる
その写真を見て思い出される記憶は、その人にしか体験できない行為
つまり、唯一無二の存在なのだ

これがスマホのデータだったらここまで大きな活動にはなっていない
モノとしてそこにあるということ
あったはずのモノがそこにないということ
様々な意味で気持ちが交錯する
それも全て記憶に直結している写真ならではの行為

最近写真撮っていますか?誰かと話が出来ていますか?

新しい生活様式となってから
やけに何もかもデジタルデジタルという世の中になりつつある気もする
その一方で、やはりその利便性に有効さを感じずにはいられない

でも私たちは忘れてはいけない
根本にあるのはいつもアナログだということに
弟の転機となった個展の開催も写真集の発刊も
その才能を信じ、支えてくれる存在がいたからに他ならない
それはデジタルの力ではなく、人との対話を通してアナログに行動したからだ

私自身もリモートになってから、
人との対話をすぐにLINEやメールなど文章を送信することで満足しているが
それによる理解の難しさも認識している
デジタル化は方法が多彩に増えただけで
会話をしない、楽をしていいという理由にはならない

家族の形もアナログの典型例だと思う
会えないから話さないのではなく会うために話す
アナログという暖かさにまた触れてみたいと思えた

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