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「もらう」「返す」文化で起こるフードロス


つい先日、五輪関係のニュースでこんなものを見つけた

オリンピックの話題は色々あれど、
結果約4000食もの食べ物が廃棄されたことは
いい大人たちが話し合って適正な数が発注されてたのか疑問が残る

そんな中、食品ロス問題で私自身ずっと引っかかっていることがある
それは、「もらったら返す」という文化だ

私の両親たちは畑で多くの作物を育てている
この時期だと、トマト・なす・きゅうり・ピーマンなどの夏野菜だ

私だったら自分が食べる分だけを育てる、というのが当たり前だ
しかし、田舎の野菜づくりは他人の食べる分も育てる

「いつも〇〇さんにはお世話になっているから」
「前にたくさんモノをもらったから」
「うちの作物を美味しいって食べてくれる」など理由は様々

でも、もらったからといって人に何かを返す必要は必ずしもない

結果、うちは食べる以上の大量の野菜で溢れている

では、なぜこういったことが起きるのか

もらったらあげなきゃいけないという使命感

私たちは、小さい時からこんな教育を受けていないだろうか
「誰かにしてもらったらありがとうと言いなさい」と
もちろんこの話に間違ったことはないと思う
感謝を伝えることは人間として当然のマナーだと思う

だが、言葉だけでも十分なのにいつからかモノを添えて
さらにその人に対する感謝を伝えようとする
というか、モノをあげたらもっと喜んでくれるだろうと思っていないだろうか

そうやって相手のことを思いやって起した行動は
「ありがた迷惑」なんて言葉に変わって
感謝とは真逆の何かに変わっている可能性もある

ありがた迷惑は本望ではない

全ては思いやりのカタチを自分がどうするかでコントロールできる問題で
何でもかんでもモノに心をのせてお返しすることを一度辞めてみてはどうだろう
きっと「そっけない人」なんかじゃなくて「ありがた迷惑」でもなくて
「ありがとう」と気持ちを伝え合える関係になれるはず

そしたら、私の泣く泣く腐り果てていった食べ物たちも少しは報われて
心のモヤモヤも晴れるはず・・・なんて

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