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読書「ゴッホは殺されたのか」

「もし日本人が彼らの国で
進歩しなくなってしまったら、
その芸術はきっとフランスが相続するだろう」

ゴッホは殺されたのかより

バイフィンセントゴッホ!

ゴッホは殺されたのか
著者 小林利延


▶ネタバレを含みます。内容に深く触れているので
未読の方はご注意くださいね。


ゴッホは、弟テオと手紙のやり取りをしているのですが
だんだん死に向かうにつれて、手紙を読むのが
悲しくなってきます。

南フランスが日本と同じだと思い移り住んだゴッホは
弟を呼び寄せたくて手紙にこう書きました。

「たとえ他の場所より費用がかかっても、
南に住もうとする理由は、僕たちは日本の絵を愛し、
その影響を受け、すべての印象派の画家たちも
同様に影響されているから、それなら何としても
日本へ、日本と同じである南フランスに
なぜ来ないのか。中略。
君も少しの間でいいから、ここへ来てくれないか。
そうすれば、この土地の感じも分かるし、
見方も変わる。もっと日本人の目で
物が見えてくるし色も違って感じるだろう」

ゴッホは殺されたのかより

この時代には日本の影響受けた人がいっぱいいます。
ゴッホは日本好きだからか、親しみを感じます。

ゴッホの映画を観ました。そこでは狂ってるのは
ゴッホじゃなくて周りかも?と思うような
話になっていて、印象的でした。
結局のところゴッホは追い詰められてしまい、
精神的に病んでしまったのかもしれないと。
またゴーギャンも思い返すと、
結構身勝手に描かれていました。

実際にこのゴーギャンの身勝手さは、
本などでも見られゴッホは、それによっても
精神的に参ったかもしれません。
ただ、ゴーギャンの方の言い分をあまり知らないから
そこは何とも言えないところです。

ゴッホは自殺をしたと言われていますが、
作者は他殺だと説明しています。

この本では、ゴッホが誰に殺されたかを
考えていきます。
作者は弟テオこそが実は犯人ではと迫っています。
本を読んで行くと、確かにそうかも?って
思わせられるような説得力も感じましたが。

さて、どうなのでしょうか。

私の考えはこうです。発作とは、
言いかえれば衝動的に無意識のうちに
死のうとする病気のようなもので、
本人の意識の外で無意識のうちに死の衝動が
起きてしまうのではと。
例え普段から、発作的なものに対して
危機感を感じていても。
本人も死ぬ理由がない状況で
死に向かっている可能性があると思うのです。

思い悩み自殺を選ぶのと、発作の起こす衝動は別物で
だから幾ら将来の展望があり、
明日も楽しい予定があろうとも
発作によってどうなるかはわからないと
言えるのではないかと。
発作は、本人の意思とは別の意思を
持っているかもしれません。

ゴッホは、それまでも、発作が起きると、
石油を飲んで死のうとしてたりするらしいのです。
そうならば、彼の発作は死のうとする病気の
ようなものだったかもしれません。

本書ではゴッホの銃で受けた傷は
自分でつけられない傷だと
説明されていました。

さて弟は撃つのかーー。

テオは、ゴッホの死後直ぐに亡くなっています。
その前には、精神病院にいたらしいのです。
もし、誰かが殺したとするなら
ガッシェ医師も怪しい気がしてきます。単純ですが。

ゴッホがすごいのは、絵を描き続けていたことです。
精神を病む状態は辛い大変な事態でしょう。
けれど彼は最後まで絵を描き続けました。


▶この記事は2015年にブログに掲載したのを編集したものです。
▷このnoteは新たな読書の記録と過去の記事をまとめたものです。

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