見出し画像

ADHDな私の生い立ち~大学受験から就職活動まで~


大学受験

勉強ができない&しない私がそれなりに頑張ってみたものの、ずーっとサボっていたツケは大きく、一浪して女子大御三家のどこかに拾ってもらう。
ちなみに“固有名詞”を“暗記”することが苦手な特性から、地歴公民が壊滅的でした。
それなのに文系職である翻訳家になりたくて文系を選んだから、まぁ大変💦
結局英文科ではなく、理系寄りの学科に入りました。

大学生の頃


19歳。1年生の必修科目の講義の中でとある模擬試験を受けて、みんなの前で点数を言わなきゃいけない状況になり(今ならそんな教育方法はできないよな…)、なんかの間違いでブッチギリの1位になってしまう。今までされなかった頭がいい人扱いを受けてしまい、困惑。
友人関係はというと、激しい人見知りを発動して最初のうちはできなかったが、徐々に周りの人に慣れていくことができた。実際に周りの子たちが優しくていい子たちばかりだったことにも助けられた。
課外活動では、時間を守れなかったり、覚えが悪かったりして先輩に叱られてしまい、逆ギレして喧嘩というパターンを何回か繰り返してしまった😓
飲食店のバイトでも同様のことでうまくいかず、女性の偉い人と度々衝突をしてしまう。ただ、自分を褒めてあげたいのが、バックレをしなかったこと!
他にも倉庫のバイトやイベントコンパニオンのバイトもやっていたけど、それらは問題なくこなせていた。

20歳。2年生になり、初めてガチの学生実験を体験する。実験自体はいいのだが、週2で約5,000字の実験レポートを書く日々に辟易とする。とはいえ、完徹して何とか乗り切っていたので、
調子に乗ってしまう。手を抜けるところはとことん手を抜く性格が作られたのはここからかもしれない。
課外活動でも後輩ができ、さすがに後輩に抜かされたら恥ずかしいという思いで割と頑張って覚えた。必死に頑張ってないんかい😓

就職活動
緊張しいのくせに、恥ずかしながら面接対策をしなかったので、なかなか内定が出ず。
「頑張らなくても結果を出せる自分」像を見せるのに必死になってしまったけど、後に受けた就活支援で、それはとても痛いことを教えられた。ここで教わったことが後に転職活動での高評価に繋がったのかもしれない。
結局、紹介予定派遣でメガバンクに行くことに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?