破壊と再生ー25歳はじまり日記ー
卒業、あらゆることからの。そして、再度訪れる「破壊」。
そして、無事色々が終わって、卒業が近づく。さまざまな経験をもたらしてくれた制作の日々にとにかく感謝しまくっていたが、肝心なことに、今を生き抜き過ぎて、未来をどうするか決めていなかった。
パートナーはこのまま一緒に住む準備をしようと言ったが、家決め、就活、その時間全部映画に費やしてしまった。それで、どうしたかというと、コロナでしばらく会っていなかった家族を訪問。しばらく故郷でゆっくりすることにした。
ゆっくりと流れる時間。何者かになりたくて焦っていた自分。常に、何かをしている自分って偉いし、そんな自分を見て。と、インスタで色々上げていたが、ある朝ふと思った。
もし携帯がなければ、何かしらの情報媒体がなければ私たちの知り得る事は今目の前の半径5メートルくらいのことしかないと。そしたら、何者になることに何の意味も見いだせなくなった。特に田舎に行けば、私が何者なのかなんて蛙や青虫や木や稲穂は気にもとめないし、知らないし、知らなくても彼らは生きていける。
本当に、田舎に帰ってから、当たり前のものを取り戻していった。そして、映画祭に出展したり、あらゆるところでその映画を上映したが、私のモヤモヤは止まらなかった。
なぜ?まあとにかく私が唯一安らげたのは、ボサノバやキューバの音楽が流れる店主がキューバに住んでいたことのあるあの小さなカフェだけだったように思う。
それで、いろいろなことを経験したり、縁も繋がったが、思った。多分、この世にはいろいろな固定概念があって、それがダミーのようにコロコロと転がっている。あちらにも、そちらにも。足の下から、宙に浮かんでいるものまである。
就職=正社員
アート=貧乏
監督=すごい
じゃあ私は何者なのか。ああ、もう何者にもなりたくない。
そう思い始めた。
今は実家で、正直食事だって出てくるし、掃除だってそんなにしなくても場所は誰かによって綺麗にされて保たれていくし、両親が運転できるから、休日は行きたいところへ行き放題。まさにComfort Zone. 楽な生き方。
で、決めた。このままどんどん霞の中を行くような、本当の自分を、少しだけ頑張ったことの集大成で固めて、それを田舎でひけらかして、何者ですよってインスタで誇示しながら生きていくのが本当に私なのか、と。
そしたら、わからなくなった。色々と。
で、ついに頭がおかしくなった夜、パートナーと家賃抑えめの家を探して決めて、都会に出てきた。とりあえず、未来を決めずに。実家の方で貯めたバイト代を握りしめて。
両親にもお世話になりました、とだけ言って。
だから私は、考える間も無く行動してしまって、今に至るわけで、
またComfort Zone 楽な生活を飛び出してきた。
で、、0にしてみたらなんか最初の3日くらい憂鬱だった。生活費どうしよう。これから仕事どうしよう。何も決めてない…(確実に思い立ったらすぐ行動した自分の自業自得なのだが)
また、とりあえず卒業してして構築してきたものを一旦手放して「破壊」を選んだのである…
何度もいろいろなタイミングで破壊と再生を繰り返してきた訳だけど、また破壊のフェーズに入った。でも今度はちょっぴり違う。3日の憂鬱を乗り越えて、だんだんと「これは本当の自分を見つける旅なのかも。0であればそこからまた作り上げていく面白さ、感動を味わえるかもしれない。そして、どんな方向にでも再生して行ける」経験上、少しそう思うようになっていった。
時間が流れる。
人生は冒険だ。人生は長いし、今は25歳旅に出たと思ってもう一度何者でもない自分から始めてみようかと思う。
ー 続く ー
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