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[幻聴ラヂヲ]人気アニメ三部作と持続不可能な社会(隠され見向きもされなくなったところから ”禍” が…)

 ひさしぶりに聞えてきたどこかの星の海賊放送

 その星で大人気アニメ監督の作品、実は三部作だったそうです。
 Kimi no・・・ Tenki no・・・ ・・・no Tojimari。
 
 一つ目が、災害を防ごうとする
 二つ目が、災害を受けとめようとする
 三つ目が、災害だらけの世の中?

「Suzume」は「Uzume」から来てるそうです。
 洞窟に隠れた「Terass」を呼び出すのに重要な働きをしたことで有名なあの「Uzume」です。
 監督の最初の気づきは、カミさまからして「開けっ放しじゃん」ということだったそう。
「開けっ放し=開発しっ放し」というところから、「開けっ放し=開発だけ=環境破壊」というテーマにつながったのだとか。

 タイトルの「Tojimari」は「開発オンリー」へのアンチテーゼ
 でも、映画の中では問題の根本的な解決は示されてはいないのだとか。なんとか今の時点での破局は回避したが、それはいわば対症療法であって危機の構造は変わっていない。今の世界を「開発型」から変えない限りは危機は続く。被害は拡大する……。このあたりは大人へのメッセージですね。弱気、悲観的なのではなく現実的なんだと思います。
 ただ、人々が目覚めて本気で「Tojimari」の必要性を理解して、行動を開始すれば奇跡が起こる可能性はあると。だから映画を作っておられるのでしょう。
 
 海賊放送は、しかしそこで終わりませんでした。次に聞えてきたのは歴史の話。
 その星では「Jou-Doki時代」という不思議な時代があったようです。金属に先駆けて土器製造を確立して大文明の先駆けとなった。
 土器っていろいろおもしろい。たとえば器が作れる。石を削って器を作るのは大変過ぎます。特に大型のものならなおさらです。土器なら水がめが作れて、それが遠洋航海を可能にしたんだとか。「Jou-Doki人」は高度な航海技術も持っていた。
 彼らの文明が大文明に数えられないのは、農耕や牧畜をやらなかったからなんですって。
 もっとも農耕を知らなかったとか、その技術を発達させることが出来なかったというのではないそうです。近年の研究では、遺跡からその痕跡が発見されていて、小規模には行われていた。大規模にやらなかっただけ。
 やれなかったのではなく拒否していたフシがある。というのは、周辺から再三にわたって接触があった形跡があるから。つまり「Jou-Doki人」には、農耕(大規模開発)を嫌う強い意志があったと考えられるんだとか。
 
 はい。映画の話から歴史の話に話題が変わったと思ったのは早合点で、二つの話はつながっていました。

 いうなれば「Jou-Doki人」たちは「反開発」だった。土地はカミのものであり、大きく変えることや人間(宇宙人のことですよ)が私有することへはカミへの冒涜と考えていたようです。

 常識で云うと、その星は農耕民族の星とされているのですが、「Jou-Doki時代」はその対極だったんです。農耕民族の星になったのは次の「Sui-tou時代」になってからです。その大転換は何によってもたらされたのか?
 諸説ありますが、アバウトに云えば、渡来人が主導権を握って農耕開発型文明へと大きく舵が切られた。
 それは二つの民族が争って「Sui-tou人」が勝利したというような単純な話ではなく、要は「農耕開発」をめぐる思想感覚の対立。それが結局、「開発支持派」の勝利に終わったということのようです。
 ただ、こういうとやっぱり「農耕開発」のほうが優れているから勝ったのだと思われそうですが、そこには大災害という不可抗力もありました。大火山の噴火で「Jou-Doki人」たちの地域がほぼ壊滅してしまったからです。渡来人が簡単に移住してこれる条件が整ってしまった。

 ですので、その星が農耕民族の星だと考えれば、自動的に「Sui-tou」がルーツだということになってしまうわけです。イコール渡来人とまでは云わなくても「渡来系」です。
「Jou-Doki」がルーツだと思えば、その象徴は土器作りですし、思想信仰的には「反開発」になる。ルーツ問題は現在や未来にも大きく関わる。

 
 ここで神話の話が出てきたのですが、『古事記』の高天原の話とそっくりでびっくりしました。何なんでしょうね。神話というのは宇宙に共通しているのでしょうか。。
 
 それはともかく「Mizuho-no-kuni」なんていうのは水稲のことですから、
「Sui-tou時代」のことであって「Jou-Doki時代」の神話ではありません。
 が、一番のカミさまの「Teras」は微妙なんです。というのも突如、やってきた「Gozu」が暴れたので洞窟の中に隠れたとされていますから。いうなれば「開発志向」の渡来人を嫌って引きこもったとも受け取れます。
 しかし、結局、ほかの神々の熱心な働きかけによって洞窟から出てくるわけで…… つまり「Teras」は「Jou-Doki時代」から「Sui-tou時代」にまたがっている存在。「Teras」は決して宇宙最初のカミではなく、親カミもいるのですが、その星で一番崇拝されているというのは、このあたりに秘密があるようです。二つの時代をつないでいることが特別なんです。
 
 で、ここで注目されるのが、洞窟に引きこもった「Teras」を誘い出すのに重要な働きをした神々が「Jou-Doki」系なのか「Sui-tou」系なのかということ。
 そこははっきりしません。人種の問題と云うより「開発」か「反開発」かのポリシーの違いだからです。今日、伝わる神話では、洞窟に引きこもった「Teras」を支持するカミはいませんから、ほかの神々は全員「開発支持派」になっていたようですが、神話も書き換えられるものなので「開発反対派」の神々もいた可能性はあります。わかりません。
 
 おもしろいのは、偽書とされる古史古伝に「Jou-Doki」系の神話の断片が垣間見られるということ。それらの古史古伝が部分的に取り上げられることもなく全否定されると云うのは、「Jou-Doki」時代を封印しておきたいという思惑が働いていそう
 
 ま、世の中それで平穏なら、ナントカも方便なわけですが、
 
 しかし、ここにきて環境問題、異常気象、災害の多発という、のっびきならない事態になってきました。
 そこを映画では、放置された土地から禍が生じるというように描かれているようです。つまり、そういうかたちでかつて「反開発」の文明があったことを暗示した。

 じゃあ、どうしてそれをはっきりと云わないのか?

 アニメといえども、おいそれとはそれを口にできない。そこに問題の根深さがある。だから、映画を本当の意味でのハッピーエンドにすることができなかったのでしょう。映画製作もまた開発型文明あってのものであり、それを否定すれば自己矛盾に陥る・・・
 
 とまあ、そんな話でした。

 おりしも地球でも異常気象、災害の頻発という事態を迎えており、他人事とは思えないものがありました。 

隠された縄文的なもろもろが澱んで、
”禍”を吹き出しはじめている……

頭で考えると、そんなことは岡本太郎や梅原猛なんかが
とっくの昔に指摘している、とか思ってしまうわけですが
実は縄文の痕跡は身近なところにも散在している。
わたしの生まれ育った故郷にも
今住んでるところにもあったんです。
いまだに行ってませんが本には書いてある~
そういう場所は全国に無数に……

その星の映画は全国各地をめぐって
各地の 禍(放置された聖地)と向き合っていくそうです。
アーティストの表現って素晴らしいですね。

あの陰気な場所、もしかして……
今は神社やお寺になっている場所も元は……
一角にひっそり祀られているあれは……
思い当たる人はきっと多いはず
そこへの気づき、祀り直しが奇跡につながるのかもしれませんね


※但し、陰気な場所、嫌な感じのする場所には立ち入らないほうがいい

というのは一種の”生活の知恵”
無知な個人の軽はずみな行動は危険ですらあります。難しい。



見出し画像は motorajiさんの作品です。
ありがとうございます。
 
 

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