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[暮らしっ句]オクラ[俳句鑑賞]

 何はさて オクラにかけし花がつを  小山森生

「まあまあ、落ち着いて、とりあえず一杯~」などと他人から云われても何だかな…ですが、自分の内側からわいてきた欲求はいいものかも。うつ病とか。やりたいことが出てくれば、それが糸口になるといいますしね。
「何はさて」… どんな時でも欲しくなるものは何ですか?

 介護の話をすれば、家庭介護のいいところは、要介護者がボケても何を欲しているかがわかるし、出せることですね。ま、わかっていても何回かに一回しか応えませんけどね~
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 オクラ咲く 黄の明るさに 湖の村  今井妙子

 先日、家の前でグリーンカーテン(ゴーヤ)を編んでたら、女の子が通り掛かり、挨拶したら、トイレを貸して欲しいと。ただ、それだけのことなんですが、それだけで年寄りのむさい家が明るくなった気がしました。小学校中学年くらいのエンピツみたいな女の子。これがきれいなお姉さんだったら、逆に余計にみすぼらしく感じられたかもしれません。
「オクラ咲く黄の明るさ」とは、たとえばそういうこと。ただ華やかなものを持ってくれば明るくなるというのではない。「湖の村」にはオクラの花がちょうどよかった。
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 初恋の君のおもかげ オクラ花  八木紀子

「オクラ花」のような男性? まさかね。「オクラ花」は作者にしかわからない思い出のトリガー。そういう表現は、一般的には自己満足の世界ですが、わたしも思わず「初恋の君」を花にたとえたくなりました。つまり、この句は、他人のわたしの記憶をも呼び覚まさせてくれたわけです。
 表現と云うのは、わかりやすく伝えれば共感してもらえるというものでもない。内的なつぶやきのほうが返って共鳴を誘うこともある。
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 幼稚舎の オクラししとう背比べ  朝倉晴美

「ししとう」は、万願寺とか辛くないトウガラシのこと。確かピーマンとのかけ合わせだったかな。ともかく夏野菜の定番の一つで、小さな菜園だとオクラと隣り合わせに育てられていることも、あるある。うちもそうです。
 しかし、それはあくまでこの作品の入口。その奥にあるのは何か? 何んだかわかりますか?
 子どもたちです! 本当はそこに同じ背丈の園児たちがいる~ それがこの作品の「秘された花」。
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 うつむかぬ決意ありあり オクラ成る  服部早苅

 作者はきっと努力家なのでしょう。加えて、うつむきたくなる問題に直面されてるのかもしれません。だからこそ、力強く起立したオクラの実に「決意」を感じた。メッセージを感じ取ったわけです。一種のシンクロ。
 頑張ることが常にいいことだとは限りませんが、シンクロが感じられる時は、運命からは外れていない。
 現代は成功を意識する時代だと思いますが、古代から中世にかけての人々が意識していたのはおそらく運命のほう。貧しい家に生まれた… 親の決めた相手と結婚… そこは変えられない。その中でどう生きるか。
 現代の感覚だと、土台から変えたくなりますが、こんな川をカヌーで下りたくない! と思って、別の川を探すのがよいことなのかどうか。結局、カヌーに乗るよりも、カヌーを担いで歩き回ることの多かった… なんて人生になりかねません。
 実際の運命は、そんなふうにはっきりとわかるものではありませんから、運命を生きると云うのも簡単ではないんですが、シンクロは手掛かりになると思います。運命を生きていればシンクロが連続するようです。
(※そんな「運命観」を持てたのは 夕貴さんの「瑛人くん」の記事を拝見して。ありがどうございます。)
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 種を待つ 今なほ畑の大オクラ  菊池由惠

 オクラって毎日、見回っていても収穫時期を見逃しやすい。熟して腐ることはありませんが、大きくなると固くなって食べられません。放置すると、もっと大きくなって茶色く枯れていくわけですが、種をとるためには、それが必要なんですね。でも、そんな畑の光景、ちょっと不気味。
 擬人化すれば、老人牧場… 完全にホラーだ。その場合、設定としては、老人には子供が作れない代わりに「種」を育むことが出来ると。高齢者が長生きさせてもらえない時代になりつつありますが、「種」のある老人だけは生かしてもらえる… なんてね。
 この想像が不気味なのは、やはり外見の醜さ。孤児院のホラーとは真逆。孤児院のホラーは一見愛くるしく幸せそうなのに、悲惨。一方、老人牧場のホラーは、長生きさせてもらえるのに見た目が、悲惨…。
 ちなみに、人間に「種」が作れるとすればそれは何か? 遺伝子ではないもの。考え(ミーム)になりそうですが、そこは形が必要ですね。宮沢賢治さんの「思い」は作品化されたから後世に伝わった。
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 オクラの実 採り忘られて 魔女の爪  小阪律子

 枯れたオクラの実は「魔女の爪」のようだと。お見事!
 考えてみれば、それは見た目のことだけでなく、そこに宿る「種」は「魔法」に似ていなくもない。
 老いた者に宿る「種」が「高度なノウハウ」だとすれば、それはまさに「魔法」。農民なら瑞々しい作物を実らせることが出来ますし、職人なら美しい工芸品を作ることが出来ます。痩せて萎びた指先からそれらが生まれるというのは「奇跡」というより「魔法」っぽい。

 翻って初老の自分。これといった「芸」はないんですが、そのイメージは励みになります。書いたもの一つでも、もし後世に残れば、それは「種」を撒いたことになりますから。老いの不安を感じるようになったこのタイミングで、このイメージに辿り着けたのは、それもまたシンクロなのかも~

生かされているのは、まだこの身の中に
「未成熟の種」があるということ
しっかりその「種」を育てて 枯れきるとしましょう!


出典 俳誌のサロン 
歳時記 オクラ
ttp://www.haisi.com/saijiki/okura.htm

※見出し画像は、AIで作成したものです。
正確なオクラの画像は検索してください。


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