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[回想]ハンサム

昔々、高齢者施設で、
「ハンサム」と呼ばれてる人がいました

今では、まったく リアリティがありませんが
はい、わたしのことです。

最初に そう呼び始めたのが、Cマチさん。
当時、八十代半ばだったかな
洋風の人じゃなく
明治生まれの農家の おばあさん
若いわたしへの精一杯の迎合が
「ハンサム」という言葉だったのでしょう

でも、媚びはありません。
呼び捨てなんです!

ほかの職員には、サンづけなのに
わたしにだけ 「おい、ハンサムぅ!」

そのCマチさん、リューマチでした。
当時、三名のリューマチの人がおられて
3番目に出会ったリューマチ患者さんだから
Cマチさん

家にうかがうと
Cマチさんのいる場所は広間で、
その真ん中に椅子がひとつあって
ずっとそこに座っている とおっしゃってました

傍らの小さな台に、小さなヤカンがあって
お茶が入れてあるということでしたが
少しも飲まない と。
飲めば、トイレに行く回数が増える、
動くのがつらいので ただ じっと座っていると

ご家族は農家なので 日中はひとり

当時の リューマチは
今の がん 以上だったかも知れません
もう、耐えるだけ という感じ
業病という云い方もありました
何かの因果…… というやつです

いまだって 頑固なひとは
がん になりやすいと云われることがありますが
当時は リューマチがそうでした

当時の がん は まだタブー
高齢者だと ご本人も知らない
当然、こちらも口にしません

リューマチは しかし隠しようがない
ともかく 痛いんですから

でも そこがおもしろいというと
語弊があり過ぎですが
わたしの出会った限りでは
ほんとうに 皆さん 頑固!

いや、気持ちがお強くて
くよくよしない めそめそしない
皮肉が多い! 云うことが辛辣!
そして 指図する という印象

Aマチさんなんか
介護者を つねに指名して
その人が休みだと 露骨に落胆してましたし

実際、ひとり神ワザの職員がいたんですが
その人のことは、また、いつか書きます

ともかく Cマチさんは
わたしが 移動になるまでの一ヶ月くらいの
ほんの短いつきあいで
ろくに何も知らないのですが
そのエピソードだけで 忘れられない人

思い出すと つい昨日のことのようです
広い部屋の真ん中に ぽつんと置かれた椅子
それも 子どもの学習机とセットのようなやつ
孫のおさがりですね

毎日毎日、
日が高くなって その日が沈んで
いったい何年 そうやって過ごしたのか

単純に時間だけ数えると
苦しい時間が とんでもなく長くて
ほんと 呪われたよう

でも、記憶にあるCマチさんは笑顔で
何の悩みもないように
用事がなくても 気安く呼びつける

「おい、ハンサムぅ!」

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