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多様性の科学 ~画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織~①

ちゅ、多様性。

なんて歌がヒットするくらい、「多様性」という言葉を聞かない日はありません。(いや、実際はありますが)

そして、多様性の英語訳は「ダイバーシティ」ですが、「ダイバーシティ」と画像検索すると、予想はしていましたが、やはりお台場のダイバーシティ(Diver City)が上位にずらっと並びました。

日本人にとっては「ダイバーシティ」と言えば、「多様性」よりも「お台場」が頭に浮かぶのでしょう・・・。(;´・ω・)

この時点で、「多様性、多様性、うるせーなー」と思っているアンチ多様性の方もいらっしゃるのではないかと思います。そんなあなたにぴったりの一冊をご紹介いたします。それが「多様性の科学」です。

ちなみに本書の著者はマシュー・サイドさんというイギリス人で、作家・ジャーナリストであり、なんと卓球の元イギリス代表(長らく国のトップ選手だった)という、なんだか意味不明な経歴をお持ちです。そんなマシューさんが書いた「失敗の科学」という本を読んで、私は感銘を受けたのでした。

さて、多様性の話です。そもそも多様性って何となく大事だっていうのはわかっているけど、なぜ大事なのか、そしてそもそも多様性って何なのか、を本書のレビューを始める前に記しておきたいと思います。

多様性とは?

Wikipediaには、多様性(diversity)は、「幅広く性質の異なる群が存在すること」と書かれています。逆に「非常に似たような人や物の集まり」は多様性が欠如していると言えます。

表層的ダイバーシティと深層的ダイバーシティ

ちなみに、多様性には2種類あって、一つが表層的ダイバーシティ、もう一つが深層的ダイバーシティと呼ばれます。文字通り、前者は目に見える表面的な多様性で、後者は目に見えない深いところにある多様性のことです。

表層的ダイバーシティ

  • 性別

  • 人種

  • 国籍

  • 年齢

  • SOGI(性的指向・性自認)

  • 障害の有無

深層的ダイバーシティ

  • 価値観

  • 宗教

  • 経験

  • 嗜好

  • 第一言語

  • 受けてきた教育

  • コミュニケーションの取り方

多様性はなぜ大事なのか

みんなちがって、みんないい

金子みすゞさんが言っていました。

「みんなちがって、みんないい」

と。

我々日本人は、この生きていくうえでの大原則ともいえる単純な真理をとかく忘れがちです。それは、地理的、文化的な背景から、個よりも集団に重きを置き、人と異なることが「悪」とされることが多いからです。

しかし、その多様性の欠如は、この日本という国が戦後奇跡的な経済発展を遂げて、世界でもトップクラスの裕福な国に成りあがることに大きく寄与しましたが、この30年を振り返ってみると、この多様性の欠如が今の日本のあらゆる面での停滞を引き起こしたのだと私は考えてしまいます。

本書は、多様性のない/乏しい集団や組織がいかに失敗をしたか、をあらゆる角度から科学的に実証し、改めて多様性の偉大さを感じさせてくれます。それでは、そのいくつかの事例を紹介いたします。

なぜCIAは9.11を防げなかったのか

CIAというのはハリウッドの映画でしか聞かないような用語ですね。実生活にCIAが関与しているようなら、貴方は相当やばい人のはずですから。(そんなやばい人は私のnoteを悠長に読んでいないはず)

CIAとはCentral Intelligence Agencyの頭文字を取ったもので、アメリカの国家情報安全会議の一部局で、「中央情報局」などと日本語で訳されます。

文字通り、アメリカ中のIntelligenceが集まった、超頭脳明晰な人間たちの集団で、彼らがその人類最高級の頭脳を使ってアメリカという国家を日々守っていると言っても過言ではありません。

では、そんなCIAがなぜイスラム教過激テロ集団アル・カイーダなどによるあのような大胆なテロを未然に防ぐことができなかったのか。当然のごとく、彼らは厳しい批判にさらされました。(何万人もの人員と数兆円もの資金を持つ情報機関なのですから、批判は当然だと思います)

そう、その解答が、「多様性の欠如」、すなわちCIAの『画一性』だったと作者は主張します。

ちなみに、CIAはある意味アメリカの社会を象徴しているような組織で、以下のような系譜をたどっています。

  • 1964 黒人、ユダヤ系、専門職の女性は1人もおらず、カトリック系もごくわずか

  • 1967 12,000人のCIA職員の中でアフリカ系アメリカ人は20名未満。ラテン系、その他マイノリティの採用もなし。

  • 1975以前 同性愛者の採用を公式に禁止していた

  • 1980以降 依然、ほとんどが白人で、アングロサクソン系。かつ、中・上流階級の出身で、リベラルアーツ・カレッジの卒業生が大多数。非白人や女性はほぼおらず、民族的マイノリティも同様。

  • 1999 CIA主催の協議会中に講演をした35人と司会者のうち34人が白人男性。唯一の例外は、ディナー・スピーカーを紹介した白人の女性。そして、300人の参加者のうち、非白人は5人に満たなかった。

これで、CIAという組織がいかに多様性が欠如し、画一的な集団化ということがお分かりいただけたかと思います。

画一的な組織では盲点を見抜けない

ここで我々日本人にとっても面白い例を出します。

2001年のミシガン大学の実験で、日本人だけのグループとアメリカ人だけのグループに、水中の様子を描いたアニメーションを見せ、その後各被験者に何が見えたかと質問をしました。

みなさん、それぞれのグループがどのような回答をしたか想像がつきますか?

アメリカ人は「魚」について語りました。彼らは魚に関して細部まで詳細に覚えている様子でした。

一方、日本人は背景について語りました。「川のような流れがあって、水は緑色でした。そこには医師や貝や水槽が見えました。ああ、そういえば魚が3匹、左の方へ泳いでいきました」という感じで。魚はあくまで脇役という認識ですね。

これはそれぞれの文化の違いが影響しています。アメリカは個人社会の傾向が強く、日本はより相互依存的です。アメリカ人は手前や中心にある「もの」に重点を置き、日本人は「背景」着目する傾向が見られたのです。

この実験から何がわかるかというと、人の物事の捉え方には、ただものを見るという単純な行動にさえも、文化に基づく違いが存在するという事実があることです。

逆に言えば、同じ文化を持った人間同士では、なかなか見えにくいものがあるのです。

この実験をアメリカ人と日本人が共同で行ったら(協力し合えば)、ものも背景も両方見逃すことなく見ることができます。単純な話、これが本書の結論です。

CIAの大きなミス

では、CIAはなぜ9.11を阻止できなかったのか。詳細は割愛しますが、そこに至るまでにはたくさんの分岐点がありました。

そのうちの一つが、オサマ・ビンラディンの画像でした。ビンラディンは1996年8月に、アメリカに対する「ジハード(聖戦)」を宣言しています。CIAはもちろんアル・カイーダのこともビンラディンについてもしっかり情報をキャッチしていましたが、キャンプファイヤーの前でしゃがんでいる、あごひげの長いひょろりとしたサウジアラビア人が、アメリカにとって脅威になるとは考えなかったのです。

CIAの分析官にとって彼は前近代的な、現代文化には程遠い男に映り、まさか彼とその組織が超大国アメリカに本気でケンカを売るなどとは思わなかったのです。

実際、クリントン政権下で主要な外交ポストを歴任したリチャード・ホルブリックは「世界をリードする情報大国との戦いに、洞窟の男(ビンラディンのこと)がどうやって勝とうというのか」という言葉を残しています。アメリカらしいと言えばそれまでですが、超大国の驕りが史上最大のテロ事件を引き起こしてしまったのです。

ちなみに、「洞窟」には深い意味がありました。預言者ムハンマドは、多神教からの迫害を受けて洞窟に逃れ、そのことは「ヒジュラ(聖遷)」と呼ばれていたのです。それはイスラム教徒だったら誰でもわかることであり、ビンラディンはこの頃からアル・カイーダの中で神格化(預言者とみな)されていったのです。

そうしている間に、「時代錯誤の無知な連中」は2万人近くに膨れ上がり、彼らは皆1996年から2000年にかけて訓練キャンプに参加しました。「無知」どころか、ほとんどのメンバーは大学教育を受けており、機械工学に明るく、5~6か国語を操るものも多かったそうです。

2000年7月にはハイジャック犯たちがフロリダやアリゾナの航空学校で本番さながらの飛行訓練を受けています。

今になってみれば、CIAは様々な危険な兆候を見逃していた、というよりも過小評価していたのです。それは上記の通り、集団が画一的だったゆえに、見えるべきだったものが見えなかったのです。

多様性に富んだ集団であれば、アル・カイーダのみならず世界中の脅威に対してももっと深い洞察力を発揮できたことでしょう。考え方の枠組みや視点の違う人々が集まれば、物事を詳細かつ包括的に判断できる大きな力が生まれるのです。

今回はここまでにしたいと思います。多様性の重要性がなんとなくご理解いただけたのではないでしょうか。

次回に続きます。


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