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事務局長一年生記その1 〜事務局長ってなんじゃ?〜

【アートプロジェクトの事務局長ってなんじゃ?】

『事務局長一年生記』などとタイトルを付けたが、はて何を書けば良いものかなんて思いつつも、なんとなく書いてみるという始まり方で。

『東京で(国)境をこえる』に関わって1年と数ヶ月。正確な参加の日時は分かっていない。割と初期の打ち合わせの時に誕生日を祝ってもらったので、2019年7月くらいから参加しているはずだ。僕の誕生日は7月29日。

そこから、アーツカウンシル東京での打ち合わせの時に東京アートポイント計画の(おやっさん)森司さんより、「事務局長やってみたら?」と声をかけてもらい、「期間限定なら」と、とりあえずやってみる事になった。それがいつ頃なのか、正確な日時はこれもまた覚えていない。たぶん、いや間違いなく『事務局長二年生記』なのだとは思うけども、初心は超大切なので、今回は一年生記にしておこう。(そもそもぼくは”プロジェクト設計”担当としてプロジェクトに入っていて、今もそれを兼務している。)

まるまる準備期間に1年を使った『東京で(国)境をこえる』の最初のプログラム『kyodo 20_30』が動き出して、2ヶ月くらい。そこに、プログラムの最初のフェーズを終了したタイミングで、アーツカウンシル東京の担当PO(プログラムオフィサー)村上さんから、このタイミングで振り返りがあった方が良いのでは?的ニュアンスを含むSlackが飛んできて、そりゃそうだと思い、今回はそのことについてに記してみようと思う。(村上さん、いつもありがとうございます。)
『事務局長一年生記』の1回目は何を書こうか、定まらずにずっと下書き保存されていた状態だったのだけども、ようやく文章の道筋が立ちそうで一安心、と同時に締め切りが設定された。


↓ kyodo 20_30ってこんなプログラムです。 ↓

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【対面をといなおす】

『kyodo 20_30』は、『東京で(国)境をこえる』でやりたかったことがミニマルにパッケージされているプログラムだ。
内容についてはオフィシャルのHPに記載されているので割愛するけども、ディレクターの矢野靖人がやりたかったことが、準備期間を経て事務局内で解像度を上げて共有出来つつあり「よし、いよいよこれから」というところで、今年を象徴する事象に、御多分に洩れず足止めを食らってしまった。
ぼくは、緊急事態宣言下の中で、フィジカルな集いを今年に行うのは、さすがに無理ではないかと考えていた。しかし、対面出来ない歯痒さを演劇人であるディレクターが話していた「手足をもがれたような」という言葉から、少人数でも対面でプログラムを実施する意義を考え直すこととなる。
オンラインでのイベントの空虚さ(無意味ということではない)に辟易としはじめた時期とも重なってか、対面することでしか出来ないことをひとつひとつ考えてみた時間は、コロナ禍において数少ない当たり(タナボタ)と言っても良いかもしれない。

ぼくは、当たり前が揺らいだとき、日常の裂け目から世界はこうなっていたのか、と深く納得できるものを目撃した様な感覚になる時がある。
3.11のときもそうだった。9.11のときもそうだったかもれないけど、あの時はあまりにぼくが無知すぎた。
この世界はジェンガのように、一見安定しているように見えつつ、一瞬で崩れたりもする。裂け目はそれを教えてくれる。
だけども、この世界はジェンガのように、もう一度積みなおすこともできる。
そう確信できる言葉に出会ったことがある。
「あの時もそうだった。また、やりなおしましょう。」
1960年のチリ地震のときの津波に街を破壊された東北に住む方が、時を経ておじいさんになり、3.11で再び被災することになる。その時、瓦礫から救助されたときの彼の言葉だ。ぼくの鼓膜は、確かに優しく揺れた覚えがある。

震災から数年後、ぼく自身が震災のことを風化していくことが怖くて、あの光景を忘れてはいけないと貪り付くようにYouTubeを見ていた時期に、彼の年老いた笑顔を見つけた。確か隣には奥さんを連れて。奥さんも笑っていた。本当に強いひと、誰かにとっての希望、なんてあるとしたらこういうことなんだろう、と思ったし、ぼくにとっては確かに希望だったはずだ。
この状況でもあのおじいさんの言葉が木霊する。そう、対面をやりなおせたら。


↓ 緊急事態宣言の中では、オンラインで準備を行っていました。↓

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【"フェーズ1"と"そのひと性"】

プログラムがキックオフし、フェーズ1としたこれまでの時間は、いわゆるアイスブレイクの時間だ。
すでに準備期間を通して”コラボレーター”と”事務局”の関係性はある程度構築されているところに、新たに”プレイヤー”を迎える。”コラボレーター+事務局”の準備期間チームから、”kyodo 20_30”チームへ再編成しなければならない時間だ。
そして『東京で(国)境をこえる』で問題にしていることへも触れながら、あの手この手でその仕組みを考えた。と、同時に困難は幾つもあった。「コロナ禍」とか「コミュニティの再編成」とか「参加者のコミット」とか「みんなの日常の変化」とか。

このプロジェクトで生まれた言葉で「そのひと性」というものがある。
わたしたちが他者と出会うとき、どうしても「属性」が「本質」に先立って見てしまうことがある。
どういうことか少し例を挙げれば、”国籍” ”背格好” ”性別” みたいな「意味」を内包してしまっている「属性」がある。
「そのひと性」とは、その属性をキャンセルして「そのひと」のみに焦点を当てて出会い、知り合うことを意味している。
それは「そのひと性」という「本質」に出会う営みである。

フェーズ1では上記であがっているいくつかの困難が、少しずつほぐれだして「そのひと性」に出会えるようなきっかけを設計したつもりだが、はたしてどうか。フェーズ2への展開に繋がっていければ良いのだけど。


↓ コラボレーターたち。準備期間は「その人性」と向き合うために考え続けてきました。↓

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【席替えしたり、釜の飯食ったり】

フェーズ、フェーズって言ってきたけど、このプログラムでは、参加者間の関係性の <構築⇄解体⇄再構築> が生まれる時にフェーズの変化が起こるものだと思っている。(もちろんその認識もこれから変化していくはず)

これは、コラボレーターの綾田將一さんからワークショップのレジュメを頂いた時に書いてあったメモと、北川フラムさんの開催されている私塾『北川フラム塾』のなかで仰られていた「共犯関係をつくる」に由来していて(芸術の現場では、よく”共犯関係”は使われる言葉ではあるけども、それがフラムさんの口から出てきたことこそが重要だと、ぼくは思っている)参加者それぞれがコミュニティのなかでの関係性の固定化が起らないために、”対話”によって撹拌し続けることを目的としている。ざっくり言ってしまうならば「席替え」みたいなものかもしれない。
その時に、フェーズ1が”アイスブレイク”であったならば、フェーズ2では”共犯関係を結ぶ手前”ができれば良いかなと、ぼくは思っている。
フェーズ2は「試す&つくる」としていて、同じ問題意識を共有し、共に手を動かし(これをざっくり言うと「同じ釜の飯を食う」かも)、「さあ行動に移す作戦を練ろうか」という共犯関係になるための、フェーズ1より更に関係性を醸成する時間である。
※テキストにしてしまうと、まるで自分ひとりで考えてプログラム設計してます!みたいだけども、事務局はじめアーツカウンシル東京担当POの方々、参加しているみなさんとの対話からプログラムは出来ています。

↓ みんなで対話中です。↓

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最後に、ぼくにとって『東京で(国)境における』でのチャレンジは、「生産性」などに代表される効率至上主義とは遠く離れている、全く合理的でない芸術作品制作(あるいは共に手を動かす)のような、非合理的”協働”のプロセスを踏んだ共同体をデザインすることで、現代において重要な機能が実はひっそりとそこに芽吹き出した!みたいなことを証明することである。
2月末の『経堂万(国)博覧会』は向けて、"kyodo"の設計図はこれからのプログラムで起こることによって都度書き換えられていく。それを記録と整理をすることが、ぼくの当面の仕事である。
ちなみに事務局長ってなんじゃ?と思ったまま、今でもナンジャ?でいるのは、この3500字オーバーを読んで頂いたあなたにだけこっそり教えたい。

続きは次回、文字数と更新頻度も考えていかないとだなあ。

最後にfacebookの活動レポートです。ご興味持った方、是非に〜。
・kyodo 20_30 #1 の活動レポート
・kyodo 20_30 #2 の活動レポート
・kyodo 20_30 #3 の活動レポート
・kyodo 20_30 #4 の活動レポート