アイドルを応援するということ ~諸行無常とエゴの話~


今回の一件で感じたことを言葉にしたい、むしろ言葉にしなければこの気持ちを整理しきれないと思い、この文章を書くことで昇華させることにしました。以下、全て自己満足です。どうか悪しからずご容赦ください。


私はこうした状況下でのあの報道が許せませんでした。これまでプライベートはプライベートというスタンスでファンをやってきたので、週刊誌の情報に対して許せないと思ったことはありませんでした。しかし今回はどうしても、寛容に受け入れたり目を背けたりすることができませんでした。

チャリティーユニットを外されて、正直ほっとしているような自分がいました。下るべき制裁だと。一方で彼らの姿がもう見れなくなってしまうのではという危機感にさいなまれ、怒っておきながらもアイドルであることを辞めないでほしいと願ってしまう自分もいました。

私はアイドルという作り出されたエンターテイメントに身を委ねすぎている自覚があります。故に5月後半はTwitterに入り浸り感傷的な毎日を過ごしました。

そんな中で、デマか真実かも分からないような情報に一喜一憂する人々の、怒りに満ちた呟きも希望にすがる呟きも本当に沢山の感情を目にしました。その全ては多かれ少なかれ愛だなと思う反面、エゴだなとも思いました。



「ファンがいてこそのアイドル」という構図は理解しているつもりです。

でもそこでファンのエゴを押し付けることは間違っていると考えています。応援してきたからこそ、好きだからこそ、言いたいことがあるだろうし、こうあってほしいという願いが届いてほしいというのはよくわかります。私もファンなので。



世の中に不変のものなどありません。アイドルも例に倣って諸行無常であり、良くも悪くも変わっていくのだと思います。というより、変わっていくべきなんだと思います。

それが雰囲気なのか、距離感なのか、はたまた具体的な人数なのかは分かりませんが、これらは私たちファンが縛り付けるべきではないと思うのです。アイドルがいくら作られたエンターテイメントといえど、本人らの意思に反するものを見せてほしいとまでは思いませんし、何より大事なのは彼らが彼ら自身に納得して活動することなのではないでしょうか。

だからこそファンである私が「4人で」と口にする権利はないと考えています。勿論「4人」が創り出すステージが大好きなのは言うまでもなく、心のどこかで願っている自分がいるのは否定できません。

しかし本人の意思に反してまで「4人」でいても、それは私が見て来た「4人」ではないし、望んでいる「4人」の姿でもないと思います。

そして何より忘れてはならないことは、今の彼らは結成当時からの全てを経て形作られているということ。何人であってもグループは変わらずグループだと私は思います。


とはいえ、私は彼にグループから離れてほしいなどとは微塵も思っていません。コンサートで見せるアイドルの顔、最強ですから。

一方でアイドルで居続けることを本人が望まないのであれば引き留める必要はないのかもしれないと思っています。

一度立ち止まって見てよという助言はしたくなってしまいますが。


きっと、ファンが口にする変わらないでほしいという理想も、変わってほしいという願いも、視点を変えればこちらのエゴ以外の何でもないのでしょう。


私は彼らの15周年を味スタで祝ったのち、一度彼らを追うことをやめました。でも今、またこうして戻ってきました。やっぱりあなたたちは素敵だった。私の大好きなアイドルだった。

そして3日前、webで綴られた「ご批判は理解しています」という文章を見て泣いてしまいました。3年前、いろいろあったね。

あのコンテンツで世に出る以上、胸中の全てをまっすぐに書けるような場ではないことは分かっています。肯定的にも、否定的にもとれる3人の言葉を、私はまっすぐと受け入れたいと思いました。

彼らのドキュメンタリーで聞いた「アイドルできる人って狂ってる」という言葉とあの笑顔が印象的でなりません。

本当にとんでもない職業だなとつくづく思います。


きっとこの文章を書いてしまう行為自体、私がアイドルに対して抱くエゴの表れなんでしょう。


つまるところ私は、こんな状況下で人間性や行動には憤りながらも、心のどこかでまだ彼に希望を抱いてしまうようなエゴにまみれた、そんな人間です。

自己嫌悪に陥りながら、私が考えても埒が明かないことは分かっていながらも、どういう結末が幸せなエンディングなのかを何度も考えてしまいます。



また笑顔でNEWSのステージが見られることを心から願います。


ステージで輝くあなたたちが大好きです。



ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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