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ゲーテでもイタリアを旅したんだから

私は当時、ゲーテとシラーが教鞭を執った、由緒正しき旧東独の、まるで中世の古城のような大学に留学していたわけですが、それは世界で一番大切な人と生きるための将来を見据えた計画でした。

少なくとも1年間、日本とドイツで離ればなれなのは悲しいけど、今はSkypeもあるし、この先ずっと一緒にいられるなら1年くらいは我慢しようと思った。

しかし留学をしたその春に、私の最愛の人は若くして日本で亡くなり、私にとってその人との未来はたった一つの生きる理由だったのです。

食事も喉を通らなくなり、円形脱毛症を抱え、瀕死の状態で夏まで持ちこたえ、遺書などを書き、愛すべき第二の祖国を後にして、イタリアへ逃げ込むことにした。

どこかで自分をリセットできる場所に行かなければ、さもなくば自分が死にそうだった。

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当時は教会のコーラスに所属していて、
「私の方が神に召されたいくらいよ」と毎日ドイツレクイエムを唄っていたのが

イタリアに着いた瞬間、不思議と『創世のアクエリオン』ばかりを口ずさむようになった。つまりは「僕の地獄に音楽は絶えない」

私の声は天に届けるものではなく、自分の心に向けて届けるものになったのだ。

眩しい陽射しのそそぐ、ジェラートとワインの美味しい、ダンテ『神曲』の国で、明るいマンマと5歳のアレッサンドロとドタバタと過ごすうちに、少しずつ笑えるようになっていた。

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10年前の私に会えたらこう言ってあげたい

「今、人生で一番ハードな一年間だと思うけど、
10年後は人生で一番幸せな一年間がやって来るから。
大恋愛の末に結婚する素敵な旦那様と可愛いベビーが待ってるから、
今は信じられないかも知れないけど、10年間生きてみて」

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