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ソニックガーデンの経験に学ぶ

リモートワークのことをずっと考えている。

なし崩しで、リモートワークが始まったという意味では、僕がここ数年、中に入り込んで、手伝っている企業も、他の企業と同じである。

この会社は、皆がノートPCで、自宅でVPN接続して、社内サーバーにアクセスできるという点や、共通のファイルに過去の重要書類を保存している点や、重要な決済、費用請求、署名などがほぼデジタル的に処理できるという意味では、リモートワークへの必要条件はほぼ完成している。

その点では先行しているのだが、他の普通の企業同様、引き続き、従来型の企業というものの仕組みで会社を経営しているので、今回の緊急事態でもなければ、会社の方針として、在宅勤務でワークスタイルを組み立てることを推奨することができなかったのである。

そもそも自分の会社があり、その受託作業として一部を手伝っていた会社なのだが、経営陣の入れ替わり等があり、トップから、受託ではなく、内部に入って、外注すべき問題を発見する側でしばらくやってくれないかと言われて、数年がたった。

随分前に従来型の企業システムから脱藩し、自分で事業をやったりしているので、そもそもがリモートワークである。さまざまなクライアント企業で、リモートワークのやり方やそれを可能にするテクノロジーについての相談を受けることが増えた。皆、眦を決して、猛勉強中である。

ある意味、不思議な気持ちがする。過去10数年、自分たちがやってきたのがまさにこのリモートワークだからだ。

Slack, Github, AWS, Skype, Zoomなど、事業運営のコストを低く維持するために、あらゆるコスト競争力の高い選択肢を必死に探してきた。

そんな僕たちにとっても、近年のリモートワーク用のテクノロジーの低コスト化は驚くものがある。

割高な電気料、電話料とはいっても、それはある意味誤差の範囲と割り切ることができるレベルだ。

残るのはオフィス費用の高さだけなのだ。本当にバカにならない。特にリモートワークをしていても、様々な理由で物理的所在が必要になる。それ自体で価値を生むことのないものに、ばかばかしいほどのコストを払うことだけは、世の習いとは割り切れない。

DXはまさにこの場所というものをターゲットにしている。そして感染症というBlack Swanによって、様々な抵抗勢力の最後の防衛ラインが決壊間近だ。

従来型の企業運営の仕組みの中で、働き方改革やリモートワークへのシフトへの抵抗勢力となるのは、決して、年齢が高い経営層とは限らない。

年齢を問わず、仕事の種類に応じて、抵抗勢力というものは生まれる。

経営陣がリモートワーク的なものに対して積極的で、技術基盤が整っているからといって、リモートワークへのシフトは容易ではない。

その後、なんどか、普通の企業と仕事をする機会があり、今もまた企業組織というものの中に入りながら仕事をしている。でも当初から、リモートワーク的な自由度を条件として組織に加わっている。

だから自由にやれるかと言えば、必ずしもそうではない。クラウドソーシング的に社内の人間が確定した作業を受注しているわけではないので、内部との密なコミュニケーションが不可欠になるからだ。発注前の問題発掘という従来企業内で達成されるべきことを半外部としてかかわっていると言えばいいだろうか。

そうなると、やはりその企業の中の仕組みというのを度外視した動きはできないのである。

倉貫さんの「リモートチームでうまくいく」という本を読んでいる。

リモートワークの必要条件は、すべてのメンバーがセルフマネジメントできることであると喝破している。

つまり社員が皆管理職だということである。それがあって初めて、場所や時間という制約にとらわれない仕事の仕方ができる。

こういったリモートチームはなぜ今の日本に必要か。そしてそれを達成するためには、そのメンバーの働き方にどういう前提が必要かということを論理的につきつめている。

その意味で、リモートワークが焦眉の急となっている人にとって必読文献だ。

倉貫さんの会社は、「納品のない受託開発」という形で、従来のIT受託ビジネスに新機軸を提起した。このビジネスモデル、リモートワークという仕事の仕方が、一つのロジックで明晰に語られている。

リモートワークを続けてきた人だけが語り得る実感を伴ったメッセージが極めて旬な意義を持っている。

雑談の必要性、リモートワーク派を少数派にするならば、絶対に成功しない等々、いちいち心に沁みてくる。

特に、今の仕事の中でも、社内に残るリモートワークがしにくい派の業務環境を徹底して見直すことなしには、不平感の出ないリモートチームはできあがらないのである。働く人々の慣れとか慣性が最大の抵抗勢力なのだ。


倉貫さんの会社のように、当初から、一つのロジックで組み立てられた企業とは違い、ほとんどの企業は、整合性のあるロジックで出来上がっているわけではない。

輻輳する様々なロジックを、強力になったデジタル技術を使って、一つのロジックに組みなおしていくためには、断固とした経営の覚悟と、複雑な人間工学が必要になる。

感染症というBlack Swanは、人間工学の複雑さを吹き飛ばすという帰結をもたらしているのだろう。

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