新聞奨学生時代の思い出(1)
もう20年ほど前の話だ。
その頃は鍼灸学校の学費を稼ぐため、新聞奨学生をしていた。鍼灸学校は夜間部であったから、夕刊を配達したのち、休む間もなくバイクに乗り、日本一交通量が多いと言われていた某国道を、忙(せわ)しく往復する毎日だった。
当時、新聞業界はまだ活気があり、新聞奨学生の待遇もそれなりに良かった。新聞奨学制度は朝日、読売、毎日、日経など各社に存在したが、最も待遇が良かったのは朝日と読売だった。
もちろん、奨学金自体は新聞社の本社から支給されるから、奨学金自体に大差はなかったけれど、お世話になる販売店によって食事補助や住宅補助があったから、儲かっている販売店に所属すれば、経済面ではほぼ心配なく、学生生活を送ることができるようになっていた。
通常、新聞奨学生は、販売店2階の粗末な部屋を与えられることが多い。しかし、私がお世話になった販売店の店長は、いわゆる苦学生への支援に力を注いる熱血漢で、販売店の上では喧しくて学業に支障が出るであろうと、閑静な住宅街にある家賃75000円のマンションのワンルームを無償で提供してくれた。
パソコンが普及し、インターネットが隆盛を迎えるまで、新聞はテレビと同様、貴重な情報源の1つであり、2000年前後は新聞社が最も潤っていた時代だった。それゆえ、経済的に恵まれない家庭環境にあっても、新聞社にパトロンになってもらうことで、新聞奨学生は無事学校に通うことができた。
昨今は偏向報道やらオシガミ問題やらで新聞屋は叩かれているけれど、貧しい若者にとって新聞奨学制度は、地獄から這い上がるための、いわば1本の蜘蛛の糸のような存在であった。
新聞奨学制度には2種類のコースがあった。1つは朝夕刊の配達+月末の集金業務が必須のAコース、もう1つは朝夕刊の配達のみでOKのBコースだった。
Aコースは主に4年制の私立大学への入学を希望する学生向けで、約380万円の奨学金と住居補助、毎月約10万円の生活費に数万円程度の集金手当が上乗せされて、支給された。
一方、Bコースは主に短期大学や専門学校への入学を希望する学生向けで、約315万円の奨学金と住居補助、毎月約10万円の生活費が支給された。
当然ながら、どちらのコースも、学校を中途で留年または退学した場合は、奨学金をすべて返還しなければならない契約だった。それゆえ、無事に卒業するまでは、奨学金はあくまで貸与であったから、卒業までの生活は経済面では安心感があったけれど、精神面・肉体面においては決して楽とは言えなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?