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東横線の女の7割はファッショナブル

渋谷か銀座、下北沢か中目黒、あなたはどちらを選ぶ?もしこんな問いかけがきたら即答で「銀座」と「中目黒」と答えるだろう。10年前の私なら間違いなく「渋谷」と「下北沢」と答えていた。アラサーになり、遊びに行くスポットが変わったことに最近気付く。年齢とともに、私自身の求める刺激と好みが変わったのだ。2022年、着々と大人の階段を登っていることに気付かされる。キラキラした夢見る少女から脱皮し、現実と向き合うようになったのがここ数年。

上京したての私は、右も左もわからないまま、とりあえず池袋に行けば何とかなると思っていた。多くの人々が交差するイケブクロウの銅像の前で、キョロキョロと周りを伺っていたあの頃が懐かしい。その後間もなく、私は渋谷という大都会でデビューすることになる。待ち合わせ場所がイケフクロウからハチ公前になったのだ。私にとってはこれも大出世である。
当時、田舎出身の私の目の前に現れたのは渋谷が似合う、渋谷の街が生み出したと言っても過言ではないスタイリッシュでファッショナブルな若者ばかり。
青山通りから一本道を挟めば、黒尽くめで大胆に謎めいた服装をした人々が、静かに行き交う不思議な空間がそこには広がっていた。そう、ここは青山。また明治通りから一本道を挟めば、夢の国から飛び足してきたかのような、自由で幼可愛いらしい人々の姿が。片手にクレープを持つ妖精たちが集う場所、原宿。私はその狭間で人生のターニングポイントをスタートさせ、気付けば12年もこの業界に生息しているのだ。
コムデギャルソンに手を出した20代前半、お財布が悲鳴をあげているのと同時にひもじい生活をしていた記憶が蘇る。ドヤ顔でジョージコックスを履き、得意になっていた日も今では懐かしい。あのラバーソールを今履くかと聞かれると、正直もう履かない、いや、履けないであろう。

上京したての頃、私は副都心線沿いの女だった。ちなみに現在は東横線沿いの女。副都心線と東横線は直通でつながっているが、ここでの気づきと言えば、東横線の女性はファッション好きが多ということ。さすがに森ガールの生き残りはいないが、最近新たに多くみるのは、大きめのシャツを羽織り、少し肩からシャツをはだけて見せた茶髪でボブの女性たち。古き良き日本の着物の着方をアレンジしたかのような新ファッションスタイル。
東横線の女はだいたいメイクも今どきで、ブランド物をさりげなく取り入れているのがポイント。そして電車の中ではアイポットが欠かせない。何を聴いているのかわからないが、私の想像ではイケてるEDMかあいみょん、もしくはBTS。最近の音楽がわからない私は、若者世代に全くと言っていいほどついて行けていない。Z世代のあの子たちは、きっと"森ガール"なんて言葉を知らないだろう。これこそ死語に値するのではないだろうか。

「小さいバックを持ち歩いている女は遊んでる女だよ」
昔仲の良かった先輩がポツリと言った一言。昨今の私は小さいバックを持ち歩くことがトレンドである。時代は巡り巡って、トレンドや勢いは変わりゆくものだが、未だにその言葉が頭から離れないのは、あの頃の私は純粋そのものだったということ。小さなバックを持って出かけるたびに思うこと「あ、ワタシ遊んでる女になってる」。

空いている優先席に腰をかけようかかけまいか悩んでいる電車の中で今日も思うことは、東横の女の7割はファッショナブルで自分好き。そんな私も自分好き。

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