ボーはおそれている ネタバレ 感想・考察・結末・ラストシーンの意味 - ボーの母親・父親の正体等のまとめ
この記事は「映画:ボーはおそれている」のネタバレ付きの感想・考察の文章になります。ボーは恐れているの結末やラストシーン、 ボーの母親・父親の正体、物語の落ちの部分のネタバレも含まれている文章です。映画を未視聴の方や、ネタバレを好まない場合の閲覧はオススメしません。この記事はほぼ無料で読むことが可能です。よかったら課金してください程度です。
ボーはおそれているとは?
ボーはおそれている
原題:Beau Is Afraid
上映日:2024年02月16日製作国/179分
ジャンル:ドラマコメディミステリースリラー配給:ハピネットファントム・スタジオ
監督/脚本
アリ・アスター
出演者
ホアキン・フェニックス
MEMO
池袋グランドシネマサンシャインにて鑑賞
ボーはおそれているのあらすじ
母の誕生日に、実家に帰ろうとするボーに不運やトラブルが重なります。
そんな中で母親の訃報が電話にてボーに告げられます……
威圧的な母親に育てられたことで、心配性な性格になったボー。ある日、母親が亡くなって実家に戻ることになった彼は、妄想の世界を延々と旅することになります。
「実家への帰省」は初めてではない
果てしなく続く冒険の中で、ボーは何度も「実家」に帰省するはずです。
つまり今回の映画での出来事は本当に「はじめて」の出来事でしょうか。
この映画は嘘と妄想にまみれています。
ボーの病状や妄想と現実の境目とは
ボーの状態
・統合失調症、鬱病等、「妄想などの症状が出ている精神疾患」を発症している患者として描かれています。
・幼少期から母親から「記憶の刷り込み」や「記憶の上書き」をされている為、幼少期の記憶が真実か否か不透明です。
※事実を証明するシーンはほぼ無いタイプの映画です。
妄想と現実を明確に区別出来るシーンが作中で登場しません。
また、信用のおける登場人物や時系列を明記したシンボル等も多くはありません。
つまり、ボーの妄想なのか、現実で起きている事なのかを常に想像しながら映画を見るタイプの映画になります。
しかしながら妄想と現実を明確に区別出来るシーンが作中で登場しません。
極論、夢オチかどうかも証明するシーンが無いタイプの映画です。
作中の路上の死体って妄想なの?
道に死体が転がっているシーンが象徴的です。
今作は様々な事柄がボーの妄想か現実の区別が出来ない状態で物語が進んでいきます。
そのため、終始「主人公の妄想をなぞっているだけの物語なのではないか?」という疑問から抜け出せないまま映画を見ることになります。
「ボーは恐れている」はボーの妄想の物語である
過去に起こった出来事と、現在進行形で起きている事件が交差していくストーリーの中で、視聴中に混乱を起こすのが今作の特徴の一つ。
「これって本当に起こったの?」
「今のは妄想なの?」
「結局のところどこが現実なの?」
そういった疑問や伏線回収の答えは映画における物語の全てが妄想の可能性があるという明確な答えだけになります。
法治国家において、特殊な状況下以外で公道で死体が放置される状況は異常事態です。
つまり、一定以上の確率で路上の死体はボーの妄想または「悪魔」か「一部にしか見えない生き物」などです。
仮説:ボーの部屋の外は全てが「妄想」
ボーの部屋の外にいる人間達はほぼ全員が「不親切」で「危険な行動」をする人間として描写されます。
そのことから、多くの「登場人物」がボーの妄想世界における「恐怖のシンボル」という考察も可能です。
例を挙げると危険な公道ををする狂人が多く、家の前等や同じマンションに大勢いる等が挙げられます。
※たまたま奇跡的に一つの空間に狂った人々は集まりません。
走るシーンが印象的な全身入墨の男などは典型的な恐怖のシンボル的な表現ではないでしょうか。
ボーの母親の気になるポイント/ボーの母親の正体
ボーはおそれているの最大の謎である、ボーの母親の正体について考察します。
ボーの母親の正体は大成功した実業家。お金持ちのシングルマザーとして描かれています。
高圧的な性格で、ボーのことを監視したり。ボーを抑圧する描写が目立ちます。
ボーはおそれているの最大の謎である母親はマジでやばいです。
ボーの母親の気になるポイント
・本当に死んだのか謎
※死体がフェイク等、死体偽装すら妄想の可能性もある
・子供への支配、マインドコントロールが毒親レベル100
※事実とは異なる可能性もある
・作中で何度も亡くなっている
※人間は生き返ることは無いので事実とは明らかに異なる
ボーの父親の気になるポイント/ボーの父親の正体
ボーの父親は作品の始まる前、ボーの誕生前に死亡している。と母親に告げられます。
一方でボーの実家の屋根裏部屋に住まう男性器の形のクリーチャーとして登場するシーンもあります。どちらが真実かは不明です。
ボーは性行為を行うと命を落とすという一族であると母親から言われています。
ボーの父親はボーを懐妊したきっかけとなった日に腹上死したと母親からボーは伝えられていたが、作中で父親と再開します。
しかし再開した父親は年齢的にもおそらく明らかにボーの妄想です。
クリーチャーが登場
ボーの父親はクリーチャーとして作中で、屋根裏部屋で登場します。
このシーンは明らかにボーの妄想である可能性が高いです。
理由としては、同時に登場する悪役との決闘シーンで矛盾が起きます。
この矛盾は人の生き死に関わるので妄想である可能性が高いと考えられます。
※特撮パパネタについては個人的にはあまり笑えませんでした。
劇場で帰っている人はいました。
ボーの主治医の正体とは
ストーリーの後半で解ることですがボーの主治医とボーの母親は結託しています。
カウンセリングの会話の内容は全て母親と共有されていますが、目的は不透明です。
仮説ですが、目的は子供への支配などが挙げれます。
但し…
会話の内容を母親とシェアしているというシーンそのものが妄想である可能性がある事から、普通の良いカウンセラーの可能性があります。
ボーが服薬している薬の正体とは
服薬している薬が本当に処方箋の薬なのか不明です。
作品の性質上何の薬を主人公が服薬しているのかは最後まで不明です。
物語の序盤で薬を飲むシーンあたりからどんどんドープな映画になっていくのが気になります。
つまり、ドラッグを服薬した状態における妄想/トリップなどを全て映画にしたという可能性があります。
ある意味ではボーは恐れているは「ドラックムービー」です。
ボーが恐れている結末・ラストシーンの意味
ボーが恐れているの結末、クライマックスでは、ボーの乗っているボートが爆発します。助けを叫ぶボーを観客や母親が傍観し、ボーはボートの爆発に巻き込まれ海の中へと消えてしまいまいます。特にボーが死亡した、怪我をした等の情報は一切なく、画面からボーが消えて物語は終幕となります。
アリ・アスターがもつテーマ「家族という呪い」が本作におけるテーマの一つ。このテーマをもとに物語の結末を考察すると、「毒親」や「親ガチャ」という言葉が浮かびました。
毒親のせいで子供の人生はハードモードと化し、子供時代が終わっても不幸は続く
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