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憲法無効論を成敗する必要性

憲法無効論を退治する必要性について説明します。 

憲法無効論も八月革命説も共通しているのは、「国体が変更した」と捉えるところです。前者はそれゆえ日本国憲法は無効だというし、後者は、日本国憲法が無効である理由はないとします。前者はほとんどの法律家は相手にしませんでしたが、後者は東大法学部が支えました。

いずれも同じなのは日本国憲法によって「国体は変更した」ということです。憲法無効論は、「無効」をいえば、「国体」も復帰すると考ているようですが、20年内ならともかく、80年もたってしまったものが法的な屁理屈をもって元に戻るなんてありえないのです。
だからこそ、憲法無効論は八月革命説のネガであり影であるというわけです。  

日本国憲法は国体の芯の芯を護持するために天皇とマッカーサーと議会とが結託して行った乾坤一擲の賭けでした。敵は、天皇の戦争責任を主張するソ連や豪州が多数を形成しつつあった「極東委員会」でした。「極東委員会」は最後まで日本国憲法が日本国民の意思に基づくものであることを疑っていました。敗戦しても日本国民が天皇を元首としていただくということが信じられなかったのです。
しかし、国民が天皇を象徴とする憲法を支持していることを知って、極東委員会はこれを認め、当初は1年後に国民の意思を問うといっていたのを、止めてしまいました。その必要がないほど、国民が新憲法を支持していることが明らかだったからです。
憲法制定にあたり政府側から衆議院と貴族院の答弁にたった金森徳次郎は第1条で国民主権とし天皇は象徴になったとしても「国体はいささかも変わらない」としました。護持された国体とは文化的意味における「国体」であり、天皇を憧れの中心とする国の形でした。金森の答弁は1000回を超えたといいます。その答弁に納得した議会は、憲法改正を可決し、枢密院の諮問を経て天皇の裁可によって憲法は成立したのです。 

この辛うじて守られた国体の姿を、屁理屈がくらましたのが八月革命説でした。教育界、マスコミ、学者は、こぞってこれを取り入れ、あるいはGHQに阿り、或いは、革命に向け、或いは戦時体制に対する反撥から、これを受け入れたのでした。 
彼らはしかし、憲法改正によって日本国憲法の革命性が失われることをおそれていました。対して、日本国憲法によって八月革命説と同じく「国体は変更した」と捉える右派が、憲法無効論を主張しました。

それは、現状に対する異議申し立てでありましたが、なにより国会の3分の2なんてとてもとれるわけがないという敗北主義を基盤にしていたことも事実です。無効となれば、3分の2ではなく、過半数があれば、復帰の大義名分ができるからです。 

しかし、そんなこんなで80年がたちました。いま、明治憲法に復帰してどうしようというのでしょうか。3分の2よりも難しい状況になりました。他方、国会の醸成は、本当にかつて無理と思われた3分の2を確保できる状態になりました。もはや、憲法無効論の便宜的な必要性さえもなくなってしまったのです。 

いらなくなっただけでなく、「国体が変更」して80年もたってしまったという現実に照らせば、憲法無効論は、単なる「国体」消失説です。もう影も形もなくなってしまったという論理になります。 

いや、この80年がたっても、国体の政治的な意味は、「象徴」として「国事行為」を行う国家元首として残っているのです。その歴史的意味は、「天皇」が戦前の「天皇」と同一性を有していることが確認された大嘗祭事件判決によって達成されているのです。 

あとは文化的意味ですが、それは「靖国神社」公式参拝への道を開くことで可能になります。 
もはや憲法無効論は有害無益!ということがお分かりになったと思います。
わからない。なら、手を変え、品を変え、そのことを説明します。そのことは、なにより現在も日本の国体が護持されているということを後世に伝えることですから。 何としても、やりとげなければなりません。 
八月革命説の3要件
「現行憲法を廃棄し、五か条の御誓文のみを残して不文憲法にすべし」という主張について
「国体の護持」の歴史を回復するための戦略
憲法無効論の弱点
憲法無効論は天皇、そして国体を軽んじる妄説
「八月革命」を唱える憲法解釈の虚妄

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