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「現行憲法を廃棄し、五か条の御誓文のみを残して不文憲法にすべし」という主張について

この種の素人の議論は尊重すべきだとは思いますが、昭和憲法改正の直後から何度も何度も繰り返されてきた憲法無効論と同曲であり、憲法の素人の議論にすぎません。所詮は「気概」の表明であり、現実的な「政治課題」にはなりえません。 

まずは、かつての憲法改正の歴史的経緯とその意義を闡明にし、憲法改正という営みを通じてわれわれが獲得しようとしている内容がなになのかを自問自答し、現在の憲法改正という現実の政治課題に対してどのように向き合うべきかをきちんと位置付けすることがなければ、これまでの議論と同じく単なる思想的自慰の域にとどまることになりましょう。都合の悪いことは無効だというのは法律や制度の専門家集団(官僚、弁護士、政治家、教授連)からみては、どうしようもなく幼稚な議論に映ります。こういうことをここで言えば、強い反撥もありましょう。

しかし、無効論が、現実の政治的課題としての「憲法改正」のエネルギーを削ぐ作用をもっていることも事実です。僕は、かつて憲法無効論の人たちが集う集会にパネラーとして招かれ、そこでパネルディスカッションをしたとき、このエネルギーを9条改正論に向かわせることができればなぁ、とつくづく考えたことがありました。 

以前、僕の企画で、京都大学の佐伯啓思教授を大阪弁護士会に招いて改憲のシンポジウムを開いたことがあります。彼は、現行憲法は「無効」だとの気概をもって「改正」に当たろうと言いました。けだし至言です。

(2020/06/04  MLへの投稿から) 

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