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八月革命説の3要件

左派の中にも、保守派の中にも、八月革命説がなにかを正確に理解しないまま、議論を吹っ掛けてくる連中がいるので、八月革命説を批判するためには、その定義をきっちりと押さえておく必要があります。八月革命説の3要件です。
①ポツダム宣言の受諾によって帝国憲法が無効になったとすること、
②天皇主権から国民主権への変更という法的革命が生じたこと、
③新たに主権者となった国民が新たに憲法を制定したということです。

その結果、天皇は主権者でなくなり、国家の連続は失われ、国体は変更して断絶したと捉える考え方であり、戦後の日本社会における教育会、マスコミ、法学会、歴史学会を支配してきた東大宮沢シューレが称揚してきた憲法学説です。 

もちろん、日本政府の公式な立場は、帝国憲法の改正規定に則ってなされた憲法改正によるものであり、この改正によって国体は変更されることなく護持されたとするものです。当然、新憲法が定める「天皇」も帝国憲法における「天皇」と歴史的に同じものであって、両者は連続しているとと考えていますし、日本政府は、これまで八月革命説を公式に認めたことはありませんが、東大系列の国立大学及び東大から教授を受入れ、その植民地になっている大学人の脳内を支配し、東大法学部出身の官僚の多くの脳内を支配している学説です。

八月革命説の批判には、3方向あり、①上記の政府見解を擁護するもの(新憲法を帝国憲法に基づく改正憲法として有効だとする説)、②八月革命を否定しつつ政府見解とは別な論理をもって新憲法を擁護する説(追認説当)、③そもそも日本国憲法は無効だとする説の3つがそれです。 

感情論としては③の無効説に肩入れしたくなる気持ちはよくわかるのですが、無効説には、これを支える法的な論理的根拠が薄弱であり、その結論が非現実的でもあることから、現在では、ほとんど顧みられることはありません。かつて岸信介首相が動かした憲法調査会では、憲法無効説の主張が徹底的に検証されており、その主たる論拠であった「脅迫説」を支える事実は、報告書においてほとんど否定されていますし、ハーグ陸戦規約違反という素人受けする議論についても、過去現在を通じ、これを支持する国際法学者は一人もいないという状況です。南出先生が比較的最近に唱えた説(帝国憲法の解釈論として天皇が制約を受けている占領中の改正は不可)は、解釈論として成り立ちえるものですが、狂信的な賛同者は僅かにいるものの、学会では1人の賛同者も得られず、また、その結果(現行の憲法は改正憲法としては無効である)は、結局、八月革命説を強化するだけである(だから、「法的革命が生じたとしか説明出来ないでしょ。」という論法を招くだけである)。  

そのあたりの議論の状況を整理したうえで、上記の八月革命説の3要件に照らし、1つずつ検証していくことになります。まずは、①ポツダム宣言の受諾は、帝国憲法の無効を帰結する(=ポツダム宣言は天皇主権から国民主権への変更を迫るもの)という考えには、正当性があるのかという点についてですが、この点はバーンズ回答に対する2つの解釈(外務省vs陸軍)が絡んでおり、天皇の御聖断、終戦の詔勅、国体の護持という問題と絡んできます。

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美濃部達吉にいたる東大憲法学説の系譜については、まだまだ不勉強のところがあるのですが、そもそも「天皇主権」という議論を立てたのは、東大憲法であり、その東大憲法が主権の所在は憲法改正の手続きではできないという議論を立てたので、主権者の変更を伴う改正は、憲法改正としては無効であるという論理的帰結を生んだという事ですが、これは帝国の敗戦という未曽有の出来事を予想していなかった東大憲法解釈学という「箱庭」の中での議論であり、それが「箱庭」の外に押し出されて変異を遂げたという事象に想えます。もともと、憲法改正無限定説を唱えていた京都大学・佐々木惣一門下においては帝国憲法の改正によって主権が変動することは、特段の疑問がないとされていたことです。但し、そのことが「国体」を変更することになるのではないかという佐々木惣一が貴族院で呈した疑問こそが問われなければならない議論だと考えています。

とにかく「議論の筋」としては、帝国憲法の改正として「国民主権」を認めることはできないのではないかという東大シューレの考え方は絶対的なものではない。西の雄であり近衛文麿のブレーンであった京都大学の佐々木惣一教授は、改正無限界説を唱えていた(佐藤幸治の形式限界説についは東大の石川健治教授が、その実質は無限界説だと喝破しています。)ということを、想起してください。宮沢学説に拘束される必要はないんだという理論的な自由を理解していただけると思います。

(2020/06/24  MLへの投稿から)

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