#17 津田社子屋へ行ってきた話②
津田社子屋第2回は前回の続きというわけでなく、また新しいお話でテーマは「月」と「暦(こよみ)」でした。
“月“というと、夜空に浮かぶ天体の「月(moon)」と年月の「月(month)」がありますが、実はどちらも同じもので語源は夜空の月。
月の満ち欠けは日本人の生活に
密接に関係しています。
1か月は「新月」から始まって少しずつ満ちていき、「満月」になるのがだいたい15日目。
満月になると、また15日間かけて少しずつ欠けていきます。
毎月1日に神社にお参りする「朔日(ついたち)まいり」という習慣がありますが、これには“一日“ではなく、あまり見慣れない字があてられていますよね。
この「朔」の字をよく見てみると…
「逆」のしんにょうをとった部分+月で構成されています。
新月から満月になると、また少しずつ欠けていく月。
欠けていたものが満ちていく
逆行する
それが毎月一日なので“朔“日、語源はそのまま「逆さ月(さかさづき)」だとか。
昔から毎月1日と15日は神社を参拝するのに佳い日とされますが、これがまさに新月と満月のタイミング!
このように、神社や神事にも月が深く関わっています。
てんやわんやの明治維新
今からおよそ150年前、日本の歴史をひっくり返すような大きな出来事がありましたよね。
それが、
\明 治 維 新/
「大政奉還」により政治の主権が徳川幕府から天皇に戻されましたが、行政的な改革だけでなく、庶民の暮らしも明治を境に大きく変わりました。
そう言われてもあんまりイメージがないんですが、何が変わったかというと…
①戸籍を行政が管理するものにした
現代では子供が生まれたり結婚・離婚したり、身内の誰かが亡くなったときなんかに役所で戸籍の手続きをしますが、ふだんはそれほど意識することもありませんよね🤔
「戸籍」を管理する場所が変わった…と言われてもピンと来ませんが、役所に出向くといつでも確実に戸籍を開示してもらえる現代と違い、江戸時代までは
戸籍はお寺が管理するもの
でした。
なんかハードル高く感じるYO🤩
当時は「寺請制度」があったため、国民は必ずどこかのお寺に所属して身分を証明してもらう必要がありました。
江戸時代でも引っ越しや結婚、就職などでは現代と同じく身分証明書が必要でしたが、これをお寺が発行していたとか!
お寺が役所を兼ねていたんですねー🤔
先祖代々のお墓や過去帳のうえに、戸籍・身分証明までにぎられているとなると、絶対にお寺には逆らえません💦
強大な権力を持ってやりたい放題なお寺や僧侶もいたことは想像できますから、明治維新のときは案の定激しい「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動」が起こりました。
かなり誤解されていますが、廃仏毀釈は明治政府が主導したものではなく、政府はただ戸籍を管理する権限を取り上げただけ。
お寺や仏像を壊してしまえ!というのは、完全に民衆側からのムーブメントでした。
廃仏毀釈が激しかった地域はそれだけお寺の権力や抑圧も強かった、のかもしれませんね。
また、「廃仏毀釈」というと相対的に神社の格が上がって国家神道としてお寺の代わりに権力を手に入れた!と思われがちなんですが、これもちょっと違います。
神社界隈でも、
合祀&合祀で神社の数が激減
御祭神の強制変更
地域独自の祭祀を廃止
などなど、大幅にいじられてます。
また、伊勢や熊野などの大きな神社にはつきものだった、“代参“や“先達“のプロ「御師(おんし・おし)」の制度も政府によって廃止されました。
お寺にせよ神社にせよ、日本では宗教がお金儲けをすることを由としないようです。
西洋化へと大きく変わる明治初期の日本で、戦国時代の「僧兵」のような宗教組織による武装集団ができると対処に困るからでしょうか。
信仰に基づいた結束力は強いですからね。
②「大和暦」から「太陽暦」へ
もうひとつ大きく変わったのが「暦(こよみ)」、カレンダーです。
これもまたピンと来ない🤩
開国後の日本は欧米諸国に追いつくため、西洋で広く使われている「太陽暦」を使うことになりました。
太陽暦はその名の通り一年間の太陽の動きを見て、
太陽が一番高い位置にあるのが夏
太陽が一番低い位置にあるのが冬
としています。
一方で、明治維新までの日本では長らく「宣明暦」が使われていました。
宣明暦の場合は太陽ではなく、
月の満ち欠け
を基準にしています。
そのため、「うるう日」ならぬ「うるう月」があり、同じ月が2回続く年が発生。
うるう月があることにより、太陽暦を使う欧米とは大幅な暦のズレが生じてしまいます。
宣明暦は中国から来た概念なので、大陸から見た天体の動きと日本から見た天体の動きにはもともと微妙なズレがあったため、江戸時代後期に日本独自の暦が誕生しました。
それが「大和暦(やまとれき)」。
2012年に映画化された冲方丁さんの「天地明察」という小説が、まさにこの大和暦制定をめぐる物語でした。「天地明察」に出てくる実在の人物・渋川春海(しぶかわはるみ)は伊勢神宮にゆかりがあり、神宮に天球儀や地球儀を奉納したそうです。
しかし、大和暦の制定からたった70年~80年で大政奉還が行われたため、残念ながら日本独自の暦はあまり長く使われませんでした😇
さすがに明治元年から「はい!明日から太陽暦ね!」というわけにはいかず、満を持して
明治5年12月3日
⇩
明治6月1月1日
として、日本の太陽暦がスタート!
えらい中途半端やな🙃
当時はインターネットはおろか、テレビも新聞もラジオもない時代。
急に「明日から明治6年が始まるで!」とか言われても、やっぱりめちゃめちゃ混乱したでしょうね🤩
ちなみに、今でも神社では「暦」がもらえますが、こういうの見たことありますか?
かわいい干支のスタンプが押されてるのでいつも王子神社でいただいてますが、徳島だとどこの神社でももらえます。
暦から季節を知る
暦というと
・二十四節気(にじゅうしせっき)
・五節句
などが思い浮かびますが、それ以外にも
・「七十二候(しちじゅうにこう)」
・「雑節(ざっせつ)」
という、季節の移り変わりに大事な日もたくさんあります。
二十四節気や雑節は季節の移り変わりを知るためのもので、七十二候にいたっては天気や動植物の動きをもとにおよそ5日のスパンで細かく設定されています。
これが庶民の生活、とくに農家には大切なものでした。
▶「土用の丑の日」でおなじみの「土用」はうなぎのイメージですが、春夏秋冬にそれぞれあり、土用を境に季節が変わります
▶「夏も近づく八十八夜♪」という歌がありますが、これは立春から数えて88夜のことで、この日が種まきの基準となります
▶「二百十日(にひゃくとおか)」は台風がくる季節、新暦では9月1日にあたります
今でも暦は季節の目安として通用しそうですね。
先日投稿した、「社日(しゃにち)」も、春と秋にある雑節のひとつです💁♀️
雑節では「立春」がすべての基準となっていて、立春は暦を見るうえでとても重要な日。
立春は“節分の翌日“のことなので【2月4日】というイメージですが、実は日付固定ではありません🙅♀️
2021年は124年ぶりに節分が2月2日になった、と話題になりましたが(覚えてますか?😂)立春は国立天文台が計測して、毎年決定されてます。
暦と神社と陰陽師
ここからは、みんな大好き陰陽師☆
「陰陽師(おんみょうじ)」といえば安倍晴明ですよね(強引)。
安倍晴明といえば
狐の母から生まれたとか、
式神を操るとか、
とにかくミステリアスなイメージで、それがそのまま“陰陽師“のイメージ…という人も多いかもしれません。
ところが、現実の陰陽師は当時の政府の構造の中に組み込まれたれっきとした「官僚」でした。
陰陽師は神道や神社のイメージも強いですが、当時の神職の組織である「神祇官」側ではなくバリバリの国政担当、「太政官」側なんです。
これは意外!
陰陽師の代名詞的存在である安倍晴明も、太政官の中にいくつかある省庁のひとつ「陰陽寮(おんみょうりょう)」、そのなかの「天文道(てんもんどう)」に属していました。
そもそも一般的にイメージする陰陽師像が間違っていて、メインの仕事は怪しげな悪霊祓いではなく、星を読むこと。
すなわち、「暦作り」!
前述した「宣明暦」は安倍晴明の時代から900年近く使われていたんですよ🙆♀️
天文道は「星の角度がどれくらい変わったのか」を見る…というもので、天体、主に月と星(北極星)の動きを見て運勢を占うのが陰陽師です。
星の動きから吉凶を占って、天皇に伝えるのが重要なミッションでした。
一方、当時の神職である「神祇官」は祭祀以外にはそれほど重要な役割がなかったそうで、「天皇に関する重大な決定は宇佐八幡の神に聞く」という決まりがあった程度だとか。
明治までは神社はお寺が管理するものだったため、当時の神職はそれほど重要な存在ではなかったようです。
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ここからは余談ですが😗
①陰陽師≒オカルト
前述したとおり、陰陽師は平安時代の“官僚“。
我々が持つ「陰陽師」に関する妙にオカルティックなイメージは、完全に小説や映画などの創作物によるものです。
夢枕獏先生がその筆頭ですね😂
ほんの20年くらい前までは「陰陽師」や「陰陽道」といえば、高知県の山奥でひそかに続く「いざなぎ流」くらいで大衆の話題になることはほとんどありませんでした。
京都や大阪などにある安倍晴明ゆかりの神社も今のように観光客や参拝者もおらず、閑散としていたとか。
写真は大阪阿倍野の安倍晴明神社。
②悪霊祓い…?
陰陽師のイメージにありがちな「印を結んで悪霊(?)を祓う」というのも、実は大きな間違い。
“見えざるもの“の是非はまぁ置いといて、ああいったものは複雑な手の動きや謎の呪文を唱えることで相手を翻弄し、その隙に逃げるためにあります。
印や呪文そのものには悪霊や妖怪なんかを退ける効果はありませんし、神社の神主さんはそのための“修行“とか絶対やりません。
余談終わり。
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神社の祭祀も長らく旧暦に基づいて行われていたので、暦が変わったことは大打撃でした。
野村宮司が長く奉職された伊勢神宮では年間に【1500回の祭祀】があるそうですが、そのうちの5回は夜の真っ暗な中で行うものだそうです。
この真夜中の祭祀は旧暦だとちょうど15日~17日にあたる頃に行われ、神職が歩く回廊は何も見えないくらいに真っ暗なのに、神殿の中は満月の光に照らさて手元もよく見えるとか。
古代から続く祭祀は日程や場所がよく考えられていて、やはり日本人は月の満ち欠けを元にした暦で生活をしていたんだなぁ、と実感したそうです。
とはいえ、旧暦のままが良かったのか?というと決してそうではなく。
欧米に並ぶ国力を身につけなければ欧米列強の植民地になっていたかもしれないし、日本が現在の形で残ることができたかはわかりません。
京都には今も旧暦のままで祭祀をしている神社もありますが、氏子崇敬者が参加しやすいように日曜日に合わせる神社も増えました。
やはりたくさんの人が集まってこそのお祭りです。
不思議な神さま、ツクヨミノミコト
暦からもわかるように日本人は「月」を神聖視していました。そして、“月の神“といえばツクヨミノミコト。
太陽神であるアマテラスの弟にあたり、イザナギノミコトが黄泉の国から逃げ帰り、海でみそぎをしたときに右目から生まれました。
重要な神さまっぽいのに、不思議と古事記や日本書紀にはほとんど出てきません🤔
ツクヨミに関するエピソードは
①イザナギの右目から生まれたとき
②イザナギから「夜の食国(おすくに)を治めるように」と言われたとき
③もてなしてくれた保食神(ウケモチノカミ)を切り殺したとき
たったこれだけ。
古事記でも日本書紀でも、姉弟であるアマテラスやスサノオに比べると圧倒的に記述が少ないのが不思議ですね。
ツクヨミを主祭神とする神社もアマテラスやスサノオに比べると格段に少なくて、摂社末社を含めても全国でわずか700社。
四国にもほとんどなく、徳島では美馬市の西照神社くらいです。
一方、伊勢神宮ではツクヨミが内宮と外宮両方に祀られています。
現存は内宮と外宮セットで“伊勢神宮“ですが、もともとはまったく別のもの。祭祀もそれぞれで行っていたので、その名残だとか。
神さまは名前の漢字での表記に様々なバリエーションがありますが、ツクヨミも
内宮では「月 読」
外宮では「月 夜 見」
とされるとか。
「月読」は暦をイメージする“月を読む“という表記で、「月夜見」は“夜空の月を見る“という表記です。
太陽(アマテラス)を祀る内宮では月は暦を知るためのもので、五穀豊穣の神さま・トヨウケをお祀りする外宮ではしっかりと夜空の月の満ち欠けを見る、という字があてられているのが面白いですね。
津田社子屋、第3回は?
次回の津田社子屋第3回は3月中に開催予定で、テーマは「日本の神々のお話」とのこと。
日本の神々は「八百万(やおよろず)」というほどたくさんいて、それぞれ得意分野があり、どこか人間臭さもあります。
古事記・日本書紀には神々の成長物語ややらかしによる教訓が多々あります。
尊い存在である神々もいっぱいやらかしてるんだもん、我々が失敗するのは当たり前!
人 間 だ も の😗
今後の津田社子屋では
①神社の基本知識
②神社・神道の雑学
③古事記・日本書紀と神々の話
この3パターンを交互に行っていく予定だそうです。
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最後まで読んでいただいてありがとうございました🙇♀️
▶第1回目はこちら
▶津田八幡神社について詳しくはこちら💁♀️
▶ブログにもまとめ記事作りました🙆♀️
noteに書かなかったこぼれ話も。
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\死ぬほど神社仏閣めぐりたい/