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#10 津田社子屋へ行ってきた話

月替わり御朱印の紹介だけで2月が終わる勢いだったので、noteに書くことを吟味しないといけないなーとか思いつつ、今回は体験談的なものをひとつ。
ブログで分類しにくいこういうのをnoteで書けばいいのか🤔


さて、謎のタイトルですが


寺子屋の神社バージョン


それが「社子屋(やしろこや)」です。

神社のことを神職さんがお話してくれる会で、同様の取り組みは全国で行われているとか😃


徳島では徳島市の津田八幡神社で2020年12月から2021年2月にかけて、第1回が開催されました(※密にならないように少人数で開催するため、複数回での実施)。


津田八幡神社は徳島市の南東部・津田西町に鎮座する、海辺の漁師町の氏神さまで、創建から500年以上の歴史があります。

伊勢神宮で長く奉職された宮司さんが数年前に徳島にお戻りになり、神社を後世に伝えるためのさまざまな取り組みをされています。

津田八幡神社の野村宮司は26年間伊勢神宮で若手神職の育成や広報をはじめ、伊勢神宮独自の暦「神宮暦」作りなどに携わり、さまざまな経験を積まれたとか。
博識でお話上手で、とても面白い方です。


▶津田八幡神社について、詳しくはこちら。


津田八幡神社では季節ごとに四神霊獣のデザインが変わる御朱印が頒布されているので定期的に参拝しているんですが、あるとき授与所に「社子屋」の告知ポスターが!

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氏子でもないのに宮司さんから直接こんなお話を聞ける機会なんかめったにないので、即決で参加申し込みしました。


無料だし!←😂


お話を聞きながら全部メモするのはさすがに無理なので、「議事録」とまではいきませんが、とくに印象に残ったエピソードをご紹介します。

文中の表現などは一言一句宮司さんのお話のとおりではなく、私の解釈を多分に含みますのでご了承ください🙇‍♀️


言挙げしなかった弊害

神社はよく「コンビニより多い」などといわれますが、現在、その数は全国に8万社

ただし、これは【宗教法人として登録されている神社】の数であり、カウントされていない小さな神社や祠までを含めると10万社以上、12万~13万社ほどあると推測されています。

日本フランチャイズチェーン協会によると、2019年12月末の全国のコンビニエンスストアの店舗数は5万5620店。
どこにでもある印象のコンビニですが、神社の半分以下なんですね😲


徳島にはおよそ1300社、全国で一番神社が多いといわれる新潟には5000社近くの神社があります。


我々はこれほどたくさんの神社に囲まれて生活をしていますが、神社や神さまについて詳しく知っている人はほとんどいないでしょう。


神社は長らく「言挙げしないもの」とされ、一般大衆に向けて広くアピールしてこなかったためです。

【言挙げ(ことあげ)】
日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。


たしかに、「うちの神社こんな神さま祀ってるんスよwwwww」とか気さくに言われると、ちょっとありがたみが薄れますよね。


そこはベールに包んでいただきたい。


神道は日本古来&日本独自の宗教ですが、仏教の伝来とともに長らく「神仏習合」の時代が続き、当時はお寺が神社を管理していました。

これを「別当寺」とか「神宮寺」とかいいます。

徳島や明治初期まで徳島藩だった淡路島では今でも神社とお寺が隣り合ってたりして、別当寺の面影がありますが、他の県ではどうでしょうか🤔


明治維新とともにお寺と神社は分かれて「神道」として再び独立したものの、神社の氏子でも葬儀は仏式で行う家が多いため、徳島では優先順位が完全に【お寺>神社】という状況です。

そのため、田舎の神社は金銭的にも存続の危機に。
社殿などに修理が必要でも、お金を用意することができない神社が増えています。

それに、神主だけでは生活ができないとなると、いずれはなり手がいなくなってしまいますよね。。。

高齢化・過疎化のコンボでさらに氏子が減るという悪循環で、僻地の神社では常駐する神職がいないことがほとんどです。

徳島では神社1300社に対して神主はおよそ240人程度だとか。

一人の神主が10社、20社と兼務しているのが当たり前の状況です。

人の目が行き届かないことにより、文化財の盗難や社殿の損壊、放火といった罰当たりな事件も起きています。

うちの氏神さんも10年くらい前に社殿壊されました。絶許😡


さらに、怪しげな新興宗教や外国人に神社が乗っ取られたりすることもあり、今後さらにそういったことが増えてくるだろうと危惧されています。


神社や神職界隈も今まで言挙げしなかったことにより、神社のことや日本の神々のことが正しく伝わっていないし、このままでは神社を後世に残すことができないと危機感を持ったとのこと。

今はまだ年配の氏子さんなどが地域の歴史や古い時代の神社のことを知っていますが、これから数十年経つと完全に継承が途絶えてしまいます。


「言挙げ」せずにベールに包みすぎた結果、
神社の存在意義が失われつつある。


最近では神社も公式ホームページやSNSアカウントを持って積極的に情報発信をするようになり、若手の神職さんたちが頑張っています。


神さまはどこから来たのか

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そもそも、なんで日本にはこんなにたくさんの神社があるんでしょう?


神はどこから現れたのか。


これ、気になりますよね。


日本の神々はすべて
「自然崇拝」や「人々の願い」から
生まれたものです。


山や川、海などの自然に大いなる力や神秘性を感じていた古代の日本人は、いつしか山や海そのものを「御神体」として崇め、祭祀するようになりました。

生きていくには食べ物が必要なので、山や海から命をいただくために、必然的に古代の日本人は自然の近くで生活をしていました(=縄文時代)。


農耕の技術が発達するにつれて畑から食べ物を得られるようになり、人々は自然から離れても生きられるようになります(=弥生時代)。

山や川から離れて活動の場が広がるとともに、人々が集まるところに新しい集落ができた結果、神さまも自然から離れていろんなところへと移って行きました。


集落の神社に祀られている神さまを見れば、
その土地の歴史がわかります。


農村部なら五穀豊穣の神さまを。

漁師町なら海上安全や大漁祈願の神さまを。

武士であれば武神である八幡神を。


疫病が流行すれば病気にならないように、
天変地異が起これば被害に合わないように、
神さまに守ってほしい。

さまざまな職業や生活スタイルができたことで、神さまに助けてほしいこと・守ってほしいことも増えていきます。


こうして、人々の願いの数だけ神さまは生まれました。


集落に祀られているもっとも身近な神さまが、いわゆる「氏神さま」です。

氏神さまも我々の先祖の何らかの願いによって、そこへやって来たんですよ。


神が消えるとき

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人が住まなくなるとその土地の歴史や文化も消えてしまいますが、それは神さまも同じです。


人々が神を忘れたとき、
神は消える。


人が勧請した神さまは、「ぜひ我々の集落に来てください!」と最初は大歓迎されますが、時代の流れとともに忘れ去られ、今では手を合わせる人もほとんどいない。


これが多くの神社の現状です。
なんだか神さまがかわいそうになりますね。。。


ただし、神さまは人々に必要とされないなら元の世界にお戻りになるだけで、完全に消えてしまう(=死んでしまう)ようなことはありません。

「分霊」をしていろんな土地に祀られる神さまですが、どれだけたくさん分霊されても神さまの力は減ることはなく、ずっと同じです。

例えるならろうそくの火を別のろうそくに移すようなもの。
元のろうそくも、新しく火がついたろうそくも明るさは同じですよね。
ろうそく(=神社)がある限り無限に増やすことができますし、一本のろうそくが消えたとしても元の火まで消えることはありません。


神さまは完全に消えてしまうことはありませんが、神社がなくなってしまうと地域の歴史は失われてしまいます。

神社は昔から丁重に扱われていたので、集落の一等地のなかでとくに日当たりがよくて清潔で、いちばん安全な場所に祀られています。

洪水や津波などの大災害が起きたとき、高台にある神社は何の被害もなかった…というのはよくある話ですよね。

これも、生き残った人々が神さまをより安全な場所へと移して行った結果で、集落の神社がなくなってしまうと、こうした先人の苦労や知恵がすべて失われてしまいます。

歴史や文化は継承が途絶えてしまうと、元に戻すことはできません。


手水=みそぎ

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突然ですが、「神社に必ずあるもの」って何でしょう。


鳥居?

狛犬?


他にも鈴やお賽銭箱などなど、いろいろな神社のアイコンが思い浮かびますが、神社にとって一番重要なもの、それは手水舎

手や口を清めるための水とひしゃくが置いてあるアレですが、意外でしょうか。


話は変わりますが、神社で御祈祷をするときには神主が「祝詞(のりと)」を奏上します。

御祈祷を受けたことがなくても、神社に参拝したときに御祈祷の場面を見たことはあるのでは。

代表的な祝詞が「祓詞(はらえのことば)」ですが、これは祝詞界の般若心経といわれるほどメジャーな祝詞です。

掛(か)けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐(いざなぎ)の大神(おほかみ)
筑紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊(みそ)ぎ祓(はら)へ給(たま)ひし時(とき)に生(な)り坐(ま)せる祓(はら)へ戸(ど)の大神(おほかみ)たち
諸々(もろもろ)の禍事(まがこと)・罪(つみ)・穢(けが)れあらむをば
祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと 白(まを)すことを聞(き)こし召(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す

これ、聞いたことないですか?

祝詞は現代の話言葉とは違い伝統的な「大和言葉」で記されているため、耳で聞くと呪文のようですが字で見るとわかりやすいですよね。


この祝詞には「国生み神話」でおなじみのイザナギノミコトが黄泉の国(あの世)から帰ってきて、身体の穢れを祓うために海でみそぎをするシーンが描かれているんです!

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イザナギは死んだ妻のイザナミを迎えに黄泉の国へ行ったんですが、奥さんとの約束を破ったためにどえらい目に合ってこの世に逃げ帰ってきました。

▶古事記のあらすじ、良かったらどうぞ💁‍♀️


「祓戸大神」とは以下の4柱の神々の総称で、穢れを清めるためにタッグを組み、連携プレーをしています。

▶「瀬織津比売(セオリツヒメ)」 は
もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

▶「速開都比売(ハヤアキツヒメ)」は
海の底で待ち構えて、川から流れてきた
禍事・罪・穢れを飲み込む

▶「気吹戸主(イブキドヌシ)」は
ハヤアキツヒメが飲み込んだ禍事・罪・穢れを
息吹で根の国・底の国に放つ

▶「速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)」 は
根の国・底の国に持ち込まれた禍事・罪・穢れを
さすらって祓う

「飲み込む」って、ハヤアキツヒメだけやたらと役割重くない?😂そのためか、祓戸大神では唯一、古事記に記述があるそうです。


「祓戸大神」は海に棲む水の神さまなので、イザナギも海でみそぎをしています。

祝詞の「諸々(もろもろ)の禍事(まがこと)・罪(つみ)・穢(けが)れあらむをば祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へ」というのは、要するに「悪いものや穢れが私についていたら、水に流して清めてね☆」ということ。


すなわち、【手水=みそぎ】です。


我々が手水で手や口を清めたら、穢れを含んだその水がやがて川に流れてセオリツヒメがキャッチして。
海へ行くと海底のハヤサスラヒメが飲み込んで。イブキドヌシが根の国へと穢れを吹き飛ばして、ハヤサスラヒメがさすってくれる、と。

神社で参拝するとき、

 ▶手水で清めて=みそぎ

 ▶お賽銭をして=神さまへのお供物

 ▶鈴を鳴らす=神楽を奉納する

という一連の流れがありますが、これらはすべて正式な参拝手順である神事」でやることを簡略化したもの。


全部を正式にやれって言われると、たしかにハードルが高すぎて今のように気軽に神社へは行けませんよね😂

願いごとを書く「絵馬」も本来は生きた馬を奉納するものですが、現代では「馬の絵」で代用されています。

さらに、祓戸大神が海にいること、これが「清めの塩」という概念にもつながります。

罪や穢れを清めてくれる神さまがいる海。その海からできた塩には祓戸大神の御力が宿っていると信じられてきました。

“過ぎたことを忘れる“という意味の「水に流す」ということわざも、語源はこの祓戸大神です。

今日から使えるドヤ知識だよ!

「流し雛」や「灯籠流し」、七夕には願いごとを書いた短冊を結んだ笹を川に流します(最近はやりませんけど)。日本人は何かと水に流したがりますよね。


神道は日本古来の宗教ですが、他の宗教のように「教典」やこれといった「教義」はなく、開祖すらいません。

しかし、神道は日本人の生活習慣や考え方に深く根づいているものです。


特別なことはしなくても、ただ神さまがそこにいると意識するだけで神さまの力は増し、人々をより強い力で守ってくれます。

とくに、ふだん近くで我々を守ってくれている氏神さまに感謝するようにしましょう🙏

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最後まで読んでいただいてありがとうございました🙇‍♀️

ブログでは構成の都合で書けなかったことをちょこっと付け足してあります。

津田社子屋の第2回がもうすぐあるので、またそちらもまとめますね。



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