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【読書記録】朝が来る

今回は、辻村深月さんの、"朝が来る" です。


読む前に

辻村深月さんの本は、高校生の時、テレビ放送されていた映画の”ツナグ”を見て、学校の図書館で原作を借りて読んだのが初めてだったと思う。
テレビ放送を見て、私は泣いたはずだ。多分、近くには親はいなかったのだろう。親の前で、そういう風に泣くのはどこか気恥ずかしいから。兄弟はいたかもしれない。
そして小説を読んで、また泣いた。
その後大学に入ってから、再度テレビ放送されているのを見た。高校生の頃より、もっと泣いた。涙の出るシーンが増えていることが不思議だった。高校生の私にはなかった”実感”みたいなものが、増えてきていたのかもしれなかった。死ではなく、生への。生きる人に、色んな人生があるということへの。
こんなことを書いていたら、ツナグの感想だけでとんでもない長さになりそうなので、ここで辞めます。

初めて読んで

本題。この作品は、今回初めて読んだ。
妊娠も出産もしていない私には、未知のものがそこにあった。私の周りにも、既にママやパパになった同年代の知り合いはそれなりにいる。未知、というか、想像ができない、と言うのか。

読み終わってもなお、しっくり来ていない。という感覚がどこかにあった。現実味が薄いとか、そういうようなことではない。他人事のように思っていた出来事が、他人事ではなくなるこの物語。その物語を読んでいる私は、この物語をやっぱり他人事だと思っている。それでいいのだろうか。そんなような感覚。

引き込まれてぐんぐん読んだ。すごく考えさせられた。最後のシーンでしっかり泣いた。泣くほどに感じ入りながら、なぜこんなにも他人事なのか。

環境というもの

私は最近偶然ながら、”環境”が人生においてどれほど強い影響を持つか、を考える機会が多かった。そんなときに読んだからか、中学生や高校生の、自身がいかに世間知らずであるかに気がついていない怖さ、危うさがリアルに染みた。
正直なところ私自身はそれを自覚することもなく親の庇護のもと大人になった。大人になってから、今日明日を生きていくのに必死にならねばならない、そんな世界があることを知った。知った、というのは正確ではないかもしれない。もっと昔から知ってはいたけれど、それがどういうことなのか、ちゃんと想像するようになった、と言った方が正しい。私なりに、昔よりも理解した。そして、私自身、中高生の頃は何も見えていなかったのだということに気が付いた。それでも問題なく大人になれたのは、私がとてつもなく恵まれているからだと。
そこに、優越感とか、逆に申し訳なさとか、そういうものは全くない。ただ、世の中とはそういうものなんだな、ということを、ある程度、本当に、ある程度でしかないけれど、理解した。つもりでいる。何年後かにこの文章を読んだ自分が、「いや、あんたはまだ何にも分かってないよ」って思うかもしれないんだけど。
”親は子供を選べないし、子供も親を選べない”という、どこかで聞いたセリフ。逆に”自分の子は自分のもとを選んでやってきてくれた”という、これまたどこかで聞いたセリフ。この矛盾する主張の、どちら側も、分かる。
それだけ。

どういう風に書いても、私が今考えていることはきちんと伝えられていない気がする。もどかしい。悔しい。怖い。

家族であるということ

私自身は、自分の家族を好きな部類の人間だ。
それぞれ違う人間だから、親や兄弟でさえ、自分と異なる部分、理解できない部分、もちろんある。私はそれでもみんなを好きだと、大切だと思えるけれど、それは偶然なのかもしれない。家族だからこそ、自分の親や、兄弟に対して苦手だという気持ちを持つことも、普通なのだろうと思う。血がつながっていようと、戸籍上家族だろうと、それぞれ違う人間なのだ。好きになれる人、なれない人がこの世に存在するのは当たり前で、距離を置きたくても置けない関係にその人がいることは、普通に、しんどいと思う。

家族を好きと宣言している私だけれど、長く実家にいると、自分と違うテンポに、リズムに、ムッとしてしまうことが増えてゆく。そして、自分にとって大切な人たちに対し、ムッとした態度をとってしまったことを、後悔する。
普段は多少嫌なことやイラっとすることがあっても、にこにことやり過ごせる。なぜ家族の前だとその制御がきかないのか、不思議である。多分それが、私にとって家族というものなのだ。恐らくそれは、血がつながっているとかつながっていないとか、そういうことではなく、各家族にそれぞれの形が存在して、たまたま私にとっての家族が、そういうものなのだ。

それとも血のつながりの有無というのは、やはり大きな違いを生むものなのだろうか。なんども想像しようと思ったけれど、うまくいかなかった。やはり、人や環境やタイミングに依存するのではないか。一概に考えられることではないのではないか。そういう風に思う。そして想像するのを諦めてしまう。私の陳腐な人生経験では、想像するには十分でないのかもしれない。

十人十色じゃないけど、十家族あれば十の形があるんだろう。
こんな私を育ててくれた両親、ありがとう (両親このアカウント知らないけど)。

家族へ感謝をもって本日は終了とさせていただきます (唐突ですが)。
読んでくださった方、ありがとうございました。

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