【思い出】大学時代文化人類学と社会学を学べてよかった
こんにちは!今回は大学時代を振り返ってみたいと思います。
最終的には高校倫理、文化人類学、社会学の思い出と感謝を語り、学生さんにエールを送る記事になりました。
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私は大学では文学部に所属していました。専攻は哲学・倫理学でした。
高校時代:倫理
高校時代に「倫理」という科目が大好きだったんですよね。
「高校倫理」という科目は、「倫理」という名前ではありますが、その実、哲学、倫理学、心理学、社会学、宗教など結構いろいろなジャンルの歴史や思想が盛り込まれた分野だったと記憶しています。
「倫理」は本当におもしろかったですね。
特に「心理学」に該当する内容で、「防衛機制(ぼうえいきせい)」という概念が紹介されていたのをよく覚えています。
例えば以下のものがあるとされています。
抑圧
欲求不満や不安を無意識に抑え込んで忘れてしまおうとする。
合理化
最もらしい理屈や理由をつけて正当化しようとする。
例)仕事の失敗を、無理やり押し付けた上司のせいにする。(「負け惜しみ」がこれの一種でしょう。「どうせもともと○○だったから別にいいよーだ」みたいな)
同一視
他人の長所や能力・実績をまねして自己評価を高めようとする。
例)有名人の服装や言動を真似る。
昇華
社会的に承認されない欲求を文化的・社会的に望ましい価値あるものへ置き換える。
例)失恋を機に勉学に励む。(自分なら「逸脱的性欲をイラストに昇華する」とか「社会への破壊的怒りを音楽に昇華する」とかが思いつきます)。
防衛機制、興味深いですよね。
私たちは何か望みが実現しなかったときにたいてい何らかの反応をするわけですが、そうした心の反応について誰かが勝手にパターン化・分類して、名前なんかつけちゃってるわけです。高校時代の私にとってそれが衝撃的でした。
自分の繊細な心の動きが、勝手に特定の心理的反応パターンの一例にすぎないと告発されているかのようで、ゾクゾクします。
防衛機制の概念を頭に入れておくことで、自分が特定の感情の渦に呑まれているとき、「あ、これは防衛機制で言えば○○だな」みたいな見方をできるようになるわけです。メタ認知ってやつでしょうか。
これは単純にストレスを手放すことにつながるので有用だと思います。
疾風怒濤とされる10代の時期においては、こうした概念を獲得することの恩恵は大きかったです。「高校倫理」ありがとう。
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心理学か哲学か
大学では当初、心理学か哲学をやってみたいと思っていました。
一方で心理学の方がより実践寄りの知識・技術が手に入りそうなイメージです。他方で哲学の方がより観念的・根本的な事柄に関わってそうなイメージです。
入学当初の印象では、心理学をやった方が何となく就職とかに有利そうな気がしました。哲学やってるとなんだか浮世離れしてしまいそうなイメージがあります。
しかし、結局最終的にはより根本的な問題に取り組みたくなるんじゃないかなという気もしていました。何か特定の疑問について「それはなんで?」「○○だから」「じゃあ○○はなんで?」という問いを無数に繰り返していき、どんどん根本的な問いに取り組むということは、中高生でも頭の中でやっていることです。
結果としては哲学を選びました。
たぶん就職への直接的な違いは特にないです。学部も学科も関係なく、知人大学生の大半が公務員かシステムエンジニア(プログラマー)にばかりなっていきました。
大学ではやりたい分野を学ぶことに集中するのでいいと思います。
実際に大学一年生の頃に文学部の様々な分野の授業を受けてみて、私は最終的に「文化人類学」か「哲学」かのどちらかで迷っていました。
結果としては哲学コースを選択したのですが、文化人類学も本当におもしろかったですね。
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文化人類学エピソード①:アイデンティティ
文化人類学の授業で今でも覚えているのは次の話です。
確か「アイデンティティ」がテーマになったとき、ある学生が提出した次のエピソードが授業で紹介されました。
といった趣旨の内容でした。これめちゃくちゃおもしろいと思いましたね。
単に私が存在しているだけでは特にどの属性が「メイン」ということもないのでしょう。しかし、特定の状況においてはどれか特定の属性が持ち出されて、「○○(出身、大学、性別)だから△△なんだ」ともっともらしく語られてしまうことがあるのです。そして、そういうことを言われた側はときとしてムカつくのです。
自分にとってしっくりこない決めつけはムカつく傾向にありますよね。
私は「人間の尊厳」という重々しい概念は、基本的に「ムカつく」という卑近な感情と密接な結びつきがあると思っています。
「他人を尊重するべし」という高尚なお堅いスローガンには、基本的に「ムカつくことすんな」という感情的なメッセージが含まれていると思っています。
そして、それはすごく重要なことなわけです。
なぜなら、「嫌な思いをしたくない」というのは人間のかなり基本的な欲求のはずだからです。
私たちは、私たちの感情が快適なままでいられるそんな社会を作ろうとしているんですね。だから、「お互いを尊重しよう」、つまり「ムカつくことすんな」(あるいは「バカにすんな」)というメッセージを互いに交し合っているのだと思っています。本当に大事なことですね。
まあ、多少はムカつくことあっても、後で笑い合えたらそれでいいと思っています。
とにかく関係性を修復不可能なほど険悪にしてしまうような決定的な傷つけ合いだけはしたくないものですね。
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文化人類学エピソード②:隣県や隣国を下に見がちな傾向性
もう一つ、文化人類学の授業で印象に残っている出来事があります。
それは、授業でのやり取りを踏まえて先生が言っていた次の内容です。
これには学生たちも少しうなっていましたね。「言われてみればそうかも」と。
私は高知県出身ですが、何となく高知の一部のおじさんは隣県である徳島県に対して対抗意識を持っていたような気がします。(というか無意味に少し下に見ていたような気がします)。
下に見ている存在と自分が一緒にされてしまうと、意地でも反論したくなるものですよね。(話は逸れますが、私がよく覚えているのは、部活の先輩に「すみません文学部でしたっけ」と聞いたところ、「おいおいなめられたら困るよ。工学部だよ」と答えられたことです。所属に誇りをもつこと自体は結構なのですが、なにぶん文学部の学生にとってはなかなか扇情的ですよね)。
もしかすると、「地理的に隣接している土地を何となく下に見たい傾向性」というのが私たちの中にはあったりするのかもしれません。
そして、そういう傾向性があるらしいと自覚した以上は、私が今後隣県や隣国に対して軽蔑的な感情を抱きかけたとき、「あぁ、また人間の傾向が出ちゃってるのか」と冷静になることができるようになるわけです。
過激化して品性を落とす前に踏み止まらせてくれる装置がまたひとつ自分の中に増えたわけです。
こうした事柄も「教養」という概念の中に含めてもらってもいいのかもしれませんね。
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まとめ:文化人類学と社会学は勉強できてよかった
「文化人類学」(またそれと近い分野の「社会学」)は、このように私たちの感情を刺激する(逆撫でする)ような事柄に触れてくれることが多かったです。
「ジェンダー、外国人、職業」など「差別」や「偏見」と非常に関係の深い事柄についてよく取り扱ってくれました。
こうしたものって、生きていれば何度も直面し、そのたびにムカついたり、意見を言いたくなったりする事柄ですよね。
そうしたトピックについて、決して正解を知っているわけではないがやはりそれなりに知見をもち長年そうした問題に取り組んでいる先生のもとで、同世代の複数の学生たちと話し合ったり学んだりする時間を持てたことは、本当にエキサイティングだったと思います。
結局私は大学院を卒業するまでの6年間、哲学と並行して「文化人類学」と「社会学」の授業は受け続けていました。
自分が興味のある事柄について学ぶことを許してくれる大学という機関、ありがたいですね。
私はもし自分が文化人類学や社会学を学ばずに社会に出て、SNSを見て過ごしていたとしたら、どれほど自分の中に生じる怒りに焼き殺されていただろうかと恐ろしくて仕方がないです。
まあ実際は、文化人類学や社会学を学んでいる最中の方が社会に対する敵対心は湧きやすかったと思います。というのもかなり現行の社会に対して批判的な視点をもつ学問ですからね。ただ、そういう視点をいくらか吸収したうえで、ただ一時代の一個人でしかない無力な「私」としてこの社会の中に繰り出したとき、不思議と強い気持ちで生きていられるんですよね。この社会に対して何か一般的な常識とは異なる一つの見方を持っていることが、自分にとっての「芯」のようなものを与えてくれる感覚があります。
私は学生時代に文化人類学や社会学を学んだおかげで生きやすさが増したことを実感しています。そういうかつての文学部生がここにひとりいることを伝えたいです。社会学系の研究者のみなさん(大学生を含む)、これまで学問的な蓄積と発信を続けてくれて本当にありがとうございました。
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さいごに:今勉強している人たちへのエール
今回はこれくらいにしたいと思います。
読んでくれた人はありがとうございました。
いま社会学系の学問や授業に取り組んでいる学生のみなさんはがんばってください。(文学部じゃない学生さんもぜひ社会学系の授業をひとつは受けてみてください!)
ただ単位のために課題をこなすことも大事ですが、社会学は本当に自分のためになります。自分のために伸び伸びと心ゆくまで学んでください。
(なんか上から目線ですみません)。
生きやすくなるための知的武器がそこら中に(本の中に)転がっているので、ちゃんとたくさん身につけたうえで、社会に出て一緒にがんばりましょう。
先に「現代日本社会」というすごく興味深いフィールドワークの現場で待っています。(大学生だって同じ社会に生きてるのにすみません。ただ日本の労働社会は学生の世界とは少し雰囲気が違うので、両者を区別することはデタラメでもなさそうに思われます)。
おわり
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