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この春保育士辞めた。そして笑顔が増えた。


我武者羅に

独身時代、保育士の道を突っ走った。


こどもたちに愛情を注ぎ、保護者との信頼関係も築き上げていく日々。
サービス残業は当たり前だし、土日も書類に追われる。
平日も製作や保育の準備に追われて 睡眠不足。
けれど、充実していたんだと思う。
毎日たくさん笑って、楽しく過ごしていた。


そんな私も今の旦那と出逢い、憧れの結婚。


結婚式の日には 教え子たちがサプライズで式場に祝いに来てくれた。
本当に嬉しかった。


たくさんの方に愛されていたんだ と 幸せに溢れた。


環境の変化


結婚して 私は県外に嫁いだ。
県外とはいっても、隣の県。

けれど、遊びに訪れるのと 暮らしをしていくのとでは
まるで話が違った。


風景が違うように
住んでいた空気が違った。匂いが違う。

方言も違う。慣れない言葉を耳にすると怖く感じる。


そんな中、義親が私の仕事を探している。
これが優しさであることはもちろんわかっていた。

けれど 正直とても苦しかった。


初めてここで 生活していくだけでも私の心は崩壊しそうで。
義親との信頼関係もできていない。


その時、そんな私を救うかのように
こどもを授かり母になることができた。
こどもがだいすきで母になりたい気持ちが強かったので、とても嬉しかった。


母になる


妊娠生活、子育てについて 話し出すと話が溢れてキリがない。

なのでここは 簡潔にいきたい。


ひとり、ふたりと授かることができしばらく子育てに専念する。

今しか見られない子どもの成長。
とても愛おしい。可愛くてたまらない。ずっと一緒にいたい。

子どもが幼いうちはずっと傍で自分が見守りたい。


その気持ちはとても強くあったが、金銭的にもとても厳しかった。


旦那の収入がいいわけでもないので、様々な支払いがかなり厳しい。
それでも旦那は 私に仕事を強要してくる人ではなかった。


どちらかといえば私が その状況が不安でたまらなかったので、行動に出た感じで。

下の子が2歳になる年、書類を提出すると
翌年から保育園に預けることができることになったのだ。


受からないだろう…とそればかり考えていていたので
驚きしか無かった。
行動したのは自分なのに、不安が押し寄せて復帰前日には号泣。たまっていた気持ちを旦那にぶちまけた程だ。


新しい生活が始まる


ここから怒涛の日々が始まる。
こどもが小さいので、時短での復帰を希望したが
なんせこのご時世 保育士不足がひどい。

クラスの補助とゆうポジションのはずなのに
担任の先生が休みの日には 変わりはいない。

え、主やん…

もちろん書類はない。その日の記録を簡単に残す程度。

けれどそういう問題ではない。気持ちの負担が違った。


自分で言うのもなんだが、私はにこにこしているタイプなので だいたいのことは引き受けてしまう。
それに仕事復帰とゆうことで場所は違えど少しは経験もあるので、なんとなく流れもわかる。まわすことができる。

いいように使うことができる人材 だったんだと思う。


もちろん必要とされ、感謝されるが
私の中で家庭を持ち、1番大切にしたいものは家庭だった。

なので 時短を希望したのに、気持ちが重たい。


また、娘は幼稚園。息子は保育所。私も保育所勤務。

行事被りが本当に辛かった。
基本ありがたいことに、こどもを優先させてはくれるが、申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになる。
あの休みを伝える時の言葉の重さ…
園の行事の大変さを知っているだけに…


仕事が始まってから エネルギーは常にマイナス。
家のことも完璧にしたい私の性格上、何かを諦めることができなかった。


いつのまにか


そんな生活が続いて行く中でも、もちろんこどもは大きくなる。
習い事だって興味が湧いてくる年齢だ。
そこはこどもがすきなように チャレンジさせてあげたい。


仕事が終わると家のことやご飯の支度だけでもドタバタなのに、そこに習い事がねじ込まれる。


急がないと。時間がない。


私は常に何かに追われていて、笑顔が減り
毎日疲れているのが顔にでていた様だ。


大丈夫?痩せたんでないん?

顔が疲れとるで。休める時に休みなよ?


友だちに会う度かけられる言葉。
言われてみれば肌荒れもしているし、髪もばさぼさなまま子どもの迎えに来ている自分。

そして常にイライラしていた。
こどもに怒りをぶつけるようなことはないが、旦那との会話は減ったと思う。
ゆっくり話している余裕が全くなかった。


選択の時


保育士は半年前に翌年の継続についてきかれる。
結婚の時もそうだったが、これもまた追い詰められる原因のひとつではないのだろうか。
その仕組みは分かるが、人間生きているだけで何が起こるかなんてわからないし。

それは置いておくとして、
私はもうこの時から心に決めていたことがある。

辞めよう と。

今の自分にはもう無理だと感じたから。
この時も保育の仕事が嫌いな訳ではなかった。
どちらかといえば 保育の仕事には私の好きがたくさん詰まっている。けれど自分の中で負担をかけたものが責任だと思う。

時短なんだし、もっと気楽にやればいいのに
とか思うところもあるかもしれないけれど、こどもの命やその時の成長を任せられている限り私にはそんなことができなかった。


けれど独身時代のように、全力を捧げることはできなかった。


結果自分を苦しめる。

人間関係も良好だったので、まわりの先生が驚いて悲しんでたくさん引き止めてくれたが私の気持ちは揺るがなかった。


そして自分の中で大きかったのが娘の小学校生活の始まり。

私の娘は精神的に弱い方だと思う。
だから新しい環境に慣れるのにとても時間がかかる。

そんな娘が 小学生。
学童は絶対に行きたくないといっているし、家に帰ってきて おかえりと迎えてあげたかった。

宿題もじっくり向き合ってあげたかった。



寄り添いたい


春に退職をしてから、時間に余裕ができた。


時間の余裕は心の余裕って本当なんだと気づいた。

なんかおちゃらけている時間が増えたし笑っている時間が増えた?うん、絶対増えたよな?と、自分で感じるほど。


すると友達から、


前のとこさんちゃんに戻ったね~っ!
よかったあ。笑顔が戻った~!


そうか。みんな気づいてたんだね。
旦那やこどもだけじゃなくて、友だちにまで心配かけていたなんて。



今、またあの幼かった頃のように金銭的な不安はある。
けれどなんだろうな、またあの頃とは別の気持ちで
こどもの傍にいられるとゆう貴重な時間を噛み締めることができている。


専業主婦や母親に給料はでない。
けれど、目に見えない程の仕事を毎日こなしている。
これは立派な仕事。もう少し自分を褒めようと思う。



みんなの先生はおやすみして、
娘と息子にとって安心出来る母親でありたいと思う。





最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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