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自分の悩みを他人と比べてしまうひとへ ―比較による3つの弊害―

こんばんは、心太です。

ひとの悩み事を聴き、自分らしく生きることをお手伝いすることを生業にしています。

【こんなひとに届いたら嬉しい】
・悩んでいる、弱い自分が嫌い
・人の悩みに比べて自分が些細なことに悩んでいるように感じる
・ひとにも、自分にも優しくなりたい

カウンセリングをしていると、時折「こんなことで悩むなんて、自分はとても弱い人間なんですね」、「ごめんなさい、私みたいな小さな悩み事でお時間を取らせてしまって」など、自分の悩みを軽視するような発言を耳にします。
日常生活でも、「自分より辛い人はいるのに…」と、悩む自分をことさらに卑下するところを目にすることもありました。

私はいつも考えます。
悩んだって、辛くったっていいじゃないか。
あなたの人間性は露ほども損なわれないし、誰にも文句は言う権利はないのに…。
主観的な感覚である、“悩み”や“辛さ”はもともとあなただけのもので、他の誰かの感覚と比べる必要もなければ、比べる方法もないはずです。

1.心理学的に❝比べる❞を解釈すると

同時に、少し学門的に脳みそを使って別の見方もしています。
例えば、自分の悩みをとるに足らないものとして捉え直す(矮小化)ことで、問題自体を小さな事柄と認識を改め、少し無理をしてでも前に進もうとしている、と見立てるときもあります。
自分のこころを守る働きの一部で、上手に使えている人は“強い人”と言われることもあるでしょう。
ただし、無理のし過ぎに注意が必要です。

また、もともと低い自己評価をお持ちの場合、自分が小さな問題に悩むような弱い人間と定義付けすることで、自己評価との一貫性を保とうとしているかもしれません(一貫性の法則)。
ひとって自分の認識や態度を一定に保ちたい生き物で、自己評価を改めるときには、それなりのストレスがかかるんですよね。
例え、それが良い方向への改変であっても。
ちょっとおかしな生き物ですよね(笑)

2.比べることで起きる3つのこと

自分と他人との間で、悩みの重大さや優劣、強弱をつけることで起きる弊害はとっても深刻です。
それも私が考えるに、3つの深刻な影響を及ぼします。

1つ目は自己評価をもっと下げてしまう。
自分が他人に比べて些細なことで悩んでいる、と考えてしまうと自己評価がより低くなり、新たな悩み事を増やしたり、自己評価が低いことそのものが悩みとなったりするかもしれません。
自分で自分を否定することほど辛いことは、そう多くはありませんからね。

2つ目は、堂々と悩んだり、相談したりすることがしづらくなる。
そもそも悩みや辛さという主観的な感覚を比べる癖を持つこと、そのものの影響です。
想像してください。
あなたは、他人と比べ自分の悩みの方が大きく、重要なものでないと堂々と悩んだり、ときには相談したりすることができません
しかし、世界は様々な悲しみ、苦しさに満ち溢れています(たくさん喜びや楽しさ、美しさももちろんありますが)。
堂々と悩むことができないと、いつまで経っても本当の意味で自分の悩みを受け入れられず、向き合うこともできなくなります

3つ目は、他人の悩み事に対して厳しくなってしまう
❝悩みがより大きな者が、悩む権利を持つ❞という考え方は、相手の悩みが自分の悩みや境遇よりも軽いと捉えたとき、どのような影響を持つでしょう。
無意識に、本当に無意識に相手のことを見下したり、相手の悲しさや傷つきを軽んじたりしてしまうかもしれません。
ひとに優しく在りたい方は、それと同じように自分にも優しく在れていますか?

3.こんなときは比べてもいいかも

悩みや辛さを比べるときは、自分の過去と比べてください。
過去の悩みは、あなたがそれらを乗り越えてきた、あなたの持つ力の証です。
今の悩みが過去の悩みよりも小さなものならば、あなたにはすでにそれを乗り越える力があります。
今の悩みが過去一番大きなものならば、未来のあなたは今よりもずっと成長していることでしょう。

なにも、一人で立ち向かう必要はありません
あなたの周囲には、きっとあなたのことを大切に想ってくれる人がいます。
私もその一人です。

悩みも迷いも、苦しさも悲しみも、
どんなことを感じていたって、自分のことを認めることができたなら
自分のことも、他者のことも、とんでもなく愛おしく感じられるはずです。
そして、ひとにはきっとそれを実現する力があります。
もちろんあなたにも。


では、また。


心太

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