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ある心理カウンセラーの決意表明ー訃報のニュースから考えたことー

こんばんは、心太です。

三浦春馬さんの訃報で、いま契約をしているクライアントさん達や、過去のクライアントさん達、それから学校の学生さん達のことなど、いろんなことが思い浮かんでいます。


私は、心理カウンセラーを生業にしています。
この仕事をする上で、常々考えていることがあります。

“少しでも当たりのカウンセラーになろう”ということです。


これまでも意識していたこと

私のもとを初めて訪れる方の多くは、カウンセラー全員の中から私を選んできているわけではありません。
住んでいる地区や活動範囲、料金設定など様々な制約のもと、ある意味で消去法的に選ぶ、ということが多いでしょう。
世のカウンセラー全員の情報が得られるものでもないですし、仮に情報が得られても全員分(臨床心理士だけで約35,000人 ワオ)吟味するのは現実的ではありませんしね。

というか、そもそも選んでいないことが大多数かもしれません。
とりあえずカウンセリングを受けられる施設に行ったら、私が出てきた、これが一番多いパターンかなあ、と推測します。

そう、ある意味、担当者が私であるということは、様々な条件のめぐり合わせ、“運”と言い換えてもいいです。
なので、私との出会いが相手にとって、少しでも“幸運”となるように、そんな“当たりのカウンセラーになろう”が私のテーマです。

昨日のニュースを聞いて改めて感じたこと

カウンセリングを受けるひとは病んでいる、弱いひとでしょうか。
我々の見解は違います。
助けを求めることができたひとです。
声をあげる決断ができたひと達です。

中には、なんとか間に合った…良かった…、とこちらが安堵するようなひともいます。

もちろん、相談ができない(できなかった)方が弱いなどと言うつもりもありません
タイミングや環境、立場や文化など、相談に踏み切ることができない理由も無数に考えられるからです。

ですから、そのひとが相談に踏み切ることができるかどうか、についても、ある程度のめぐり合わせが関わってくることもあるでしょう。


そう考えると、私と言葉を交わしている人は、いくつものめぐり合わせを経て、さらにある種の大きな決断の末にたどり着いているんだ、と強く再認識しました。

精一杯、クライアントさんとの出会いを大切にしよう。
“運”だったものを“幸運”に、そして“縁”と感じてもらえるように、腕と、そしてこころを磨いていこう。

そんな風に決意を新たにした日でした。

覚えていて欲しいこと

こんな拙い文章ですし、影響力もないことが少し歯痒いですが、この記事がここまで読んでくださった方の、今後の“運”になったらいいなと思います。

しんどかったり、つらかったりしたら助けを求めてくださいね。
きっとあなたのことを大事に思っているひとは、受け止めたい、少しでも力になりたいと思っているはずです。
親しい人や大切な人だからこそ、心配をかけたくない、負担をかけたくない、そう感じるひともいるかもしれません。

そんなときは私たちがいます。
そして、いると思って欲しいです。
苦しさやつらさを分かち合ったり、一緒に改善に向けて歩んだり、ときには思いっきり寄りかかってもらえるように、準備をして待っています。


決意やら願望やらでしっちゃかめっちゃかになってしまいました。
たまには(いつもか?)、書きなぐっておくのもきっといいでしょう。
整理がてら、思いつくことを記しておこうと思いました。


では、また。

心太


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