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「子どもが不登校になったからこそ」今、思うこと。

子どもが不登校になると、
自分は子どもになにを望んでいるのだろう?
本当に大事なことってなんだろう?
と考えさせられます。

おはようございます!
Tokomaです。

その質問への解答はいろいろあるのですが、
そのなかに

成績の良い学校を出て、
有名企業に就職してほしい

という解答はありませんでした。
少なくとも僕のなかにはありませんでした。

健康で元気でいてほしい。

が、僕が子供にもっとも望んでいることです。

普段あたりまえと思っていたことが
あたりまえでないことに気づかれます。
基本的なことに気づかされます。

このおかげで「幸せ」のハードルが
さがった気がします。

けっして、理想が低くなった、
という意味ではありません。

言い尽くされた感はありますが

「日常の些細なことに幸せがある」

ということなんでしょうね。


不登校になったからこそ

以前の僕は、
表面上は人にやさしくしており
良い人のふりをしていました。

しかし、人を妬んだり見下したり、
悪口、陰口、文句、愚痴などを言いまくっていました。
けっこう自分勝手な性格だったと思います。

子どもが不登校になったことで、
いろいろなことを考えたり、
経験させてもらいました。

そのような体験を通じて、

少しは他の人ことも考えられる自分に
人の喜びを一緒に喜べる自分に

なれたのかもしれません。

まだまだではありますが、
以前よりは少しマシになった気がします。


振り返ってみますと、
今までもそんな自分に警鐘を鳴らしていた事柄がありました。

それらは、
「あなたの考えたは間違えているよ。そのままだと不幸になるよ。」
というメッセージだったのかもしれません。

残念ながら、僕はそれに気づいていませんでした。


そこで、
子どもが不登校になる、
という少々荒っぽいやり方で
僕の考え違いを直してくれたのだと今は思えます。

ですので、

子どもが不登校になったから「こそ」
間違った道を進まずにすんだ

と感じています。

あとで人生を振り返ったときに、
あのときが人生のターニングポイントだった、
と思うのかもしれません。

先日、子どもの口から
「不登校になったからこそ、
今とても楽しい時間が過ごせている。」
というようなことを言っていた、と妻から聞きました。

すでに、
子どもの方が僕より先に気づいて、
前を向いて歩いていたんだ、
と思いました。

子どもが親から学ぶことより、
親が子どもから学ぶことの方が多い
とは思っていましたが、

それに加えて、

子どもの方が早く学ぶ

ということを新たに知りました。

いつも教えてもらうことばかり、
と、今もまだまだ成長中の僕です。

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