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Uber Eatsでご飯を頼んで、なぜか未来の子供達のために寄付をするようになった話

(目次に特に意味はありません。ただ使ってみたかっただけです)

当時の状況

今年のGW。

失恋、仕事に殺され、メンタル崩壊して、見事に闇堕ちしていた。

まさに”オー!マイキー”状態。

(オー!マイキーと何度も闇堕ちしてしまう東京リベンジャーズのマイキーをかけてみた。全然かかってないけど、ただ単純に言いたかった笑)

なんのやる気も起きず、寝て、起きて、ご飯食べて、漫画を読み漁って現実逃避。

(主に、現代の女の子がなんらかの原因で死んでしまって、乙女ゲーの世界の悪役令嬢に転生、もしくは聖女の力を授かってイケメン達と絡むみたいな漫画。分かる人には分かる笑)

闇堕ちのメンタル

なにもできない時ってすごく感傷的になって、ベランダに出る窓の縁から空見て、”あぁ。このままどっかいっちゃいたいなぁ。消えちゃいたいなぁ。 私がなにをしたって言うの。なんで私はこんなんなんだろう”とか”誰でも良いからさ、助けてくんないかな”とか思いながら気が付いてしまった。

あれ。私って誰とも繋がりがないし、社会とも繋がっていない。たとえ私が今死んだとしても、一ミリも影響もなく世界は普通に回って、もはや私って既にいなくてもいい存在で、消えちゃいたいなーって思って本当に消えちゃっても、社会になんの影響も与えない。必要じゃないじゃない?って。

私が今死んだら、一体なにが残るんだろう。私が生きてた証的なものってなにも残らないなって。存在意義もなく、誰の役に立たなかった人生だったなと。まだ死んでないけど笑 (こういう時って思考がすごい極端になるよね)

Uberで頼んだお店の優しさが私の心を救う

外に出る気力も出ず、でもお腹は空くからUber Eatsを頼んだら、
この手書きの手紙が入ってた。

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こんな私でもご飯頼んだだけで、見ず知らずの人から感謝されて、少しでも役に立てて、社会とつながって貢献できた気がするって思えて。この手紙がすごい嬉しくて、私の心を救ってくれた。

ありがとー!って思いながら頼んだご飯食べてたら、

ご飯食べれるのって幸せじゃない?

しかも美味しいご飯なら尚更幸せじゃない?

ご飯をお腹いっぱい食べれるって幸せだよねって。

お腹いっぱい食べられるって幸せじゃない?から寄付に繋がる

そしたらふと、この飽食の時代で、一応豊かな国と言われてる日本で、なんらかの事情でお腹いっぱいご飯が食べれない子供達がいるっていうニュースを見たのを思い出して。

それですぐ色々調べて、ご飯が食べれないとか教育が満足に受けられない子供達を支援するボランティア団体に寄付を始めた。

(お金持ちじゃないので、微々たる額ですが。。)

そして気付く、社会と繋がるということ。
死ぬ前に何かをしたという証

このなにもない、きっとこのままだと誰の役にも立たない人生を送って死ぬであろう私でも、ほんの少しの貢献ってできるんじゃないのかなって。

支援したお金がどのように使われて、役に立っているかという定期的に届く感謝のメールとかパンフレットとかみて、

”私も社会と繋がれた” ”役に立つことができた”

”むしろ私の方こそありがとうございます。おかげて私の心が救われましたと”

やっと私が存在してる意義とか、社会との繋がりが持てたとか、何にもなかった私の孤独が癒された気がして、心がすーっとなって、腑におちた気がした。

達観した親友の脅威のマインド

私の親友はいう、

生きてるってだけで、けっこう頑張っているよ。

犯罪も犯さず、納税もして、慎ましい生活をしている善良な民ってだけですごい存在価値があるって。

なるほど。彼女は達観したマインドを持って生きているな。

これがUber Eatsを頼んで、未来の子供たちのために寄付を始めた話。

おわり

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